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【衝撃の出会い】一冊の本からはじまった恋と人生は続く。

寺山修司(1935-83)青森生まれ。俳句や詩を10代からはじめ、短歌、演劇、ラジオドラマ、映画監督など様々なジャンルで活躍。

寺山修司の初恋の人?!

今冬、脳天を宇宙からなぐられるくらいに衝撃的な出会いをした。

取材で長崎に行った際に、ドライバーのKくんの同級生も呼ぼうよ、ということになり電話したら来てくれたHくん。

学生のとき戦後詩の研究してたんだよね、という話をみんなとしていたら、2軒めのバーで、

「あの、ちょっと話していいですか」とHくん。

「自分のばあちゃんが、寺山修司の初恋の人なんです」

……?

耳を疑った。
わたしは大学1年から大学院までずーーっと寺山修司を研究していたのだ。

でも、ここは長崎…取材の仕事終わり…
しかも、「戦後詩」を研究したとはいったけど、寺山修司というワードは出してない。 

頭グルグル。

聞けば、彼の母方のおばあさまは10代から俳句をしており、寺山修司が10代の頃発足させた俳句の同人誌『牧羊神』の仲間でいらした。

転げ落ちそうなくらい驚いた。

寺山修司研究から手を引いて5年以上経つ。
それなのに、こんなところで、寺山修司の初恋の人の孫に出会う。
「戦後詩」というワードから寺山修司の話が出てきた(寺山は演劇や映画、短歌のイメージが一般的に強い)ことにも驚く。

信じられない思いで夢中で話を聞いていると、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」がバーでゆるやかに流れはじめた。

不思議な話だが、人生の節目でシナトラのマイ・ウェイがどこからともなく流れる。はじめは上京した日に上野公園で、2回目はアメリカでインターンしたときにカーラジオで、そしてこれが3回目。

実は、去年もドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤さんと前橋文学館に行ったとき、寺山修司国際学会の事務局の方とたまたま夕食の席が向かいになり、《どうも、研究つづけなくちゃいけないなぁ…》とは思ってたんだけど…そんなことを思いながらおばあさまと会える日を待った。

その間、また分厚い寺山修司の本を取り出す。舌を巻くほど天才だなぁ…というのと同時に、10代でネフローゼ(当時、死にいたる病だった)にかかり、苦しみながらも創作に打ち込み手紙を書いた寺山の命の灯に心打たれた。

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いよいよ、初恋の人に会う

12月、Hくんの尽力でおばあさまに会えることに(感謝!)。

これまで取材を受け入れなかった方と聞いていたのでド緊張。

一週間前くらい前から研究と興奮のためほとんど眠れず、会う前には緊張のピークで吐いてしまった(笑)

どんだけー。

そうして出会えたT子さんは、目がキラキラ輝く、笑顔が可愛い素敵なおばあさまだった。

5時間お話が尽きず。

いまでもずーーっと、寺山修司のことが心に生き続けてるんだな…と思えるお話が続き、二人してぽろぽろ泣いた。(この話はいずれちゃんと別の形で)

お互い好きだったけど、手もふれることがなかったそうだ。

でも、そんなのいい。
ずっと好きでいられる人に出会えた、それだけで尊い。

1冊の本との出会いが、人生になっていく

手元に、もうボロボロになった寺山修司少女詩集がある。

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ろくに本を読んでなかった16歳だった。

スピッツのCDを借りようとして入ったショップの文庫本コーナーで、たまたま手にとった。目立つように置いてあったわけでもなかったのに、なぜか本棚から抜き出して手に取り、ひらいたページにあった詩を一遍読んだとき、ふっと涙が出た。なぜ涙が出たのかわからなかった。それでそそくさと胸に抱えてレジに直行した。

あの日からもう15年たつ。

大学1年のとき寺山修司の詩について書いた論文が、博士課程の学生たちもおさえてコンテストの金賞をとった。そこから「寺山修司研究に一生捧げるゾ!!!」と決め、寺山修司が読んだ膨大な本を追いかけて読んだ。シュペルヴィエル、ロートレアモン、シュペングラー、泉鏡花、ラブレー、フーコー…片っ端から。藤井貞和先生をはじめとする研究者や元配偶者である故・九条映子氏と会い…と、さまざまな出会いをした。

そして今、寺山修司が胸を焦がした女性に会えた。寺山修司の本を出すという、手放したはずの夢が急に手のうちに返ってきた。手のひらの中があたたかい気がする。

15年前の、たった1冊の本との出会いがここまで人生に立ち上がってくるなんて、心底ふしぎだ。そして美しいと思う。

今でも、信じられない。

いっしょうけんめい生きてきた、だから出会った

ところで、わたしは17のとき腰椎粉砕骨折し、「あと3センチ(打ちどころが)ずれていたら死んでた」というギリギリで生きた。
T子さんも、ガンやクモ膜下出血をへて、今ここにいる。

もっとたどれば、Hくんの父方の祖先は長崎の隠れキリシタンだったらしい。(T子さんは母方の祖母)

「自分が生きてるってことは、先祖がピャッと踏み絵したってことだと思うんすよね」と、Hくん。

その「ピャッ」はそうとう心が傷んだろうけど、でも、そのおかげで命がつながって、つながって、なぜか巡り合って、T子さんに出会えた。

なんてかそけき糸と糸とがつながって交差していくものだろうか。

いったいその糸は、どこからはじまったのだろうか。

人生ってこんなふうなものなんだろうか。

生きて、出会えるって、言葉にできないほどすごいことだな。

それもこれも、わたしが生まれるときには亡くなっていた寺山修司が、人の心の中で、作品の中で、生き続けているからでもある。

すごいなぁ、ほんと、あなたは。参っちゃう。

冬の晴天を見上げる。

ずっと恋をしている、郷愁のように送りどころのない恋を。

寺山修司が照れた顔で笑ってるような気がする。





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