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いつもの通り道(中2時代の創作文)

ひさびさの実家で、なつかしいものを読んだ。

それは自分が中学2年のときに、作文の授業で書いた創作文である。

文章の書き方という意味では、稚拙で、それはもう自分でもわかるほどにツッコミどころ満載だ。けれど我ながら「へえ、おもしろい」と思ったのは、そこで扱っている内容である。

その内容自体がおもしろいというよりは、「へえ!中学2年からわたし、根本はまったく変わってなかったのか」というおもしろさである。

もうすっかり、こりゃ自分だ。こんな昔から、この精度でわたしはわたしだったのか。いまの自分は、その後いろいろと大変化を遂げてきたつもりでいたけれど、なんだこの延長線上でこちょこちょしていた程度じゃないか。

20年以上経って、筆跡もずいぶん変わった「中2のわたし」の手書き文字を読みながら、改めてそんな驚きを得たのだった。

いまの自分が育児中だからよけい、「ほんとうに、そのひとの一生変わらない根幹部分は、子供時代にいつの間にかつくられているのだな」というのを身にしみて実感して、衝撃をうけたというのもあるかもしれない。

* * *

ところでその創作文を読んでいたら、なんと紅茶が登場するではないか。しかもそれなりに重要なシーンで。いまも昔も、わたしの中で紅茶はリラックスの象徴らしい。

「#紅茶のある風景」募集中のタイミングでこの作文に再会したというのも何かのご縁。ならばこそっとnoteの片隅におかせてもらおう。そう思って、原稿用紙にあった手書き文字をスクリーンに入力した。誤字や記号、改行などの簡単な校正はしたけれど、内容や表現はそのまま。

というわけで今回は、中2のわたしが書いた「いつもの通り道」というお話をお届けします(ああ、あの時代に、noteがあったらなあ!)。

温かいミルクティーでもおともに、どうぞご笑覧ください。


* * *


『いつもの通り道』


「どうしよう。間に合わない――」

もう8時を過ぎている。ここからだとよっぽど急がなければ遅刻してしまう。とにかく走らなきゃ……。

ああ、あと5分早く起きればよかったな。朝ごはんに時間とりすぎたかも。

頭のなかではごちゃごちゃといろいろなことが回っていたが、わたしはとにかく走っていた。

“遅れちゃうよ、遅れちゃうよ――”。

つぎの角を曲がれば、奥のほうに学校が見える。

風をきって角を曲がった。


* * *


そこは、さびれた商店街のようなところだった。

“?! あれ……。まさか道、まちがった?いや、でもそんなはずは……。それにこんなところ、見たことがないし。あーっ、もう!”

「どうしたんだい! そんなに慌てて!」

小さな喫茶店からおばさんが血相をかえて出てきた。わたしはちょっとたじろいだ。

「いや、学校に遅刻しそうで」

とたんにおばさんは顔をゆるめた。

「なんだ、そんなことかい」

そんなことって……。

「あ、あの。学校、中学校どこかわかりますか」

「いやあ、わからないねえ」

「あ、そうですか……」

まったく今日はいったい、どうなっているんだろう。まあとにかく、ここを出れば学校が見えるかもしれない。

わたしが再び走りだそうとしたそのとき、おばさんが言った。

「ちょっと休憩していきなよ。そんなにあせって走って疲れたでしょ」

――何を言いだすんだ、このひとは。

「いえ、結構です。急いでるんで、ほんと」

「そんなこと言ったってもう間に合わないよ、たぶん。さ、おいで」

もう一度口を開きかけたところで、おばさんに腕をつかまれてしまった。

――どうにでもなれ!

進まない足どりながらも、わたしは喫茶店へと入っていった。


* * *


「コーヒーと紅茶、どっちが好き?」

「あ、と……。じゃあ、紅茶を……」

「レモンとミルクでは?」

「ミルクが……」

こたえるわたしはしどろもどろである。

「わかった。じゃあ今いれるね」

――もうとっくに遅刻だなあ。こんなところで時間つぶしてる場合じゃないんだけどなあ。あーあ……。

「はい、どうぞ」

ミルクティーの入ったカップをわたしの前にトン、と置いて、おばさんは言った。

「たまにはいいでしょ? ゆったりするのも」

「はぁ……」

――1日分の勉強、遅れちゃうな。

「ここの通り、初めて来たでしょ」

「え? あ、はい……」

「ここではね、みんな心に余裕を持っててさ、何かにあせることなく、ゆったりと生活しているんだよ」

おばさんの声には、不思議なやさしさがあった。いままでに聞いたことのないような、そんなひびき……。

「この通りが見えるのは、ここに住んでいるひとたちと同じように、自分のペースで暮らしているひとだね。それと、ごくまれに、せかせかとあせりすぎているひとにも、見えるときがあるみたいだよ」

おばさんはそこで軽く笑った。

ミルクティーを、ひとくち飲んでみた。すーっと、なんていうか、なじんでいく感じ。さっきまであんなにあせっていたのがうそのように、心にゆとりがぽこっと少し生まれたような、そんな感じ。

なんであんなにあせっていたんだろう――。


* * *


ふわふわとした沈黙が流れた。

気まずい、緊張した沈黙ではなくて、のんびりと心地よい、ほんわかとした沈黙もあるんだなということを、わたしは初めて知った。

「学校だけがすべてってわけでもないんだよね」

おばさんとわたしの声が、合わさった。

思わずおばさんの顔を見た。

おばさんはどこかうれしそうだった。

「学校に行くななんて言わないよ。ただ、学校ってのは集団だから、自分の心のペースでゆったりと流れていくもんじゃないでしょう。だから、たまにこうやって自分の心のペースで過ごす。そしたらもっと人生が楽になるんじゃないかい? 学校も含めてさ」

おばさんは苦笑いしながら、「なんか偉そうだね」とつぶやいた。

わたしは黙っていた。そしてまたひとくち、ミルクティーを飲んだ。

――自分の心のペースか……。

「……なんか、すごいですね」

「ありがと。あ、そうだ。もう大丈夫かもしれないよ。帰れるよ」

「……え?」

「言うの忘れてたけどね、せかせかしてここに来たひとは、ゆったり心にならないと、ここから抜け出せないらしいんだよ。なんでだかは、わたしにもよくわからないんだけどね」

おばさんはまた、軽く笑った。

「あ……、そういえばわたしがここの前を通りかかったとき、どうしてあんなにこわい顔して出てきたんですか」

「ふふ。ごめんね。おどかしちゃったか。いやね、ここじゃちょっとぐらいじゃあんなに慌てたりあせったりしないからさ。よっぽど重大なことが起こったと思ったんだよ」

そっか……。だから“そんなこと”って言ったんだ。でもあのときは少しこわかったな。ふふふ。

「なに笑ってるんだい?」

「いえ。あの……、またいつか、来てもいいですか」

「もちろん。でも次に来るときは、ゆったり心でこの通りが見えるようだといいね」

「そうですね……」

わたしはドアに手をかけた。

不思議だ。ここに入ってきたときはいやいやだったのに、今度は出ていくのが寂しくなっている。

ガチャ――。

店を出て、角を曲がった。今度は歩いて。

目の前には、見慣れた街並みがあった。


(おわり)


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P.S.「学校だけがすべてじゃない」とか、このnoteでもこのnoteでも書いていて、それは大人になってからの海外経験が根本になっているのかと思い込んでいたのだけれど、中2のわたしもまったく同じことを言っていて驚いた(忘れてた)。幼少期の人格形成、あなどれない……。


自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。