あたりまえなんて、変わりつづけるものでして
夜中にふと起きて隣を見ると、枕の位置に娘の足がにょきにょき、と2本並んでいた。
つまりは暴れまわったすえに時計のようにくるりと一回転して、布団のなかに頭をつっこみ、すぴーすぴーと寝ていたのである。
あら、今日はまたずいぶんきれいに回ったなぁ……。ねむいし、いいかな、そのままでも……。と半目でぼんやり思う。
夏場なら布団も軽いしそのまま寝かせておきたいところだが、一応まだ冬でいろいろ心配なので、娘のからだをよいしょと抱き上げ、またぐるりん、と一回転させ、枕元に頭を戻す。
頭は、ほかほかの布団の中でちょっと汗をかいてしっとりしていた。
* * *
娘はいま風邪をひいている。
風邪というか、熱はなくて咳と鼻水とくしゃみ……にくわえて目もこすったりしているので、親譲りのアレルギー体質で花粉症をこじらせてしまっただけじゃないかと母は思っているのだけれど。
病院へいったし、処方薬を飲んでようすを見ているのでまあそれはいいのだが、なにぶんここ数日は寝苦しそうだ。
鼻が思うように通らないのでフゴフゴしながら呼吸し、時折、突然連続して咳をしたりして、こちらもなかなか落ち着かない。
そして朝起きると、鼻のまわりは寝ている間に流れ出たはなみずちゃんたちがガビガビにかたまってこびりついている(笑)。
顔についたこびりつきは、濡れたガーゼでそっとなでるくらいじゃ全然落ちないので、肌を傷つけないようにやさしい素材のウエットティッシュをお湯でさらに濡らしてびしゃびしゃにし、洗い流すような感じでやると比較的うまくいく。
なんにせよものっすごい、彼女には嫌がられるけども。
* * *
嫌がられるといえば、鼻吸いも泣いて拒否される。
そりゃそうか。まだ言葉も理解できないから、いきなり呼吸器を吸引されたら嫌だよね。自分は息を吸おうと思ってるタイミングで吸われるとか。おとなでも恐怖だわ。
それにしても、鼻吸いってすごいインパクトのある言葉だ、と個人的に思っている。
自分が大人になってから、母に「ちっちゃいころはよく鼻を吸ってあげてねぇ。あの鼻吸いが、お母さんどうも苦手で(笑)」と言われたようなことがあったけれど。
当時は鼻吸い用の道具があることも知らず、直接鼻に口をつけて吸い込む図を想像し、「えっ、そんな気持ち悪いことするの!」と直感で思ってしまったりしていた。ありえない!と。
自分に子どもが産まれてみれば。え?やるよ?できるできる。専用の道具もあるの?やれば苦しいのラクになるの?やるやる!むしろ嫌がられてもやるよ!仕事ですから(笑)!
いやはや、気持ち悪いとか思ってごめんなさい。
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子育てをしていると、独身時代の「ありえない!」なんて簡単に崩れ、むしろ普通のこと、あたりまえのことになっていくもんだなぁと思う。いいのか悪いのかは別として、必然だ。
例えば新婚家庭では排泄にまつわることを食卓で話題にすること自体がタブーというかまあ「ありえない!」というのが一般的な感覚かと思うのだが、赤ちゃんのいる生活ではそんなタブーは一瞬で吹っ飛ぶ。
24時間四六時中、いつ彼女がウンチやおしっこをもらすかわからないし、そうなれば食事中だろうが睡眠中だろうがなんだろうがそれを中断してその処理をするし。
そもそも、ウンチ、おしっこ、おなら、おっぱい、なんて言葉が、新婚家庭において一切のためらいなく当然のように発せられる「日常ワード」になるのも子どもが生まれてからだろう。
やれウンチだおしっこだ、便秘になれば肛門に綿棒つっこんでぐりぐり回して浣腸だ。
むしろ便秘気味だった時期の娘のウンチは実に待ち遠しく、久しぶりに出たときには食事中だろうがなんだろうが「おーー!ウンチできたね!!やっとすっきりだねー!!」と喜び褒める。
まさか、人の排泄がこんなに嬉しいと思うようになるなんて、親になる前の私は想像すらしていなかったもの。
常識なんてものはたいてい、「その人たちのあいだでの」常識であって、地域や国が変われば変わるし、人と人との関係性が変われば変わってゆくのが自然なのだ。
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にょきにょき、布団から枕に向かって足が2本生えている姿がなんともいえずツボにはまり、そのシーンを残しておきたくてなんとなくタイピングをはじめてしまったこの文章。
いつだって書き出してみると、自分でも予想しなかった方向に指と思考が連れて行ってくれるから、文章を書くのはたのしい。
そろそろ子と夫を起こして、母としての1日をはじめよう。
今日は花粉、少ないといいなぁ。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。