とある妊婦の脳みそ【7】そろそろ脳みそが溶けそうだった―妊婦ボケとウクレレ
初期と後期に安静指示の出てしまった私の妊婦生活にも、中期の数ヵ月にはつかの間の安定期があった。
初期の安静が明けたばかりのころは、マンションから足を踏み出すだけで決死の覚悟。
猛スピードのチャリが行き交う道中におびえながら、よたよたと近所のスーパーへ行くだけで恐怖の大冒険。
体力もガタ落ちでヨロヨロしていたが、スーパーへの行き来がリハビリになり、しばらくすると日常生活が送れるくらいの体力を取り戻した。
からだが元気になると、何かをしたくなる。
だが、なんということでしょう。することがない。
またいつ体調が変わるかもわからないので仕事を受けようとも思えず(後に単発でいくつか受けるのだが、それは別noteに)、かといって打ち込める趣味があるわけでもなく、まだ子育てに奮闘しているわけでもない。常時なら旅にでも出てしまいたいところだが、今はそういうわけにもいかない。
毎日家事をしているだけで、なんとなく、1日が過ぎてゆく。
* * *
きっかけは、何気ない夫のひとことだった。
平日の夜、仕事から帰ってきた夫と話しているとき、私があるスマホゲームの、ものすごく取るに足らない点について熱を入れてしゃべっていたら、夫が苦笑しながら言ったのだ。
「ああ、ヒマなんだねぇ(笑)」
補足しておくがここで、彼に悪意はない。むしろ憐れみや同情というような、慈悲深いまなざしだったような気さえする。やさしい人なのだ。
そして確かに、自分が逆の立場だったらと考えると、忙しく仕事のスピード感に追われて1日働き、帰ってきてそんなくだらない話に喜々として熱を入れられたら「(はー、どうでもいいわ、)ヒマなのねー(笑)?」と、半ばあきれながら言ってしまいそうだ。
冷静になればわかる。シンプルに、素直な感情でただ、出た言葉だなと。
だが当時の私にはそんな器もなく、そのひとことに大きなショックを受けた。(「ヒマなんだねぇ」「ヒマなんだねぇ」「ヒマなんだねぇ」……!!!)と、しばし言葉が漫画のように脳内でループ再生された。
そのときは(なんだと、こっちは人を育てているというのに、ヒマだと!)とムッとした気持ちもあったのだが、そのうち冷静になると、気づいた。
「そうか、私、ヒマなんだ」と。
* * *
おそらくなんとなくわかってはいたけれど、きちんと状態として認識できていなかったのだ。自分が、ヒマだということに。
私の場合はとくに、安静生活の延長で安定期を迎えたため、動けるようになってもその生活リズムに大きな疑問を持つことができなかったのかもしれない。
だがすでに、からだは回復。元気なのに、することがない。
人はそれを、ヒマと呼ぶ。
そして思った。
(まずい、このままでは脳が溶ける。人間がくさる。)
さらに思った。
(きっと今が、後にも先にも、人生で一番ヒマな一瞬なんじゃなかろうか。子どもが生まれてくればまた、自分のことなぞ顧みず日々奮闘する日々が始まるだろう。)
いつかやりたいと思っていたことをやるなら、今しかないわ。
* * *
そうして始めたひとつが、ウクレレ。
何か楽器がやりたいなぁ、という漠然とした思いは、大人になってからずっとあった。
特に外国を旅する中では、言葉を越えて一瞬で打ち解ける音楽の力を目の当たりにし、「持ち運べる楽器っていいなぁ」と思っていた。
ウクレレならコンパクトだし、管楽器に比べて家でも静かに練習できそう。音色がやさしいから、今から聴かせていれば将来、赤ちゃんの子守唄にもなるかもしれないな。そんな気持ちも手伝って興味をもった。
レッスンに通う気はなかったので、まずは完全な素人が独学でも演奏できるようになるのかをネットリサーチ。
便利な時代なもので、多数のブログや動画があり、独学でもある程度は演奏できるようになると望みをえる。
いろいろとレビューを吟味し、最終的にはAmazonで楽器とチューナーとレッスン本を購入。Youtubeの初心者向け動画にも大いに助けられながら、ひとりウクレレかじりがスタートした。
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日々の練習記録は割愛するが、とりあえず「興味のある“新しいこと”を始めてみる」というのが、当時脳みそが溶けそうだった自分にはとてもよい刺激になったと思う。
なにせゼロからのスタートなので、そもそもどう構えるのか、弦をどうやって押さえるのか、右手はどうやって動くのか、初歩の初歩から課題が山積み。ひとつクリアしても、次々と新しい疑問が出てきて、課題はつきない。
言いかえればそれは、「取り組むことがある」ということだ。
朝起きて、家事を終えても、やることがある。取り組みたいことがある。
指の皮が薄くて、最初の数週間は弦を押さえて練習しているだけでヒリヒリと痛くてたまらなかったけれど、それでも何かに挑戦するというのは楽しかった。
できなかったことが少しずつできるようになるというのは、何歳になっても嬉しい。
お腹の中では、何度もたどたどしくリピート練習されるフレーズを、あきれながら聴いていたかもしれないけれど(笑)。
* * *
ところでこのころ、私は感覚として日々「なんか脳みそ溶けそう」と思っていたわけだが、これは私だけじゃなく、“ホルモンバランスの変化による妊婦の注意散漫や物忘れの傾向”は一般的にも見られるものだそうだ。
母親教室のなかでも、「妊娠中、車の運転をしていて、一度だけ赤信号に気づかずに走行してしまい、危機一髪だった」という話を聞いたりした。
妊婦が集まるSNS上でも、妊娠してからこんなボケをやらかしてしまうようになった、という話題がいろいろと飛び交っていたし、リアルの友人に聞いてみても、「脳みそが溶けそうな感覚、わかる!」と共感を得た。
* * *
かくいう私も、ある日、朝食づくりのために卵を割って、唖然。
きちんとボウルを用意して、よし、とその上で卵を割った(と思った)のに、なんと卵を割り入れた先は、ボウルの横にあった生ゴミ入れの中。
手に残ったのは白い殻のみ……。
物心ついてから数え切れないくらい卵を割ってきたが、こんなボケをかましたのはそのときが初めてだった。
そしてさらにひどいことに、妊娠中、2回も同じことをやらかしたのだ。
わお。まじか、私。
自分で自分が信じられない。脳みそ溶けそう、じゃなくて、すでに脳みそ溶けかかってるんじゃなかろうか?
と、二度目にやらかしたときはさすがにショックだったが、母親教室で一般的にもそういう時期だと聞いてちょっとだけ救われた。
* * *
そんなあるとき、子育て中の友人とメッセージのやりとりをしていて、私が「脳みそ溶けそう」と言ったら、友人はこんな返信をくれた。
「脳みそ溶けるよね〜。なんなら産後もそのままホルモンバランスの野郎が作用して、心身ともにかなりジェットコースターな感じになるから、今からそんなもんだと、気負わずね!!」
激励、ありがとう。
もうなんだって、ホルモンバランスの野郎のせいにしてやるぜ。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。