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しなぷしゅのおかげでスラムダンクに再会した

※映画THE FIRST SLAM DUNKのネタバレを含みます。

昔、仲良しだった子が今どこで何をしているか全く分からないレベルで疎遠になることは30過ぎると珍しくなくなった。
その反対に、当時あまり接点も無かった子と社会人になって再会、実はすごく気が合って一緒旅行するくらいの仲になったパターンもある。

スラムダンクは後者だった。

引き出しから飛び出した記憶と新たな視点


5月某日。子育て世代の相棒、Eテレおかあさんといっしょの横を独自路線で走るテレ東の赤ちゃん向け番組「しなぷしゅ」の映画を観に行った。

シナぷしゅ THE MOVIE ぷしゅほっぺにゅうワールド

ママ友曰く「玉木宏に、にゅーしか言わせない最高の無駄遣い」に大きく頷いた私。(小さな子に配慮された環境で、あのキャラやあの映像が大画面で楽しめるご機嫌な作品でした)

我が息子映画館デビューという記念すべき日、席予約が便利そうだと久しぶりにチケットサイトを開いて驚いた。
スラムダンクが上映している。
そう「THE FIRST SLAM DUNK」

「映画化したんだってねー。」って話をしたのは去年だった気がする。
長くない?

私はギリギリのリアタイ世代だ。
記憶は曖昧だが、兄が買った原作も読んでいる。
アニメはちょうど小学生の頃。
土曜の7時半、セーラームーンの後だったような。
給食の時間には大黒摩季の「あなただけを見つめてる」が流れて(小学校の給食で聞く歌じゃない)
アンビリーバブルの物真似をする友達がいた。


正直、90年代特有の熱くギラギラした雰囲気は苦手だ。
一方で臨場感のある試合の描写。
一見近寄りがたいのに惹かれるキャラクター像。
30年近く経つのに、1つ1つが強烈な印象を残す漫画って凄いなとも感じる。

これだけ長く上映されるには理由があるはずとネットの海を漁ってみたらもうダメだった。
ここは令和。広がる情報の太平洋。

主役が花道じゃない?
沖縄?ソーちゃん、アンナってだれ?
トドメは誰も知らない宮城家の話。
人間ドラマ、家族の影を描いた作品に弱い私はチケットを取るしかなかった。

誰とも違う闘い方

宮城リョータというのは、彩ちゃんに関わる事以外は飄々としているイメージで内向的な姿を描かれていることに驚いた。
灯台のような存在を亡くしたばかりの前半は正に彷徨っている状態。
30年前はピアス付けたやんちゃなお兄さんに見えたけど、今はもう親目線で心配だった。

ヤスが友達でよかったね…
ゴリが分かってくれてよかったね…

「河田は河田。赤木は赤木。」
自分に厳しい一面を持つゴリは、相手の力を間近に感じた時、内面から揺らぐ場面は優等生の彼らしくもあった。

映画のリョータの心の声を聞いていると、意外にも彼もまた敵味方問わず周りの実力に誰よりも心動かされ時には動揺する。
「心臓バクバクでも平気なフリ」
ソータが残した言葉は人生のお守りみたいなものだろうか。
彩ちゃんが掌に書いてくれた文字を見るのもそう。
花道のように一直線に突き進む主人公タイプでもなく、流川のように才能と貪欲さで突き進むタイプでもない。
17歳で「自分に必要な経験をください」なんて達観したことを願える沢北とも違う。

時に立ち止まりながら、誰かの存在や言葉をお守りにして道を切り拓くのがリョータ。
それがとても好ましく、令和に彼を主役に据えた理由が分かった気がした。

一方で「河田は河田〜」「引くなよ宮城」等、いいタイミングで言葉をかけてくれるミッチーが「俺は誰だ」状態で彼のアイデンティティに全く無関係の松本が巻き込まれている様が映像で見られて笑ってしまった。いつだって三井の敵は三井。

スピード感ある試合展開と人の凸凹の部分や、性格のごちゃ混ぜ具合もバランスよく描かれていて魅力的だ。

母と妹のこと

私自身、今は男児の母親、きょうだいの中では妹で、家族内コミュニケーションが取れない家の娘でもあった。
だから母カオルと妹のアンナ2人の視点からどうしても書きたかったことがある。

母親とリョータの関係は分かりやすく不器用だ。
ラストの砂浜まで2人は直に視線を合わせることがなく多分この2人は家族の中でも似ている。
感情を外に向けずゆっくりと時間をかけて昇華していくタイプだからこそもどかしい。

リョータの手紙には
「生きているのが自分でごめんなさい」から思いとどまって「バスケだけが心の支えだった」と書き換え、それを読んだカオルさんの後ろ姿が印象的だ。

作中で神奈川に来た理由は語られないが、私はリョータの為でもあると思っている。
沖縄のコーチらしきのおじさん達の会話からリョータは「ソータの代わり」を生きてしまうのかもしれない。
でも喪ったことを受け入れきれない自分が、リョータらしく。なんてあっけらかんと言えるほど強くはない。
場所を変えて、時間をかけて向き合っていくしかない事を彼女は分かっていたはず。

ソータに「この家のキャプテンになる」と言われた事で、もっと子どもらしく過ごせる時間を与えてあげたかったとか後悔も感じているのか。
リョータに関しては、すれ違いというより自由に好きなこと(バスケ)をして欲しいという気持ちを持ち続けていたと思う。
その愛情がうまく伝わらないというのが未完成な10代特有の難しさだと自分達の少し先の未来を考えた。

本作のMVPは宮城アンナ

宮城家の太陽とも言える妹アンナだが彼女のバランス感覚はすごいの一言。

誕生日のシーンで「ずっと3歳差、もうとっくに追い越してるのに」
「ソーちゃんの写真も飾ろうよ。顔忘れちゃう」とカラッとした口調で伝えている。
(本人は聞こえてないけど)リョータに向けられた言葉と、母に向けられた言葉。
母と兄が話題に出したがらないソータの死を彼女は一人「過去」として正面から受け入れている。

「父とソータがいた事」「3人で暮らしている今」両方とも大事だから写真飾ろうよ。毎日家族の顔見たいじゃん。
そんな気持ちなんだろうか。

鑑賞後、Twitterでアンナとリョータは2歳差だと知り母の「8年経つんだね」という言葉の意味が分かった。
アンナが今中学3年生なら、彼女の人生からソータがいなくなった時間の方が長い。
「そーちゃんは遠い島で一人で暮らしている」と純粋な目で伝える小さな子は、いつの間にか兄を悼み遺された家族の心の舵取りをする聡明な女の子になった。
おそらく毎年の習慣であろう誕生日ケーキもアンナがいなかったら続いていない。
「ソーちゃんとリョーちゃんのケーキ買ってきてあげたよー。一番大きい所は私ね」と毎年同じトーンで部屋から兄を引っ張り出していたんじゃないかと思う。
私だったら「ありがとう、ごちそうさま。くらい言いなさい」とか
「お皿片付けろ」とか小言漏らしそうなのに…。ちょっと面倒くさい高2男子の扱い方を心得ている。

最後の海で戯れ合う姿は、沖縄にいた時のような無邪気なきょうだいの様で微笑ましく、羨ましかった。
リョータよ、アンナちゃんの誕生日はしっかり祝ってあげるんだよ。あと、食べ終わった食器はせめて流しに運ぶんだ…

ロングラン効果は絶大

どんなに世間が盛り上がっていても、5月中旬にしなぷしゅを観に行くまで全くスルーしていたスラダン熱にあれよあれよとハマっていきこの短期間で2回観に行った。
半年ぶりに映画館に連れ出してくれた、しなぷしゅ、テレ東関係者の方々には感謝。

そしてTHE FIRST 製作陣、応援上映や限定配信などファンを楽しませる仕掛けをしてくれる関係者の方々、何度も劇場に足を運んだリピーターさん。
スラダンとは小学校時代少し会話したくらいの関係だったアラサーが、見事にロングランの恩恵を受けています。

はー。人生っておもしろい。

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