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母の作文「こたつ」

今日、こたつを出した。

リビングと言うより茶の間と言った方がしっくりくる我が家の居間。
このところ夜の冷え込みに、早く出せばいいのにひとりでやるのが面倒で、子ども毛布を膝に載せてしのいでいた。

でもさすがに今日こそ出すぞと決めて、ひと汗かいたところだ。


母が高齢になって、実家のこたつは兄か私が出すようになった。

一昨年の11月のこと。
こたつを出してほしいと母から電話があり、翌週の休日、実家に行った。
私が子どものころから使っているこたつで、天板の裏側が緑のフエルト貼りのテーブルだ。

畳の上に敷マットをひいて、こたつ布団を掛けるだけ。
車で1時間余り走り、わずか10分で出来上がった。
早速スイッチを入れ、母と二人で足を入れた。

そのころ、文章の添削の仕事をしていた私に、母が何か書いてみたいと言う。
体裁は整えるから、思ったことを書きたいように書けばいいよと言って、私は帰ってきた。

それから数日後、何かの用事で掛けた電話に
「私ね、『こたつ』という題で書こうと思うの」と、声を弾ませていた。

新聞に投稿するなら季節がだいじだから、早く書いてねと言って電話を切った。

その後、母からは書いたとも書けないとも連絡はなく、もう書く気をなくしたのかもしれないなと思っていた。

その年の暮れ、夫の実家で恒例の餅つきをした。
母にお餅を届けようと、夕方実家に向かった。
ようやくそこで見た携帯に、何件もの着信がある。
胸騒ぎを感じながら実家に着くと、先に来ていた兄が母を抱きかかえるようにトイレに連れていくところだった。

母は散歩中に転倒して、肘を骨折していた。
それからは救急外来に行き、すったもんだの末、結局入院することが決まった。

そして新年早々に6時間の手術を受けたのだが、その翌日、母は誰にも何も言わないまま、あっけなく旅立って行った。

そこからはどこでも同じような、慌ただしい数日間だ。
四十九日も明ける頃、母が座っていた時のままの、こたつの机に目をやった。

美智子様や瀬戸内寂聴さんの本など、5冊ほどが積まれている。
何度も繰り返して読んでいると言っていた本だ。

それを両手で持ち上げると、下から小さな青いノートが出てきた。
パラパラっとやると、俳句のようなものや、孫の進学や就職についての思いなどが書かれている。

順にめくっていくと、最後のページに「こたつ」と書かれ、ほぼ一面を埋めるほどの文章が書かれていた。

娘を頼りにしていること。
あっという間にこたつが出来たこと。
自分が歳を取ったなと感じること。
そして最後は、「これからどうなっていくのやら」と書かれていた。
そう書いてしまって、もう後が続かなくなったことが伝わってくる。

独り暮らしの母は、80代後半になり、「私どうなって行くんかしら」「どうやって死ぬのかしら」と口にすることが増えた。
あまり暗い話にしたくない私は「大丈夫だよ、息が止まるだけなんだから」と茶化して言うこともあった。

手術の後、麻酔から覚めつつある時に、頑張ったねと声をかけ、母もうんうんと言っていた。
疲れているだろうからと、短く切り上げて帰って来たけれど、それが最後になった。

母の作文「こたつ」。
何度かリライトして、私の作文でいいから形にしようと思ったけれど、なかなかうまくいかないままだ。

あれからもう2年。
来週は母の三回忌だ。
誰もいなくなった実家の茶の間に、今年もこたつを出してみようか。

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