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今、瀬戸内から宇沢弘文〜島とアートをめぐって考えたこと

7月19日に直島から発信された『今、瀬戸内から宇沢弘文〜自然とアートから考える社会的共通資本〜』オンラインフォーラム。

「人の心」と「自然」を大切にした経済学者・宇沢弘文さんが提唱した「社会的共通資本」をベースに、農・数学・教育・アート…さまざまな切り口からこれからの社会のあり方を模索するという超ホットなフォーラムでした。

社会的共通資本(Social Common Capital)とは?
すべての人々が「ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会の安定的な維持を可能にする自然環境と社会的措置のことで、これを社会共通の財産」とする考え方。

わたしは現地でアテンドさせていただくことに。開催前から直島に入り、多彩な登壇者そして福武財団のみなさまとアート作品を巡りダイアログする…という濃密な時間を過ごさせていただきました。

そしてフォーラム当日は参加申し込みが1400人超!越境する知性が一堂に会するエキサイティングな3時間。知的な刺激がスゴイ。

たくさんの示唆をいただいたのですが、感想を一言でいうならば「人間として生きること」にさわやかな希望を見出せた、という感じ。

「人間らしさ」というのは実は個人的にはずっとキーワードで、会社員の頃から「人間らしく、愉快に」をモットーにしていたものの、ぽわっとしたイメージだった「人間らしさ」。

フォーラムを経て「人間らしさ」=イマジネーション/わかりあえなさのトランスレーション/身体性(五感)と解釈したとき、可能性を大いに感じられたのでした。まだまだ行けるぜ、人類。いや、むしろ、この先へ行くresponsibility(応答可能性/責任)がある。Go人類, Never Settle.

これから人間としてどう生きるか?/「サバイヴ」の思想

今回、故・宇沢先生の思想をベースにセッションが組まれましたが、命題は『これから人間としてどう生きるか?』だと受け止めました。

ベネッセアートサイト直島(直島・犬島・豊島)は、自然とアートのなかで自分自身と対話し、思惟する場所として、ベネッセホールディングス名誉顧問福武總一郎氏のリードで開発されてきました。

現在わたしたちの置かれた状況を見渡せば、新型コロナウイルスの流行、自国中心主義、止まらない環境破壊…と、楽観できない有様になっています。

経済学者・宇沢弘文先生は「人間の心があってはじめて経済が動く」「豊かな社会に欠かせないものは金銭に換算できないし、ましてや利益を貪る対象としてはならない」と繰り返し訴え、行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らしてきましたが、このような状況下で、『よく生きる』あるいは『共に生きる』というテーマがこれまで以上に切実に問われています。

フォーラム前に登壇者の方々と訪れた犬島で、「人口が減っていく中で、『成長』ではなく『survive(生き残る)』が求められるのではないか」という登壇者・鈴木寛さんの言葉が心に残りました。

犬島は車が走っておらず、ゆったりとした時間の中で風を感じながら歩ける島。もともとは採石・銅製錬業で栄えた犬島は、経済変化による企業撤退、住民の減少や高齢化が進み、一時期6000人あまりだった人口も現在50人を切るという「近現代の日本の縮図」のような島です。

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豊かな人間関係の中で、ロジックだけではなく感性を大事にし、風や土を感じる…つまり、「人間らしい」生活のほうがしなやかにサバイヴできることは、新型コロナ流行で痛感したことでした(特に、3月頭に東京から自然豊かな福岡・津屋崎に引っ越した私としては)。

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「わからなさ」からはじまる問いかけと応答/教育とアート

心地よい緊張感の中で、いよいよ迎えた当日。第1のセッションでは「変革する社会と未来にひらく教育」について議論されました。(鈴木寛さん×ドミニク・チェンさん×宮口あやさん)

現代はVUCAの時代=先行き不透明な時代、権威なき世界と言われています。そのなかで、「わからない」ことがたくさん出てくる。すずかん先生こと鈴木寛氏が「わからないことをビビるな!」と言います。「わからない」ことから対話がはじまるのだ、と。

フォーラム前にもバスの中や食事の場ですずかん先生とお話をさせていただいたのでわかりみが深かった。わたしは詩のソムリエをしていますが、小中学校の詩の授業の目標に「◯◯ということがわかる」とあるのを目にします。でも、45分の授業で生徒の大半がわかるわけがないのです。すぐにわかってしまうほど浅くない、それぞれが生きる中で「いつか」わかるかもしれないもの、それが詩なのに、あまりにも「わからない」を恐れすぎ、「わかった」としてクローズしようとする。でもそれがいかに対話と想像を閉じてしまっているか。詩のソムリエとして痛感する場面がよくあります。

フォーラムの中で、「わかる」は「分かる」、つまりサイエンスの世界であり、いまは「わからない」(アート・詩の領域)こそが未来を考える上で大事なのだと再確認しました。これまでの「豊かな生活」はGDPやエンゲル係数などの指数があって「わかる」けれど、これからの豊かさは「わからない」世界なのかも。これも宇沢先生が市場で交換不可能な豊かさを説いていたのと通じる話だと思います。

また、教育に関して「習得する」ではなくて「問いかけと応答」をくりかえすトレンドに変わってきており(TeachingからLearningへ)、直島のサイトスペシフィックなアートはまさに自然と人との間にあって「問いかけと応答」をくりかえさせる装置なんだと理解。

アートが近年ビジネス、医療、教育などに食い込んでいるのは、「問いかけと応答」の装置だからとも言えるのかもしれません。

ドミニク・チェンさんがご自身は何人なのかわからないアイデンティティの浮遊のなかで生きてきて、アイデンティティの変動を楽しむということを話していたのも、固定するのではなく変動しながら「問いかけと応答」を繰り返すことに豊かな可能性があるのでは、と気づかされました。

「わからない」で閉じない。「わからない」を前提に対話をくりかえすことに、人間の価値があり、大きな可能性がひらけていく気がします。

ぼくたちは、生きていい。喜びのマネジメントとしてのエコノミー

第2セッションは、ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャーであり協生農法の実践者である舩橋真俊さん×数学者の森田真生さんの「とりまくものたちと生きる ~文化・科学・生命~ 」。

多様性を重視する協生農法によって、アフリカの砂漠を生態豊かな農園へと変身させる検証実験に成功している舩橋さんのお話からは、「人間がいることで生態系が豊かになるのかもしれない」という可能性を感じました。

また、森田さんからは「これからの経済は、人間だけではなく生命全体で社会的共通資本を作っていく責任(responsibility)がある」「生き物の声にも耳を傾ける必要がある」という話が。

モデレーターの渋澤健さんからは体感していないけど未来をイマジネーションできるのは人間だけ(cf.チンパンジーは過去の経験からの推定しかできない)との指摘も。

森田さんの引用された「すべての存在の喜びのマネジメントとしてのエコノミー」(ティモシー・モートン)という言葉は、「いま・ここ」に可視化できないものたちの幸せや豊かさを考えるイマジネーションをもつ人間の可能性に満ちていて、胸が震えました。

そのなかで、「アート」は「いま・ここ」に可視化できないものへのイマジネーションを開き、対話させてくれるツールでもあるのかもしれません。

たとえば、李禹煥の「無限門」。そして手前におかれた石。

これらがあることで、認識をクリアにさせ、見えていなかった美しさを見ることができるようになります。さらには、沈黙する石との豊かな対話も可能になります。

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最後に、モデレーターの渋澤さんから「人間としてどのように『よく生きるか』」とパネリストの二人にご質問がありました。森田さんからは「ぼくたちは、生きていいと思うこと。それを次世代にも感じてもらうこと」。舩橋さんからは「自分の生き方を自分で決めること」という答えが。

これもまた感動的でした。環境破壊も、行き過ぎた資本主義も、戦争も、すべて人間が巻き起こしている。新型コロナ流行で空気や水がきれいになっているのを見ると「むしろ地球にとって人間がガン細胞のようなものでは…?」と思うくらいだったけれども、楽しそうにお話されている森田さん・舩橋さんのエネルギーに触発され、「人間は生きていいんだ」「人間らしさ(イマジネーション)を発揮したとき、もっと多様で豊かな社会になるんだ」と思えました。

舩橋さんは、「三歩進んで二歩下がったら、『一歩進んだ』ではなく『五歩歩んだ』のだ」とおっしゃっていました。進化する、ではなく迷いながら歩みを止めないこと、サバイヴすること。Keep Looking, Don't Settle.(見続けろ、立ち止まるな by Steve Jobs)

もうひとつ、フォーラム前に印象的だったのは、美術館をアテンドしてくださった福武財団の脇さんとの会話。

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わたしが「かぼちゃ(草間彌生さん)があることで風景が特別なものにフレーミングされますね」と言ったところ、脇さんがほほえみながら「かぼちゃもこの風景に置かれて、よろこんでいるんだと思います」と。

直島のアートは「サイトスペシフィック」…アートを置く場所と文脈にとことんこだわった展示がなされていて、それは唯一無二で交換不可能な価値を生み出していると同時に、「もの」にとっても幸せなありかたなのだ、と目からウロコ。

人間以外の豊かさを考えられるのは人間らしさ。これからの経済は、イマジネーションをフル活用して「豊かさ」を存在全体につくりあげていくこと。

宇沢先生が大切にした「リベラリズム」には、「他者の自由を奪わない」という高い倫理観が求められていますが、やはりそこでも「他者」に対するイマジネーションがキーになってくるのでしょう。

ちょっと泣きたいくらい、「人間として生きる」ことの可能性についてのすばらしい示唆をいただけたと思います。

改めて、詩とアートの可能性。

さいごに、じぶんの「詩のソムリエ」としての活動に寄せての感想。

人間にはここにないものを感じる力がある」、これはフォーラム前に森田さんが芭蕉の句を使って話してくださったことですが、詩はまさにその力を高めるものです。

「花も紅葉もなかりけり」といったとき、「ない」と言っているのに脳裏に桜や紅葉の絢爛なすがたが浮かぶ。そして色彩や肌感覚すら思い出す。あるいは、人間以外の生きものの気配を、自然のパワーを濃厚に感じ取る。

モデレーターの渋澤健さんの高祖父にあたる渋沢栄一さんは、「論語とそろばん」という言葉を使って人の心と経済の両輪をまわすことを説いています。わたし自身も「詩のソムリエ」とはいえ1人のビジネスパーソンとして経済(経世済民)、つまり社会をまわしていくことは超大事だと思っているのですが、ただ、「イマジネーション」「人の心(人間らしさ)」をないがしろにしすぎて不幸に、歪になっている現状を見るにつけ、渋沢栄一さんや宇沢弘文先生の理論は大切だと思うし、人の心を取り戻させてくれるのはやはり詩だしアートだ、と思いました。

詩とアートをツールに、ひとりひとりがその人らしくいられる、豊かな社会をつくっていく。
100年後、200年後の未来のために。

そんな思いもまた強くしました。

自然とアートにかこまれ、人間らしさをぐっと高めたのは直島のおかげ。改めて、あの場にいられたことを心より感謝します。宇沢国際学館のみなさま、福武財団のみなさま、ベネッセホールディングスおよび直島文化村のみなさま、株式会社meguri杉本様、本当にありがとうございました。

※フォーラム当日は事務局対応でバタバタしており、しっかり聞けなかった部分があるので理解が不足している点はあると思います。あくまで私個人の理解・受け止めです。

総合モデレーターの渋澤健さんのブログ。(ご本人、チャーミングで優しいお方でした・・・)


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