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しんやの餃子世界紀行 Vol.47

「僕は別に書くのが上手くない、正確にはもっと上手く書ける奴はたくさんいる」

正直に嬉しいけどくすぐったいのと、そうじゃないんだよってことを書く。

最近ブログを上げてたくさんの人に読んでもらえることが増えた。

笑いました。
泣きました。
ありがとうございました。

そんな言葉の数だけ、感じたことがない違和感を覚えるのだ。

そんな捻くれ者の話。

書くことを生業にしたいと思ったのはいつだったか。

多分中学とか高校のときには選択肢の1つにしていた。

別に
『書くこと』
でなくても良かったような気がする。

なんらかで有名になれるならなんでも良かった、気がする。

歌も上手かった。
話も上手かった。

人気者になる素質は人の何倍も持っていたと思う。

天は人に二物より多くのものを与える。

本気でそう思っていた。

いつしか、そんな二物はお荷物になって。

気が付けば置いてきてしまった、どこかに。

それから急にコロナが世界を埋め尽くして、どこかに忘れた

「人気者になる」

気持ちが戻ってきた。

その時、『書くこと』に向き合った。

だから、物書きとしてのしんやはまだまだ未熟で荒く、全く完璧じゃない。

相変わらず誤字脱字は多いし、読み返せば読み返すほどもっと良い日本語を思いついてしまう。

そんな文章で泣く人がいる。

ぼくはまだ、そのことを実感できていない。
戸惑っている節がある。

もちろんとても嬉しいと思う反面、そんな気持ちで書いてないよって。

もっと上手に書いてあげたかったと思う日々が続く。

『読むこと』をやめた日本人に響くだけなのかもしれない。

結局のところ、『書くこと』と『読むこと』は同じことで、『読ます』ことは強制するべきじゃない。

でも『書くこと』を強制するという仕事は、息を吸うよりは難しく、餃子を包むより簡単な仕事だ。

僕は岡山で毎日他人だった人と出会い、全く共有したことのない人生を書く。

ルールはひとつだけ。
悪く書かないこと。

それを毎日書き続ける鎖を巻いていること。

そのことだけを守ってる。

笑える日があれば、泣ける日もある。
何もない日もある。
兎にも角にも、そんな言葉は出会いの中からしか生まれない。

その日々の積み重ねでしか、僕は『書くこと』を生業にできない。

だから一人歩きしているような気がして、違和感を覚えるのかな。

僕は人より少し書くのがスムーズなだけの、素人でしかない。

しんやがプロになれたとしたら、プロにしてくれるのは岡山の街だ。

街が1人の余所者を人気者に変えていくビジネスモデルを、みんなが推してくれる。

僕は他力本願ながらも、そんなモデルに賭けている。

だから。

僕の文章で泣けるのも。
笑えるのも。
出会いのおかげでしかない。

君たちのおかげで、誰かが妙なことに感動したりしてるんだ。

凄いことだ、それも毎日。
なんらかの形で必ず。
誰かの心を誰かが打つ連鎖が面白いように止まらない。

毎日のように天はしんやに三物も四物も与えてくれる。

はっきり言って僕は別に書くのが上手くない。
正確にはもっと上手く書ける奴はたくさんいる。

でも、しんやの文章はしんやにしか書けない。

そのことだけを証明するの、手伝ってくれないかな。

トップシーンにしんやひろきを乗せてくれ、岡山の街。

感謝してるよって話。

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