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四季のある幸せ、ない幸せ。

あ、空気に秋が混ざりはじめた。

週末、洗ったシーツを干そうとベランダに出て、ふとそう思った。

いや、実際はまだまだ暑い。照りつける日差しはあいかわらず容赦がなくて、「暑い……」ということばが自然ともれ出るほどには、まだ暑い。

それでも空気には、いくぶんか優しさが混じりはじめた。真夏の、360度からモワッとまとわりついてくるような暑さからは解放され、日差しさえ遮断してしまえば、息のしやすい空気になってきた。

* * *

暦のうえでは9月になったからと、日本の自然界が冷やし中華のように「秋、はじめました」と、秋モードをスタートするわけではなかろう。

わかっちゃいるのだけれど、それでも9月になると、ああ秋がやってくるのだなあと思うし、むしろ今年は暦なんてほとんど意識していなかったのに、ふと触れた空気が秋の到来をこそっとおしえてくれた。

こんなふうに自然の中から、「さあさあもう次の季節へ向かってゆくよ」と季節の移ろいを教わるときが、とてもいとしい。

たとえば冬から春に向かってゆくとき、まだまだ凍てつくようにしん、とした空気の中で、梅の花につぼみを見つけたとき。

はたまた春から夏へ向かってゆくとき、花盛りを迎える前のあじさいがひっそりと、緑の小さなつぼみをたたえているのを見つけたとき。

「ああ、花たちは自分が咲くときを、だれに教わるでもなく知っているのだなあ」「そうして移ろいゆく季節にあわせて、ちゃくちゃくと準備をすすめているのだなあ」と、しみじみ感動してしまう。

そんな風景に遭遇したとき、兼好法師の『徒然草』の一節が頭にうかぶ。

“花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは(花は満開のときだけを、月は雲りがないのだけを見るものであろうか、いやそうではない)”。

その季節まっさかりも楽しいけれど、移ろいゆく季節のはざまに、主張することなく、静かに過ぎさってゆくたくさんの風景がたまらなく好きだ。

気づけば、あんなにうるさいほど鳴いていた蝉の声もいつのまにか聞こえなくなった。蝉たちはだれに何を言われずとも、夏を迎えるころに地上へ出て、全力で生きて、夏の終わりとともにまた自然へとかえっていった。

* * *

こうして移ろいゆく季節を感じるとき、これまでの歴史のなかで、飽きるほど繰り返されてきた四季の繰り返しに思いを馳せる。

すると改めて自分の存在のちっぽけさに気づいて、日々のざわざわした悩みごとから、ちょっと離れることができる。リセット。そんな感覚があって、ああ、四季のある国に生まれてよかったなあと思う。

誤解のないようにいうと、四季のある国が絶対的に幸せさ!なんていうつもりはまったくない。ただ偶然、四季のある国で生まれ育った自分には、やはりそれが自然で心地よいリズムなんだなあ、と思うのだ。

春、夏、秋、冬。自分がなにもしなくとも、季節がそうやって移り変わってゆくということ。四季という「わかりやすい区切り」があることで、その節目にひとは何かを考えることができる。

このありがたみを痛感したのは、常夏の島国で8ヵ月を暮らしたときだ。

ちなみに常夏には常夏のよさがあって、飢える心配も、凍える心配もなく、よって働くモチベーションもあまりなくて、ひとびとはゆったりと、焦ることなくとても幸せに生きている。彼らにサービス残業の話をしたら“That's crazy!(理解できない!)”と言われる。素敵な感覚だと思う。

ただ、四季のある国で生まれ育った自分の感覚からすると、数ヵ月を過ごすうちに違和感が生まれてくる。だってなんだか、ひたすらに、ずうっと、地続きなのだ。

1ヵ月も、半年も、1年も。雨季や乾季という差はあれど、日本のようにはっきりとした四季はない。悩み事はなく楽しいのだけれど、ふと気づいたら10年も20年も経っているんじゃないか。そんな感覚に陥った。

だからひとびとはあまり、「明日を憂う」ことをしない。将来を憂いて思い悩んだりとか、計画的にどうしていこうとか。そういうところからは、ずいぶん離れている暮らしなのだ。

それは究極の幸せじゃないか、という意見もあるだろう。そうだよなあ、と思う自分もいる。生まれ育った環境から自由になりたいと日本を飛び出した自分にはあきらかに、それもひとつの解だった。

けれどその先で結局、自分には「四季のある国の、ある意味“不自由さ”」も必要なのだなあ、と思ったのだ。

春、夏、秋、冬。

変化をつづけながらもまた、同じ季節がめぐってきてくれる。同じような景色を繰り返しながらのぼってゆく、らせん階段のように。同じ景色をちょっとずつ違った角度で眺めながら、定期的に自分と向き合うことができる。

それもまた、ひとつの幸せのかたちなんだろう。

(おわり)

↓noteをはじめて間もないころ、ひっそりと書いた関連note。

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