母ちゃんの手習い
フラダンスをはじめてみることにした。
あらためて文字に落としてみたら、我ながら唐突感がすごい。
元来わたしは「からだを動かす」タイプではないのだ。中学も高校も音楽系の部活で過ごしてきたし、世の中がいわゆる文化系と体育系にわかれるのならば完全に文化系の人間だと思う。
ダンスには音楽があるし、フラの手の動きには手話のようにそれぞれ意味があるなど文化的要素も強いから、運動だけのスポーツ競技とは確かに違う。
ただ、それでも。“ダンス”と名のつくものを自分から習いはじめるということに対する、自分へのびっくり感がすごい。
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もともとフラへの憧れはぼんやりと、ずうっと心のなかにはあった。
興味の発端までさかのぼれば、それはわかりやすく、映画『フラガール』だ。ご覧になったことのある方ならば、思わず憧れてしまうあの描き方、役者の熱演に共感いただける方も多いのではないだろうか(ちなみにあの映画のは、フラではなくタヒチアンらしいが)。
ただ、映画が公開されたのは2006年。実に12年前だ。だからその間わたしは、「フラダンス、いいよなあ」とぼんやり思いながらも、別に体験教室を探すでもなく、のんべんだらりと過ごしていた。
それが今回、背中を押されたのはなぜか。
それは、日曜日に遭遇したある光景がきっかけである。
その日は家族で大きな公園に遊びに行ったのだが、広場の真ん中で、休日によくあるステージイベントをやっていた。
その中に、フラダンスサークルの発表もあった。そしてそのグループは、なかなかマダムというか、60代、70代くらいの方々で構成されたグループであったのだ。
みなさん、鮮やかな色で仕立てられたハワイアン柄の衣装を身にまとい、いきいきとした表情で優雅にフラを踊っておられた。
そういう舞台を見るのは初めてではない。いろいろなところで、よく見かける光景だと思う。ただそのとき、わたしは1歳の娘を膝に抱えていた。娘といっしょに、そういう舞台を見るのは初めてだった。さらに、県外から遊びに来てくれていた夫側の両親も一緒だった。
だからなのかもしれないが、ステージで優雅にフラを踊るマダムに、わたしはなんとなく、自分の母の姿を重ねていた。
“ああ、この中に自分の母がいたら嬉しいだろうなあ。60代、70代になっても、華やかな衣装を着て、ふだんとは違う雰囲気になって、舞台にあがり、楽しそうに優しく踊る姿を見たら、嬉しいし、なんだか誇らしいだろうなあ”と、そんなことを思った。
思いながら、同時に膝に抱えた娘のぬくもりからか、自然と未来の自分のことも連想した。いまから30年後、わたしが60代になって、娘が30代になったとき、そうやっていきいき楽しそうに自分のことをやっている姿を、娘にみてほしいなあと思ったのだ。
ちょっと、嬉しいよね、自分の母が自分の世界を持っていたり、趣味のことをいきいきやっているのってさ。
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12年間ぼんやりと、水面下でくすぶっていた憧れは、公園のイベントで偶然出会ったマダム先輩たちの数曲のフラで、具体的な行動へとつながった。
やはり子がからむと、母親というのは動く気になるらしい。娘にあわれまれたくないというか、「お母さん楽しそうじゃん」と言ってもらえるようでありたいという、母のささやかなプライドというやつだろうか。
その日の夜、ネットで調べて見つけた教室に、翌日体験レッスンへ行き、あろうことかそのまま初心者クラスに申し込みを決めてしまった。
ちなみに、大人になってから習い事をするのは初めてだ。
そういえば20代の頃、ゴスペルがやりたくて体験教室を5個くらい回ったのだが、結局どこもピンと来なくてどこにも申し込まずに終わったことがあった。何か違うな、と思うときは曖昧に頷かず、申し込まない方だと思う。
それを考えると、今回は先生にもメンバーにも惹かれ、「ああ、これをここでやってみたい」と素直に思える体験だった。
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入りたいクラスは平日の夜に、月3回。
1歳の子を育てるいま、その時間帯に習い事をするなんて周囲の協力無しには不可能である。「いいじゃん、やりなよ。可能な限り空けるから」と背中を押してくれた夫には心から感謝している。
そうはいっても実際やってみて、スケジュールをすり合わせるのがどうしても難しかったり、自分のセンスがなさすぎて意欲が薄れるようなことがあれば、パッと辞めてしまうこともありだと思っている。
まあそれはそれで、とりあえずやってみないと、自分に合うか合わないかもわからないから。
まったくのゼロから、新しく興味のあることを教わるって、やっぱりわくわくするよね。タイミングがあったなら、まずは、はじめのいっーっぽ。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。