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ゆらゆら揺れる、ちいさな余裕

24時間育児体制から自分の時間がとれるようになって、特にうれしかったことのひとつが、またアクセサリーをつけられるようになったことだ。

もともと、メイクやアクセサリーへのこだわりは同世代の女性よりかなり少ないほうだと思う。リュックひとつで旅していたときなんて荷物を減らすことばかり考えていてお洒落とは縁遠いところにいたし、「何にお金をかけるか」でいえば圧倒的に「旅>美」「食>美」「本>美」の人間だと自覚もしている。

それでも、だ。

すでに勘のいい方はお気づきのとおり、それらの要素は完璧に同一ラインにならぶものではないのだろう。

例えば所有するお金の100%をおいしい食べものにつぎ込んだとして、それは確かにものすごく幸せだと思うが、自分のすべてが完全に満たされる、ということにはならない。そこでぽっと登場するネックレスやピアスなんかは、自分の心のなかのまったく別の幸福度をあげてくれる。

きっとだから、「比べれば投資はしないけど」という私ですら、アクセサリーを身につけたいという気持ちにもなるんだろう。そうして身につけて、あ、ちょっといいじゃないと自己満足したり、いつもとは違う幸福度を手に入れて嬉しくなったりもするんだろう。

* * *

だからなのかどうなのか、子どもが生まれる前まではネックレスをつけるのが習慣になっていたし、ちょっとお出かけをするぞというときにはイヤリングをしたりして、自分なりの気分転換を楽しんでいた。

しかし。

子どもが生まれると、たしかに世界は激変する。

そもそも最初の1ヵ月は子どもも外出できないので、ひたすらに家にひきこもる。自分もまだ体調が万全ではなくてきびきびと動けないし、細切れ睡眠で常に眠気と闘っているので、すきあらば寝たい。アクセサリーどころか、前の「普段着」にすらたどり着けず、パジャマや部屋着で過ごすような日々がつづく。おっぱいがすぐにとりだせて、どこも締め付けなくて、すぐに寝転がっても楽な服。条件はそんなところだろう。

生後1ヵ月を過ぎて徐々に外へ出かける機会が増えてきても、わが子は吐き戻しがほんとうに頻繁なこともあり、わたしは「汚れても惜しくない服」で「すぐに授乳できるもの」をひたすら着回していた。

たまに特別なイベントがあって、ネックレスをつけ、それを忘れたまま授乳しようものなら、まず邪魔だし、子が気になってぶちんとちぎれそうな勢いで引っ張ってくることになる。危険だ。

ピアスやイヤリングにしても、抱っこしたが最後、イヤリングなら引っ張られてそのまま落下して、すぐに紛失することになるし、ピアスなら引っ張られてそのまま耳が引きちぎられる恐れがあるだろう。危険だ。

そうはいっても世の中には、抱っこ紐に赤ちゃんを入れて、おしゃれな服を着て、メイクもばっちり、耳にはゆらゆら揺れるピアスなんかを楽しみながら街を闊歩しているお母さんも見かける。すごいなあと思う。

きっとそういうお母さんたちは、「楽<美」の努力ができる方なんだろうなあと、羨望のまなざしで見ながら、生活着(洗い古した授乳戦闘服)のわたしは思っていた。「美<楽」の自分には、まだ遠い、と。

* * *

だから、そんなわたしですらアクセサリーを再び楽しめるようになったということは、大変な革命なのだ。ああ!再びこんな日が訪れるなんて……!という、仰々しい感動すらある。

特にあの、揺れる系。

子を抱っこしたらまっさきに狙われる、耳元で揺れるイヤリング。

ひとりで出かける機会が増えた最近は楽しくて、安物のイヤリングを取っ替え引っ替えつけて、にまにましている。中学生みたいな気分だ。いや、いまどきの中学生はもっとお洒落だから、小学生くらいかもしれない。いや、お姫様ごっこが楽しかった、幼稚園生くらいかも。

ああ、イヤリングできるって幸せだなあ。そんでもって、「イヤリングしよう、と思える心の余裕が生まれたこと」が、本当は何よりも嬉しいのだ。

……そんな持ち主の葛藤なんてつゆ知らず、イヤリングは涼しい顔をして、今日も耳元でゆらゆら揺れる。

自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。