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ミヒャエル・エンデ『モモ』(11)ほんとうの孤独とまれな豊かさ

モモは、カメのカシオペイアとともに町へ出かけました。友だちに会うためです。

はじめに、仲の良かった居酒屋のニノの店に行きました。そこは、

ファストフード レストラン ニノ

に変わっていました。かつての古ぼけた店は、ガラス張りでおおぜいがひしめき合っています。順番を待つひとはみな、イライラして、モモとぶつかり、早くしろ、と言っています。

ニノはたくさんの食事をモモに持たせてくれましたが、ほとんど話はできませんでした。

それから、モモはジジを探しに行きました。高級な住宅街では馬鹿にされましたが、おしゃれな車がすっと止まり、ジジが飛び出して来ました。

「ほんとにまちがいなく、ぼくの小さなモモだ!」

ジジはモモを高くだきあげ、何百回とほおにキスをしました。

「ごめんね。でもぼく、ものすごくいそいでたんだよ。」

ジジはひとりでしゃべり続け、モモを車に乗せ、飛行場へ着くまでの間に話をしようとしました。

運転手のほかに、3人の女のひとが車に乗っていました。

「すぐに新聞社に連絡しましょうよ!<おとぎ話の王女さまと再会!>とでもやれば、みんなはおおよろこびしますからね!」

ジジはかたくなに拒否します。二番目の女のひとが言いました。

「わたくしたちにはどうでもいいんですのよ。仕事としてやってるだけなんですからね。」

ジジにうながされて、モモがマイスター・ホラの話をしようとすると、三番目の女のひとが言いました。

「ぜひともモモを映画会社にひきあわせなくちゃいけませんわ。」

そんななか、

ジジはつかれはてたように、目をこすりました。
「ぼくはもうおしまいだ。おぼえているかい、<ジジはいつまでもジジだ!>、ぼくはそう言ってたね。」
「ぼくにはもう夢がのこっていない。」
「もうすっかりうんざりしちゃったんだ。」
モモはただジジをじっと見つめました。なににもまして、ジジが病気だということ、死の病にむしばまれているということが、よくわかりました。
でもジジになんとかしようという意志がぜんぜんないいじょう、
モモにはどうしていいかわかりません。

車は飛行場に着き、飛行機がもう出発する、ということになりました。

ジジの目に涙がうかびました。

「ぼくといっしょにいてくれ! こんどの旅行にも、これからさきどこにでも、きみをつれていくよ。ぼくのすてきな家に住んで、」

ずっとふたりでいよう、とジジは誘うのです。

モモはジジの力になってあげたい気持ちで、いっぱいでした。そうしたくて、心がうずくほどでした。けれども、いまジジの言ったようにしてはいけないと感じました。
モモの目にも涙があふれました。

モモは横に首をふり、

ジジにはモモの気持ちがわかりました。

ジジはいなくなりました。もう物語の最後のシーンまで、登場しません。モモはジジと会っている間、ひと言も口をきけませんでした。

そして、気づきます。カシオペイアともはぐれたことに。


ほんとうに一人ぽっちのまま、数ヶ月が過ぎました。
円形劇場で、豊かな歌を歌いました。それはどこから来るかというと、

マイスター・ホラのところですごした時の記憶、あの花と音楽のあざやかな記憶です。
そしてさいしょの日と同じように、そのことばをじぶんで口ずさみ、メロディーを歌うことができました。

それはしかも、日々新しくなることばとメロディーなのです。

孤独というものには、いろいろあります。でもモモのあじわっている孤独は、おそらくはごくわずかなひとしか知らない孤独、ましてこれほどのはげしさをもってのしかかってくる孤独は、ほとんど誰ひとり知らないでしょう。

物語のこの章は「ゆたかさのなかの苦しみ」と題されています。

モモはまるで、はかり知れないほど宝のつまったほら穴にとじこめられているような気がしました。
ときには、あの音楽を聞かず、あの色を見なければよかったと思うことさえありました。
それでも、もしこの記憶を消し去ってしまおうと言われたとしたら、どんな代償をもらおうと、やはりいやだとこたえたことでしょう。たとえその記憶の重みにおしひしがれて、死ななければならないとしてもです。
もしほかの人びととわかち合えるのでなければ、それをもっているがために破滅してしまうような、そういう富があるということ

それをモモは知ったのでした。


『モモ』ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳、岩波少年文庫、2005



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