タイパ麻薬と焦る現代人
現在では、インターネットやsnsの台頭により、多くの人が現実社会だけでなくバーチャル世界でも居住地を手に入れたようだ。
特に若者は、小さな頃からそのニ世界を行き来しつつ生活することにこれから慣れていくのかもしれない。あるいは、もう既にその感覚は常識のようなもので、わざわざ区別するような次元では無いということかもしれないが。
しかし、バーチャルな世界が盛り上がり、活気を孕み、面白いコンテンツを生み出してくると人々の多くはバーチャルな世界によりのめり込むようになる。
もちろん、退屈な現実世界よりも明らかに刺激的なバーチャル世界の方が脳にとって快楽的で豊かなものになるだろう。
実際に、バーチャルな世界は様々な進化を遂げ、人々をより現実世界から切り離そうとしている。
ただ、バーチャルな世界には無いものがあることを忘れては行けない。今後、急速的な進化を遂げたバーチャル世界がもはや水槽の中の脳を実現しうるかもしれないが、今はまだ違う。
現在では、視覚と聴覚がほとんどだ。
YouTubeやsnsなど、常に人々は視覚的か聴覚的なものを様々な刺激的快楽として受け取っている。
そして、その二つの刺激のみに熱中し、入り込むあまり、バーチャル世界こそに私という人間全てが存在すると感じてしまう。
しかし、実際には大きな身体の中で目と耳を介して思考だけが画面と繋がっているに過ぎない。
人間には五感だけでなく、様々な感覚器官によって生命を維持している。
snsやインターネットの感覚を引きずったまま現実世界を生きようとしてしまえば、二つの器官以外を無視した思考や感覚に囚われて、それは余りにも退屈な時間になってしまう。
世の中に主観的で退屈な時間が増え続けていくのだ。それはバーチャルな世界を生きる人々には辛いだろう。
人生は短いというのに、世界はこんなにも視覚的、聴覚的に刺激が足りないではないか。
と、実際に多くの現代人がこのニ器官に囚われた時間感覚を持ち始めたためにタイムパフォーマンスという造語が生まれ、映像を倍速で視聴し始める。
しかし、現代人は満足出来ない。何故ならそれは視覚的かつ聴覚的な刺激に過ぎないからだ。その中に脳を刺激する情報があったとしても人間にとっては二つの器官からの受容に過ぎない。
いつまでたってもこの私という身体は満足を得ないまま、一時的で限定的な快楽を受け止め続けている。
そんな、目で見えて、耳で聞こえるという時間的焦燥感に苛まれる現代人こそ、
バーチャルな世界と現実世界との感覚器官的な区別をもう一度再確認することが必要ではないだろうか。
生命とはなんなのか、生きるとはなんなのか、、私は常に何を受け取って、何を感じて生きているのか。
どんな刺激を受けてここに存在しているか、それを再認識して初めて、もう一度この世界を見直すことが出来るのでは無いだろうか。
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