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2021.3.15. 無頼の詩人、田村隆一が語る自由な生き方(1)

詩人の田村隆一は、大御所とみなされる人物でした。
1993年、雑誌「ダ・ヴィンチ」の編集長が大ファンとして話を聞きに行った時の記録が本にまとめられています。


まずは、田村晩年の詩からご紹介します。

私の生活作法
木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか
見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空に向かって
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない

全文ではないのですが、引用しました。

では、彼の磊落(らいらく)な、鷹揚(おうよう)で楽しげな語りに耳を傾けましょう。

第六話 教養
極端に言うと──。
自分が実際に経験した辛いこと、痛いこと、面白いことを素直に次の世代に伝えるのが、教養なんだよ。いろんな本から引用してしゃべることを、ぼくは教養と思っていない。

詩の図書館もびっくりです。

時間がかかるんだよ、教養は。五、六年で教養人なんて、みんなニセ者だよ。
いいかい、骨身に染みて初めて身につくんだよ、教養は。そうすると、男でも女でも良い顔になるね。特に、男はね。ブ男でも四十ぐらいで、本当にいい顔になってくるから、教養とは不思議なものさ。

次は、旅の話です。

第七話 旅
旅は一人旅に限る。
そしてね、遊ぶということと旅とは、非常に似ているところがあるんだな。遊ぶということも、また、未知との出会いなんだよ。だから、遊ぶ。
昔は、"留学" とは言わなかった。
"遊学" と言ったの。"学" に "遊ぶ" んだよ。遊そのものに、旅という意味があるんだ。
だから、淑女にもの申すぞ。
「よく遊び、よく遊べ!」

田村隆一は、「昔は女の一人旅は危険でできなかった」と言いつつ、現代の(1990年代半ばの)女性にこう言ったのでした。


そういえば、「詩の図書館」の管理人は、大学時代に「ひとりでロシアを旅した」学生に会ったことがあります。二十歳前の女性でした。

彼女は、シベリア鉄道に乗って二週間くらい、モスクワまで汽車に揺られました。日本から持ち込んだおにぎりを、ずっと食べていたそうです。

東の端のウラジオストクあたりから乗ったのです。それで、なにをしに行ったのか、聞くのを忘れました。


最後に、手紙について。

ハイテクノロジーによって表出された美術(アート)に、デカダンスがないのはそのためさ。便利さの追求、進歩がすべてという強迫観念から生まれた技術では、モジリアニやゴッホの作品を真似することはできても、生み出すことはできない。
だからさ、せめて手紙を書こうよ。自分で見つけた表現で、言葉で。できるだけ安定した自分の字で、手紙を書こうよ。
たまには、いいだろう。
なっ。


『言葉なんか覚えるんじゃなかった』田村隆一(語り) 長薗安浩(文) ちくま文庫


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