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贅沢しちゃえ〜

子どもがすっかり大人になった今、ダメなとこだらけの母親だった自分が、小さな努力をしていたことを思い出した。

それは、おじいちゃんとおばあちゃん(夫の両親)のことを悪く言わないことだった。

我慢できなくて、夫に文句を言うことはよくあったけれど、子どもの前では言わないよう頑張ったつもりだ。
それが何に繋がるのか、若いころの私にはわからなかったけれど、そうした方がいいと思った。

子どもたちにとっては、血のつながりのある、お年玉をくれる優しい存在なのだ。


義父の通夜に車で向かった日、娘と二人きり、1時間ほど話す時間があった。
一度だけ、もう無理かもしれないと思った日のことを話した。
そんなつもりはなかったのに、義父が亡くなったことで、実家の父の闘病を思い出したからかもしれない。

ただ事実だけを話した。
娘は、私ならもうそれだけで絶対ムリ!と言った。
大人になった娘が、そう感じるのかと思った。


義父が亡くなるまでの数カ月、私はいくらでも優しく介護できるような気がした。
それができたのは、心の中に父が生きていたからだと感じている。

もう今まで以上に、辛いことは起きないとわかっていたし。
忘れられない悔しさは、優しさで返そうと思った。
そして義父が「おまえに、お父さんと呼ばれる資格はない」と言った時、心の奥で、勝ったと思った。

そういう自分はちょっと嫌なんだけれど。
本当はもっと優しい言葉がよかったんだけれど。

温かい心のやりとりはないまま、義父は旅立っていった。

子どもが大人になるまでの、私の小さな努力は何かに繋がっただろうか。

おとといの四十九日に来られなかった子どもたちには、無事終わったことだけ連絡した。
そして今朝、出勤前に娘からLINEがきた。

ぱーっと贅沢しちゃえ〜。

おじいちゃんは、お母さんには何も残さなかったよ。
でもこれから時間をかけて、何かなかったか考えてみようと思ってる。

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