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ぞうくんのさんぽ

9年前に書いたエッセーを引っ張り出してきました。


息子の小さな手

大学に進学のため、息子は今春から一人暮らしを始めた。
周りの人は「寂しいでしょう」と私のことを気遣ってくれるのだが、どうもピンとこない。
寂しくないといえば嘘になるが、受験生を抱えた暗くて長い毎日が終わり、ホッとしていると言った方がしっくりする。
それどころか、気の合う友人と食事をしたり旅行に出かけたりと、寂しいと思っている暇がない。
息子から便りのないのも、元気な証拠と思って過ごしている。

そんなことを話していたら、年上の知人が「上手に子離れできたってことだよ」と言う。
なんだか母親業の卒業証書でももらったようで、誇らしくなった。

先日、珍しく息子のことが気になって、電話をした。
変わりがないことを確認し電話を切ろうとすると、息子が「あのさ」と言った。
ちょっと都合が悪いときの声だ。

部屋の鍵をなくしたという。
それも夜釣りに出かけた琵琶湖で。
警察に遺失物届けを出し、昨晩は友達の部屋に泊めてもらったのだとか。
朝一番で不動産屋に行き、合い鍵で部屋に入ったという息子に、もう一度しっかり探すように言って電話を切った。

帰宅した夫に話すと、「鍵穴ごと交換になるぞ」と不機嫌な顔をしている。
鍵穴以上に、相変わらずのおっちょこちょいぶりに腹が立つのだろう。
「気をつけろ!って電話すれば?」と言うと、「別にいいんだけどさ」とポツリ。

そんな親のやりとりも知らない息子は、少し反省したのか、翌日メールをしてきた。
「鍵は琵琶湖の藻屑となったのかもしれん」と。
勉強になったならいいけどと、ため息をついた。


そんなことがあった数日後、名古屋市美術館へひとり、「絵本原画の世界」展を見に出かけた。
新聞に出ていた一枚の絵が見たくなったからだ。

「ぞうくんのさんぽ」は息子の大好きな絵本だった。
心優しいぞうくんは、散歩に出かける途中で出会うかばくんや、わにくんを背中に乗せてやる。
そしてかめくんが乗ったところで、とうとうぞうくんは限界になる。

その場面になると、次が気になってしかたがない息子は身を乗り出し、私の手をつかんで、早くめくるよう急かすのだった。
みんなが池の中に落ちることはもう知ってるはずなのに、何度読んでもそうだった。

展示室でぞうくんの顔を見ていたら、あのとき力一杯私の手をつかんだ息子の手を思い出した。
しっとりとくっついてくるような小さな手のひら。
不意に涙が出そうになり、慌ててハンカチを取り出した。

あの可愛い手もすっかり大きくなってしまった。
でも、子離れするのはもう少し先にしたいなと思いながら、美術館を出た。

夕方の白川公園は散歩をする人も多く、噴水の方からお父さんと遊ぶ男の子の歓声が聞こえた。

 ◆ ◆ ◆

「ぞうくんのさんぽ」を描かれた中野弘隆さんがお亡くなりになったことを、朝刊の訃報欄で知りました。
素晴らしい絵本と思い出を、ありがとうございました。
著者はお亡くなりになりましたが、絵本は永遠に生き続けます。


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