しんやの餃子世界紀行 Vol.50
「コロナ禍を生きること」
生きにくい世の中になった。
目に見えないウイルスとの戦争は、終焉を迎える気配がない。
憶測が憶測を呼んで、混乱する市井。
決断が鈍る政治家に、見えない道をひたすらもがく働き者。
思い出と学びを奪われた学生さん。
表現を奪われたアーティスト。
娯楽は先ずいのいちにいらないと捨てられた。
緊急事態だから。
命より大事なものなんかないから。
結構な事だと思う。
命より大事なものがあるかどうかの判断はお前の判断だけが正解と決めつけるには尚早だ。
こう書けば、
お前のわがままのせいで苦しむ人がいる。
そう言うあほんだらが湧いて出てくるが、それもその通りだから、少なくとも僕は失われる事を受け止めた。
誰かが苦しまないように、命より大事なものがない事を受け止める。
僕は別に明日コロナになって死んだって騒がない。
死にたくないと喚くやつほど一生懸命に生きてなんかいない。
やり残したことなんかない。
新谷がいないと寂しいヤツ、悲しむヤツ、困るヤツがいるから渋々生きてるけど、生きてることに特にこだわりはない。
金かかるし、めんどくさいことは多いし、猫もゲロずっと吐いてるし。
そう言う人ほど実際その立場になったら喚くんだと言うのなら
その現場を見にくればいい。
人の死生観なんて、人それぞれで良いと思うし、なるべく他の人の迷惑にならないようにできるだけそっと静かにフェードアウトしたいとそれだけだ。
勿論痛いよーくらいは騒ぐかもしれないけれども。
人は生まれることも死ぬことも選ぶことなんて出来ない。
自殺だけである、死因もタイミングもコントロールできるのは。
それが怖い以上、死ぬまで生に縋ることなんかできず、人はいつかなんらかの理由で死ぬ。
なんならロックスターは27歳で死ぬんだ。
5年も長く生きた、もうお腹いっぱいなのである。
東に西にと撒き散らかされる変異種。
その波は岡山の街も巻き込んで、中途半端な期間と中途半端なエリアだけに敷かれる緊急事態宣言のような何か。
十分とは思えない説明、理解し難い決断にも、『命より大事なものがない』ことを受け止めて営業を諦める飲食店が増える。
みんなそうやって飲みこんで我慢しながら、明日コロナ以外の何かに殺されるような背筋を伸ばして理不尽を飲み込む。
理不尽とはなんだろう。
誰かの無意識が誰かの命を奪う事なのだろうか。
ではその無意識は何から生まれたんだろう。
誰かの不利益を隠した先に侵入してきた無意識は、誰かの理不尽なのではないのだろうか。
異国で生まれたウイルスが侵入したあの日を防ぐことに理を尽くしたのだろうか。
こんな大事になるわけはない。
本当にそうは思ってなかったと言えるのだろうか。
理不尽を理不尽で上塗りしていく毎日と、有耶無耶にされていく責任は、結局守らなきゃいけない生活とアイデンティティと命とはなにかもひっくるめて闇に葬って、結局隣の海岸の火事が自分の海岸に燃え移るように、街が街の首を締めるようなお願いだけを飲み込むんだろう。
ウチのオーナーは馬鹿じゃない。
寧ろ相当なハッピー野郎だ。
ただでこんな理不尽なお願いを飲み込むような男じゃない。
餃子世界岡山はこの期間店を閉める。
そんな不器用でクレイジーな男の気持ちに応えてくれるように、手を差し伸ばしてくれるように、奉還町で餃子世界の味を楽しめる場を用意してくれる人がいる。
しんやにとっても。
ぶっちーやハイカロと働くことができる。
北島さんと働くことができる。
こんな不自由な世の中で、『コロナが流行って良かったこと』なんてあってはいけないような風潮だけど、僕はコロナが無ければ岡山に来てないだろうし、ハッピーなオーナーの下に付いてなんてないし、働きたいと思う人に出会うこともなかった。
どんな境遇だろうと下を向いても仕方がない。
下にはキリが無い。
上を向くのも同じく、下より無限に上は続くし、首がもたない。
顔が背中を向いていない以上。
人は前を向くのが一番楽であり、有意義なのである。
いつ、何時であっても。
終わるか終わらないかの議論より先に、その垂れに垂れた首をあと90度だけ前に傾けろ。
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