違うけど、あこがれるひと
なつかしい、ひとから連絡がきた。
メッセンジャーの履歴をみたら、その前のやりとりは5年前だった。
でも、彼女との出会いはさらに5年前、今から10年以上前にさかのぼる。
そもそも彼女は、わたしの「クライアント」だったのだ。
* * *
彼女とわたしが出会ったのは、わたしが22歳のとき。
新卒で入った小さなPR会社で、彼女のいる会社の担当になったからだった。
4月1日に入社して右も左もわからないまま、その翌日か翌々日には上司と2人で彼女の会社に挨拶に行き、担当になると紹介され、ミーティングに参加したのをおぼろげに覚えている。
彼女はそのとき、ある外資系企業のマーケティングマネージャーだった。
“外資系でキャリアを積み、海外経験も豊富な、かっこいい大人の女性”。
それが彼女の第一印象だった。当時わたしは社会経験ゼロの22歳で、彼女は仕事も趣味もバリバリの40歳前後だったかなあと想像するから、なんだかもう、いろいろと雲の上のような存在に思えた。
驚くほどの仕事量を回しながら、一方ではまだ幼い娘さんを育て、かつ多趣味で、趣味でも学校に通って資格を取得したりしているという話を聞き、ますます自分とは違う世界のひとだ、とひれふしたくなった。
* * *
しばらくは上司と2人1組でそのクライアントを担当し、イベントやリリース配信などいろいろと手伝っていた。だが、半年ほどたったときだったか、上司が急遽、ミーティングに同席できなくなるという日があった。
こんな小娘ひとり相手に、管理職の方の貴重な時間をもらって大丈夫だろうか、先方はさぞ頼りなく思うにちがいない、という思いで頭がいっぱいで、胃をキリキリさせながら訪問する。
あまりに恐縮すぎて、打ち合わせの冒頭にお詫びしたら、彼女はこう言った。
「え? もうぜんぜん、わたしは◯◯さんひとりでも大丈夫。20代のこういう、若い世代の方と一緒にやるって初めてだったから確かに最初は不安だったけど、もう◯◯さんのほうがよっぽどわかってると思うし。◯◯さんくらいちゃんとやってくれるなら、それで大丈夫」
思い出として美化されている表現もあるかもしれないが、確かにこういうようなことを。
そしてわたしはこのとき、ほんとうに感動したのだ。正確な文言は思い出せないかもしれないけれど、このときにこういうことを言われて、涙がでそうなほど感動した……ということだけは、ずっと覚えている。
* * *
その感情を正確に思い出すには、もうちょっと当時の背景が必要だ。
わたしは当時、「こんな小娘が……」感を、あらゆる場面で味わっていた。
まあ事実だからしかたないっちゃしかたないこともあるのだが、どこへいってもやりとりをするひとはすべて年上で、経験も実力も開きがあって、相手の目線や表情、口調のはしばしから「見下されている」感を味わうことばかりだったのだ。
クライアントも複数担当させてもらっていたが、他のところでは上司がメイン担当で、きっとわたしは手を動かす作業員というか、お付きの者みたいに思われていたんじゃないだろうか。「お前じゃ頼りないから上を出せ」というムードをひしひし感じていた。
そんななか、初めて、対等な目線で向き合ってくれたのが彼女だった。
少なくとも10年、もしかしたら20年ほど年の離れた彼女だけが、わたしの年齢やこどもっぽい見た目に先入観をもたず、「何をするか」を見てくれた。そのことにひどく感動した。
ああ、自分もそうやって年を重ねよう、と思った。
* * *
期待されると、応えたくなるし、越えたくなる。ひとの素直な感情だと思う。
その後もわたしが退職するまでの3年弱、彼女のパートナーのひとりとして伴走しつづけさせてもらった。
そういえば、当時のわたしはいろいろなところで「理不尽だ」なんて思う機会が多かったのだけれど、彼女との仕事でそれを感じたことはないなと気づく。指摘されることや厳しいことを言われることはあっても、理不尽ではなかったので、楽しかったのだと今では思う。
いつだって彼女はストレートで、言いたいことを、いいことも悪いこともさくっと伝えてくれる。それが楽だった。
外資系を渡り歩いていた彼女らしく、メールはいつも要件のみ。めんどうな冒頭の挨拶や、まどろっこしい敬語をこねくりまわしたりすることもなく、スパンと要件を伝えてくれるそれは、同僚からは“怖い”という印象を抱かれることもあったが、わたしにはむしろ爽快だった(今はチャットやメッセージツールが主流になって、よかったなあ)。
そしてわたしが退職の意を伝えたときも、直属の上司には「今辞めるなんてもったいない」と言われるなか、彼女は笑って背中を押してくれた。
「いやいや、それは◯◯さんの考え方があるんだから。がんばって」って。
年齢が離れている分、間違いなく経験があるのだから、いろいろと聞かれなくてもアドバイスしたくなることもあるだろう。留学経験もある、海外滞在経験も豊富な彼女ならなおさらだ。
けれど彼女は、何も押し付けず、笑って応援してくれた。
“それはあなたが決めることだから”。そう言われたように思えた。
* * *
わたしはわたしで、あなたはあなた。同じにする必要もないじゃない?
彼女とわたしにもし共通項があるとしたら、そういう考え方かもしれない。
彼女は、違いをおもしろいと思ってくれるひとだ。
彼女自身は仕事だけではなく、趣味も本格的に極めている、あらゆる方面にアクティブなひと。華やかな写真がアップされているのをSNSでたまに見かけるし、家のインテリアもとてもお洒落で、旅のスタイルも洗練されていて、わたしとはぜんぜん違う。スタイリッシュ、という言葉が似合う。
彼女のイメージアイテムがワイン、チーズ、ワイングラス、スーツケースだとすると、呼応するわたしのアイテムは緑茶、せんべい、湯呑、バックパックだ。そのくらい、好きな世界観はたぶん違う。
それだけ違うのに、彼女は、わたしの世界もおもしろいねと言ってくれるから、わたしも自分の世界を話したいと思うし、彼女の世界についても知りたいなと思えるのだ。
* * *
その後、わたしが帰国してからは海外体験記をシェアしたり、参加していたイベント展示に足を運んでもらったりと、ゆるく再会したのが5年前。
そこからは連絡をとることもなく、空白の5年間が過ぎた。
そんな中で、ひさしぶりのメッセージ受信。
仕事の手伝いができないかしらと、打診するメッセージだった。
ちょっとやりとりをして、数日後にビデオ電話をつなぐ。年上といえど海外と打ち合わせするのが日常の彼女にとって、遠隔ワークというのは何のハードルにもならないのが心強い。
この5年の間に、彼女はかつての会社を辞め、紆余曲折を経て自分のビジネスを始めていた。同時に、社会貢献度の高い新たな活動にも取り組みはじめ、新しく勉強もはじめていた。
今までは資本主義を追い求めてきたから、ちょっとこれからはそういう、社会貢献もやっていきたいなと思って、とはにかんで話すそのようすは、無邪気な少女のようでもあって、あのころと変わらず、とても楽しそうだった。
一方でわたしもその間に、結婚して引っ越して、子どもが生まれて新たなライフステージにたった。
物理的にも離れて、働き方もずいぶん変わったけれど、10年近い時を超えて、また彼女と仕事ができることを心からうれしく思う。
そして何より、声をかける相手なんて星の数ほどいるだろうに、思い出してもらえたことがうれしかった。
期待されたら、また応えたくなってしまうよね。さびついた頭、磨き直しておかないと。
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くっついたり、離れたり。
もう離れたままかなあと思っていたら、またくっついたり。
ひとの縁って、不思議なものです。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。