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【お題エッセイ】#002 みかん

みかんというと、父のことを思い出す。

いや、白状すると本当はそんなつもりはなかった。だって、みかんと父について、特段深い思い出があるわけでもないのだ。

ただ、さっきテーブルの上に置かれたみかんを見て「今日はみかんをお題にしようかな」と思ったとき、ふと思い浮かんできたのがなぜか、父の顔だった。

自分でも意外なことに。

*  *  *

父は果物全般が好きである。

実家で暮らしていたころは、冬になると父がみかんを箱買いしてきて、食べても食べてもみかん食べ放題、という状態になることもあった。

冬にはとにかく、みかん。

食事が終わってしばらくすると、おもむろにみかんが目の前にどん、と積まれて、各々食べ始める。そんな光景が常だった。

「実家とみかん」の光景を脳裏に描いていて思い出すのは、父と母のみかんの好み……というか、買うときの選び方の違いである。

父は、大ぶりで箱や袋にたくさん入っているお買い得そうなみかんを選ぶ。

そして、ことみかんの箱買いについてはたいてい父が主導権を握るので、結局は父の主張に見合ったものを買うことが多い。

母はいつも「大ぶりのって大味のが多いじゃない? お母さんは、美味しくてちっちゃいのを少しだけ、食べられればいいんだけどねぇ」と、ため息まじりに笑いながら、私にこぼす。

その話、いつもしているなぁと思いながら、娘はそれを聞く。

*  *  *

父のみかんの食べ方は独特だ。

そして父には申し訳ないが、私はその食べ方が苦手である。

きれいな話じゃないので食事中の方は読み飛ばしてほしいが、父は薄皮を飲み込むのが苦手らしく、いったん口に含んだみかんのひと粒を噛んだ後、くちゃくちゃになった薄皮だけを口から出すのである。

それがもう、特に思春期時分の娘には非常に耐え難く(笑)、なるべく見ないように、ときには耳を塞いでいたりもしたくらいだ。

うん、いい思い出でもなんでもない。

だがそれも、結婚して離れて暮らす今となっては、いい思い出……には決してならないが、「あの変なクセ、まだやっているのかなぁ」と苦笑まじりに思いを馳せられるくらいには、私も大人になってしまった。

そしてなんなら、みかんについて書こう、と思ったときに父のイメージが浮かんだのは、そういった複合的なイメージで「父とみかん」がよくも悪くも強烈に、私の脳裏に焼き付いていたからだろう。

人の記憶とは不思議なものである。

*  *  *

そんなこんなで、とにかく、冬はみかんである。

遠くへ引っ越して自分の家庭を持った今でも、冬は常にみかんのストックがある。というか私以上に、夫が無類のみかん好きなのだ。

妻として、みかんを欠かすわけにはいかない。

というのは言い訳で、もちろん、自分も食べたいから欠かさないのだけれど(笑)。

*  *  *

「こたつにみかん」というイメージに象徴されるとおり、みかんはお茶の間の人気者。

そしてそのイメージと違わず、私にとっても、みかんは家庭内平和を保ってくれる頼もしいパートナーのような(?)存在だ。

みかんがいると、安心する。なんだか心強い。

そんなイメージが、みかんにはある。

なんてったって、ナイフを使わなくてもパッと食べられる、その寛容なところが親しみやすさのポイントだ。一度手に持ったら最後、「今はお腹いっぱいかな?」というときでも、ついつい、手が勝手に皮を向いてしまう。

親指を皮にぷしゅっ、と突き刺せば、ふわりと立ち込める、柑橘の爽やかな香り。

いそいそと皮を向いて、各々好みの状態に白い筋をとったりして、ぱくりと口に含めば、口の中で薄皮が弾けて、ジュワッと広がる、みずみずしいその甘酸っぱさ。

最短距離で、至福のひとときが味わえる。身近で、手軽で、最高にうまい。そりゃあお茶の間の人気者にもなるだろう。

*  *  *

今年も、実家ではみかんを食べているだろうか。

子どもたちが家を出てからは、箱買いは、しなくなったかな。

相変わらず、みかん選びで父と母はわいわいモメているかしら。

食卓でひとり、みかんの皮をぷしゅ、と剥きながら、遠くへと思いを馳せる。


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【お題エッセイ】#000 お題エッセイ


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