やさしいものさがし
花粉症と風邪のミックスで、どうにもぼんやりと体調がわるい。
そんなときは文章も、やさしいものしか読みたくないし、書きたくない。
やさしいもの、やさしいもの。
頭の中にはいちご大福とか、ペコちゃんのほっぺとか、マシュマロとかがぽこぽこと浮かんでくる。
手元にあればそれについて存分に描写したいところなのだけれど、あいにくないので、なんだかなあとなる。今日は買いにいくほどの元気もない。
お菓子の棚をのぞいてみると、いかみりんせんべいとチョコパイ。うーん。
いかみりんせんべいは元気なときには大好きだけれど今日の気分ではないし、チョコパイはまあやさしい感じはあるけれど、いちご大福やペコちゃんのほっぺの、あの受容感にはちょっと遠い。表面コーティングされてるし。ふわふわしてないし。いや、大好きなんだけどさ。
なんだかなあなんだかなあと思いながら、とりあえずお湯をわかしなおして、粛々とミルクティーを入れる。
はあ、今日はなんだかなあだよ。そう思いながらカップ片手にぼんやりと紅茶をすする。
そのとき、ぱあっと外から陽がさしてきて、部屋のなかがふわっ、と明るくなった。ぱあっ、ってほんといい形容だよね。ぱあっ。
それだけで、気持ちもすこし、ほんのりと明るくなる。なんて単純。
ああ、美しいなあ。
外からの日差しは、レースのカーテンにまろやかに受け止められて、やわらかな光となって部屋のなかへと差し込む。ふんわり、ふわり。
“あった、やさしいもの”。
そんなフレーズが頭に浮かんで、思わずシャッターを切った。
カーテンから差し込むやわらかな光が好きだと自覚したのは、もうずいぶん昔のことだ。noteにも、むかしそんなことを書いた記憶がある。
どれどれ、あった。これだ。
カーテンと、スライスした大根の話とか、写真とか。
いろんなことに追われていると、当たりまえすぎて意識すらできないこと。そこにあるものの美しさ。
好きだと思っていても、じっくりと見つめる心の余裕がなくて、そんな気持ちを忘れかけていることもある。
アーティストきどりかよ、と笑われてもなんでもいいから、なんどでも、定期的に意識して見つめてみたい。
毎日ふれているそれは、よく見るととっても美しくて、やさしいのかもしれないよ。
こんな時間をひとときでも持つことで、たぶんわたしは、自分の気持ちをチューニングしている。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。