【お題エッセイ】#004 大晦日
大晦日が近づくと、母は昔からよくこんな話をしていた。
「お母さんの田舎ではねぇ、こどものころは大晦日にはもうお昼くらいからお風呂に入って、からだも全部きれいにして、その日ばかりは下着から何から全部新しいものを身につけてねぇ。そうして新年を迎えたものよ」
そして必ず、続ける。
「まぁ昔は、めったに新しいものなんて買えなかったからね。一年に一度は、きれいにしようって感じだったのかもね。今はほら、いつだって新しいものも買えるから」。
* * *
……とは言いつつも、確かに私がこどものころから母は「お正月はいつもよりちょっと小綺麗なかっこうをするもの」という認識で私たち兄妹を育ててくれたと思う。
何を考えているのかわからない、ぽーっとした顔で笑う2、3歳のころのアルバムを開いても、破魔矢を片手に初詣へ向かう私たちの写真は、普段のどろんこ遊び用とはあきらかに違う、“ちょっとだけおめかし”仕様の服装だ。
そして幼稚園ごろだろうか、物心つくようになってからは自分でも「お正月は普段とは違うかわいいお洋服が着られるもの」となんとなく認識するようになり、幼心にお正月のその特別感を楽しみにしていた。
新しい年のはじめに、ちょっとだけおめかしをして、お出かけ。そんな新年のイベント全体をわくわくした気持ちで楽しんでいたなぁと思う。
* * *
大きくなってからは母が服を用意することはなくなったけれど、そのマインドはやっぱりなんとなく、染み付いているものだ。
大晦日、お風呂上がりにはパジャマも洗いたてのものに変えて。下着もなるべく小綺麗なものを選んで身につけて。まったくの新品でなくても大切なのは気持ちよ、気持ち、と心の中でつぶやきながら(笑)。
そして元旦の朝には、どこへ出かける予定がなくても、きちんと身なりを整える。
たいそう怠惰な私は、普段は起きたまま朝食の支度をして、パジャマ姿のまま朝食の席に着いてしまうことも多々あるタイプだ。それでも、元旦の朝ばかりはそうはいかない、とインプットされているらしい。
お雑煮やおせちの用意をする前に、普段着でもいいからとりあえずきちんと着替えて、髪もメイクもサッとでもいいから整えて。
とりあえず、何がなんでも普段のぼーっとしたパジャマ姿では食卓につかない(笑)。元旦の朝ばかりはシャキッとした表情で座りたい。
親戚一同が集まり、きちんとした儀式で新年を迎えるご家庭も多くあると思うので、この低すぎるハードルが情けなくもあるけれど、めんどうくさがりやの私にとってはこれだけの気持ちの違いがとても大きなこと、なのだ。
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今年は初めて、夫婦ふたりだけの年越し。
じきにこどもが生まれることを考えれば、ふたりの年越しはこの1回きりかもしれないな、と思う。きっと来年からは、子どもをつれて両家に顔を出して、てんやわんやだ。
新品の洋服は用意できなかったけれど、せめて寝具やパジャマを洗って、手拭きのタオルも新調して。あとはおせちの残りの品を黙々と作って、夕方からは、ゆっくりと。
後にも先にもない、おとなふたりの貴重な年越しを、のんびりと楽しもう。
そして来年からは、母が私たちにしてくれたように、気負いしすぎず、けれど我が家なりの文化を、つないでゆけたらいいなぁと思う。
みなさまも、どうぞよいお年を。
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■お題エッセイを書き始めたワケはこちら
→【お題エッセイ】#000 お題エッセイ
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