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未明のミルクティー

早朝、3時16分。

娘の寝かしつけとともに早く寝てしまったせいで、変な時間に目が覚めた。

横を見ると、布団をすべて蹴りとばして寝る1歳の娘。とりあえず薄手の毛布をかけてやり、自分もまた横になる。

頭はすっきりしているけれど、いま起きると夜まで持たない気がする。せめて5時くらいまで、寝ていたい……。

こんなときはあれだ、羊だ。羊を数えるんだ。

古典的な迷信だってやらないよりはマシだろう。そう思ってあたまの中で羊を数えようとするが、これがいけなかった。

「羊がいっぴき……」

目を閉じて数えだしたとたん、リアルな羊がパッと脳裏に浮かぶ。先週末、娘を連れてふれあい牧場になんぞ行ったものだから、「羊の餌やり体験」で勢いよくキャベツに食らいついてきた、荒々しい羊の記憶が鮮明なのだ。

ふわふわもこもこな可愛らしい羊を思い浮かべようと努力するのだけれど、いざ「羊が……」と数え出そうとすると、いつのまにかリアル羊に変わっている。食欲を本能のままにぶつけてくる羊の勢いが目の前にせまってくるようで、まったく眠れない。

その後もあきらめ悪く、目を閉じてじーっとしたり、落ち着かずに寝返りをうったりして、時間だけが過ぎてゆく。もういっそ起きてしまおうか。いや、でもなあ……。ひとり、脳内でうだうだと同じところを回りつづける。

* * *

結局眠れないまま4時半を過ぎて、しぶしぶ起きた。

夫と娘が眠る寝室のドアをそーっと開けて、廊下に出る。音を立てないようにドアノブを下げたまま、静かに閉める。

リビングに入ったら、予想に反して寝室よりも温かい。おかしいと思って見てみたら、パネルヒーターが付けっぱなしだ。ああこれか、と思う。深夜まで起きていた夫が消し忘れたらしい。

いつもなら「もう!」と腹を立てるところだが、なんだか今日は怒る気にもならない。期せずして早朝に起きて、本来なら冷え込んでいるこの時間、その恩恵に預かってしまったからか。だまって電気ポットに水を入れ、スイッチを入れる。

ボコボコと音を立てて、お湯がわいた。

いつものカップに熱湯をちょっと注いで、ゆっくりとまわし、お湯を捨てる。温めたカップに徳用の紅茶のティーバッグを入れて、お湯をそそぐ。とぽとぽとぽ。お湯はカップ半分くらい。

ティーバッグを揺すって、濃い目に出す。

そのティーバッグが入ったまま、数分と指示されている蒸らし時間も守らず、冷たい牛乳をすぐに入れてしまう。牛乳は多め。そのまましばらくおく。手軽さだけが売りの、似非ロイヤルミルクティー。なかなかどうして、これが美味しい。

ああ、牛乳が残り少ないな。買いにいかないと。

熱湯と冷たい牛乳でほどよい温度になったミルクティーを、ひとくち飲む。温かい液体が、のどの奥を流れて胃に入ってゆく。

晩秋の未明、冷えたからだに染みわたる。

* * *

娘のお世話で昨日の夕方からチェックできなかったSNSには、こんなときにかぎってたくさんの通知が来ていた。

昔、自分をかっこよく見せようと必死だったころは、見るのが苦しくなることもあったSNS。反動で一切を遮断した時期もあったけれど、そんな紆余曲折を経て、いまは自分なりの距離感を見つけているように思う。

自分の脳内をさらけだすことができているSNSもあって、そのSNSには他にはない温度感、ひとの温かさみたいなものすら感じている。

画面の向こうにいる、会ったこともないだれかが、わたしの脳みそに反応してくれて、ことばを返してくれる。

ミルクティーを片手に、スマホに届いた通知のひとつひとつをチェックしながら、ぽつりぽつり、わたしもことばを返してゆく。

どこかの、だれかに。でも間違いなく血の通う、あたたかい人間に。

* * *

冷蔵庫に入っていた残り野菜と鶏肉を圧力鍋にほうりこんで、酒と水、塩少々を入れて火にかけた。シュッシュッシュッシュッ。火を止める。あとは余熱放置で、ポトフの完成だ。朝ごはんはこれと、昨日の残りものと。

カーテンを開けたら、空の端がぼんやりとオレンジ色に染まりはじめていた。日の出もだいぶ遅くなったなあ。気づけば冬が近い。ついさっき桜が咲いていた気がするのに、気づけば年の瀬がやってくる。

そんな感傷にどっぷりと浸かっているひまもなく、もうすぐ夫と娘が起きてくる。

今日は先に、自分のトースト食べちゃおう。1歳の娘のお世話をしながらだと、どうしてもタイミングを逃して、いつも冷めてふにゃふにゃのトーストになりがちだから。たまには焼き立てを心置きなく、パリッとサクッとさ。

トースターに、食パンを1枚入れて、スイッチオン。

空になったカップをお湯で軽くすすいで、新しいティーバッグを入れ、熱湯を注ぐ。牛乳がもう残り少ないから、次はストレートかな。じゃあ、パンには甘いジャムを。

冷蔵庫に手を伸ばしてマーマレードジャムを手にとったところで、トースターがわたしを呼んだ。

こんがりきつね色に焼けた熱々のトーストを、すべらせるようにお皿にのせる。バターを広げるときの、サクサク、と擦れるような音と香ばしい香り。そうそう、これこれ。焼き立てのトーストって、幸せだ。

その上に、たっぷりのマーマレードジャムを広げる。きらきらと光りを反射して、気分まで明るくしてくれるみたい。……ってそんなこと思えるの、気持ちに余裕がある証拠だな。いつもの慌ただしく、わあわあ声をあげながらの朝食風景を思い返して、苦笑する。

いただきます、とつぶやいて、トーストを頬張る。うん、やっぱり焼き立てが一番美味しいね。

……ゴトッ。

寝室から物音。ああ、起きたかな? 泣き出すかな?

つかのまの優雅なおひとりさまタイムを、ストレートティーとともに慌てて流し込む。まだちょっと、熱かった。

さあ、今日も一日がはじまる。


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