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#12 異性からの愛というもの

お久しぶりです。

文章を吐き出したくなったので久しぶりに書くことにしました。
有難いことに自分は実際に紙とペンを持たずとも、こうしてデジタル文字でも「書く」という行為を成立させられる性分なので、相も変わらず長々と書くことになりそうです。

あなたが異性に感じる愛ってなんですか?

ほんと、今回はこの一文に尽きるのですが。
異性に愛を感じない、とかそもそも異性とは、という話題は少しだけ置いておかせてください。

わたしは女性を自認して、恋愛対象は男性です。

という前提で話を進めます。

この間、今そばにいてくれるパートナーに性的感情を覚えられなくなりつつある自分に気がついてしまいました。
その場、その日だけなのかはまだ不明です。
向こうがどう感じたかはわたしには分かりかねますが、自分的には結構ショックな出来事で。

安心感、家族みたい、という感情がかなり大きくなっているのと同時に、なくなりかけている感情があることは知りもしませんでした。

で、最近の日々を悶々と過ごしているというわけです。
いや、大好きなんですよ。本当に。

異性に感じる愛ってやつが安心感だとしたら、長続きするカップルとか、パートナー同士とか、どういう風に性的感情を維持しているのでしょうか、それには努力が必要なのか?

カンちがいした愛

で、一つ思い当たったことがあるんです。
私は思春期に入るくらいから、父という存在からの愛を実感できた試しがないのです。

成長において、生きてくるにおいて欠乏している愛情を、パートナーに無意識に求めているのではないか。
つまりそれはあくまでも愛情であって、性的感情ではないのではないか、ということです。

逆に幼少期はある程度可愛がられていた実感がありました。幼いながら父が描く父親像を満たすために発言したことも行動したこともあります。
ただ、私にも自我が出てきて、父の思う通りに行動しない、こちらからアクションを起こさなくなってからというもの、前述した通り、受け取りたかったはずの愛を落としているように思います。

今、悲しいという思いはありません。
むしろ、他方でマイナスの感情があるので父としては血縁上でさえ認めたくないと思うほどです。

ただ、その、異性から愛されるという実感を、わたしはどこかで間違えて理解してしまったのかもしれないと、成人してから自覚してしまいました。

思い当たること

例えば、中高での恩師。
特別扱いに喜びを感じ、恋愛感情ではないけれど、気に入られているというところに縋っている部分があったのは事実です。

ある時は、バイト先での社員。
自分より10歳くらい上で、顔も見たくないとか一生喋りたくないなんて思うことも多々ありましたが、基本好きベースでコミュニケーションを取っていたように思います。これも好きっていうのはLikeですけど、年上のお兄さん的な存在に好かれていたいという気持ちです。

他にも中学受験の時の個別指導してくれた先生とか、身近なところだと先輩とか、色々です。

このよくわからない憧れとか安心感とか嫌われたくないという気持ちが全て混ざって、私は恋愛感情をどこかで間違って覚えてしまったのかも、という思いが最近ずっと頭の中を巡っています。

だとしたら、果たして愛とか恋とかってなんだ?好きってなんだ?一体恋愛感情ってなんだ?もうわたしには覚えることができない感情なのか?なんなの?

思い当たるフシがあるからこそ、ただただモヤモヤとしているこの感じが心地悪くて、さっさと黒歴史的な笑い話にできる日を望むばかりです。

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