8分かかる道と限界の話。
あなたは限界ってあると思いますか?自分はあると思います、当然に。ちょっと筋トレすれば口癖のように「もう無理!限界!」って言ってしまう。
「言ってしまう」という書き方をしたけどそれは悪いことじゃないと思う。限界なんてないよって言葉が世間には溢れているけど、それは結構残酷な言葉じゃないかなと思う。
自分にはここが限界だって思えるってことは、即ち諦めるということだ。それは筋トレみたいな日常的なことから夢みたいな人生を左右することまで。
諦めないってのは良いことだ。だけど、それと同時に自身を傷つけることだ。諦めたいって思うには何かしら理由が伴っている。「つらい」とか「自分には向いてない」とか「やりたくない」とか、そういう感情があるから「もう辞めてしまいたい」って言葉が生まれるんだと思う。
でも、ここでも「辞めてしまう」って言い方は正しいのかなと思う。諦めるのは悪いことじゃないから、自分を守るための手段だから。
そういう自分も一度夢を諦めたことがある。理由はすごーくシンプル、「自分には向いてない」って思ったから。でも、不思議とつらくはなかった。そこまでの夢じゃなかったと言われたらそれまでだけど、「夢を追い続けたほうがつらい」と自分で決めたからだと、選んだからだと思う。だから、つらさも後悔もない。
でも、夢は形を変えて自分に残り続けている。あの頃とは似ても似つかない夢だけど、胸の昂ぶりはあの頃と変わらない。これは夢を"諦めた"からこそ得た夢だ。
諦めるとはもしかしたら限界の形を変えることかもしれないなと思う。限界だと感じたときに、その限界を超えようとするか諦めるかの二択を迫られると思う。
自分の夢の場合は、諦めた。諦めて違う道を選んだ。この道で限界を感じたとき、自分はどうするかは分からない。でも好きなことだから、限界を超えていきたいなと思う。
じゃあ、限界を超えるってどうするんだろう。自分は限界を超えるとは自分の常識を更新することかなって思う。
昨日のことだけど、時間がヤバかったから駅まで8分かかる道を5分で行こうって歩いたら7分で着いた。その時からその道は自分にとって"7分かかる道"になった。「ああ、もしかしたらこうゆうことかもな」って思ったからこの記事が生まれたんだけど。
でも、いつも頑張るのは疲れるから7分かかる道を10分かけて行く日があってもいいと思う。あの道は自分にとって"頑張れば7分で行ける道"ぐらいがちょうどいい。