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好きだったもの、今でも好きなもの。

小学生の頃は、毎日リコーダーを吹いていた。
教科書に載っていた楽曲はすべて完璧に吹いた。
私たちの時代、どのクラスにも1人はいた〝ピアノ習ってる少女〟
音楽偏差値が突出した少女である。
マイリコーダースキルは、その子に伍す勢いだった。
これには天敵中の天敵だった音楽教師も舌をまいた。
音楽教師はヒステリーが服をきているような、中年女性の教諭だった。

何かと目の敵にされ、何がなくても罵倒された。
でも俺の音楽の才能は猛烈に買ってくれるよくわからない人だった。
小学校でトランペット部隊を結成したい、という熱烈な人で
そこにも招聘された。トランペット吹きの休日がふけるまで上達したが、
あっという間に飽きてしまう。
↑の教師のテンションについていけなかったのだ。
先生に気に入られでもしたら、そのまま音楽の道に進んだかもしれない。
だけど、それはどうでもいいことだ。

今ではドのときどの穴を塞ぐかも曖昧だ。

大相撲も好きだったがまったくみなくなってしまった。
少年ジャンプは、四半世紀以上前に読むのをやめた。
ドラゴンボールが終わり気が抜け、るろ剣がトドメとなった。
少年マガジンはもう少し続いたが、やはりやめてしまった。
ヤンマガ、ヤンジャンに変わったのだが、今ではどちらも
やめてしまった。マンガは作品ごとの購入に変わった。

そういう意味で、マンガは今も好きなものなのかもしれない。
小学校のころ親に隠れて徹夜した「ドラクエ」
今、ドラクエウォークとなって継続されている。

連ドラもほぼみなくなったが、それらはNetflixという
倍速機能もつき、どこでもみられるものに変わっただけだ。
むしろ、海外のドラマが増えて幅が増えた。

ただ、自分にとってマンガもドラマもゲームも
積み重ねがない。ただ楽しいだけだ。
だから続くのかもしれない。
でも成すべき何か、ではない。のかもしれない。

自分だけでなく、人との付き合いで変わってないこと、
変わったこと、みたいなことを考えてみる。

成長するにつれ、友だちは変わっていったが
自分の人に対する接し方は変わってない気がする。
〝あいつ変わっちまったよな〟より
〝あいつ、変わんねぇなあ〟の方が私だ。

好き以外でも、自分が他者とどう関わってきたか、
そのあたりも成すべき何かの原石が潜んでいるのかもしれない。

つづく


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