みんなが乗っかっているレールの正体
これまでずっとずっと抱えていた、社会に対する違和感。
どうしていい大学に行くの? どうしていい会社に勤めるの? なぜそのなかでさらに上を目指すの?
みんなが、当たり前にやっていることが、いつも疑問だった。
周りの友だちは当たり前のように楽しそうにレールに乗って、上に上にいくことを目指している。でも、そのゲームに興味が持てないわたしは…?
いい大学に行って、いい会社に勤めて、結婚する。
日本には価値観が、レールが、ひとつしかないから生きづらい。ただそうとだけ思っていた。
「どうしたら自分の居心地のいい人生が送れるんだろう」。
いつもいつも探していた。うまくいっては、失敗してきた。
人に見せるためのしあわせはいらない。世の中のシステムに合わない人もいる。それに従わない生き方もある。それを理解するところまでは来ていた。
でも、このシステムがどうして肌に合わないのか。そこまではわかっていなかった。
資本主義社会のきもちわるさ
最近インスタで知ったケイトさん(@paradisabykeito)のお話を聞いて、ハッとした。社会に対する違和感の正体がはっきりとわかった。
それは、今の社会は、”男性性”優位だということ。
(※性質のこと。男性は、"男性性"・"女性性"両方持ち合わせていて、"男性性"が強い。女性も"女性性"・"男性性"の両方持ち合わせているけれど、"女性性"が強い。)
"男性性"に特徴的なのは、直線的な思考。たとえば、A地点から、B地点へ行くまでの解決策をみつけること、みたいな感じだ。生産性を追い求め、高いゴールに向かって直線的に進んでいくようにできている今の社会は、男性にとって生きやすいシステムといえる。
しかも、生産性を追いもとめすぎた結果、”男性性”に傾きすぎてしまっている。それは今回のコロナの件でも、うっすら気づいたひとがいるかも知れない。今までの社会、なにかが変だったと。
そのあり方や価値観というのは思っている以上に、深いところまでわたしたちの生活や思考に染みついている。
それに対して、”女性性”は、空間的把握が得意。だから女性は、論理的というよりは、感覚的に、直感的に物ごとを把握するところがある。それに、女性には月経があるように、もともと女性は自然のサイクルのなかで生きてきた。
男性のようにいつも一定のエネルギーで直線的に進むには、向いた体ではない。
直線的に生産性を追い求める"男性性"優位のシステムのなかで、常に向上しつづけるというのは不自然な状態なのだ。
世の中は”男性性”優位の価値観でできている。
違和感の正体を知ったときは、胸にどすんと響いた。ずっと、「社会に合わないのはわたしが変だから」「社会に合わないわたしがだめなんだ」。どこかでそう思っていたから。
合わなくても、仕方なかった。
じゃあ、そのシステムを真っ向から否定するかというと、そういうわけではない。
社会の”当たり前”を大きなひとつのかたまりとして見ていると、立ち向かえない巨大な敵のように見えてしまう。
でも、これが「当たり前じゃなかった」ことに気づくこと。つまり、社会は"男性性"優位なシステムであり、今の社会は過度に"男性性”に傾いてしまっているのだと理解すること。
そうすることで、今のシステムの中でものびのびと自分らしく生きていく方法が見つかるんじゃないか、そんなふうに思っている。
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