見出し画像

小さなカウンセリング

カウンセラー仲間との勉強会に参加した。

最後の1時間は、短時間のカウンセリングをする。
自分が何か言いたいことがあれば話すし、誰かの話を聴くこともある。

先日少し残念な出来事があり、それを聞いてもらうことにした。


前回実家に行ったのはお盆だったので、わずか1ヶ月の間のことだ。
何か苦情でもあったのか、それとも兄の判断なのか、生垣が根本からバッサリ切られていた。

道路に面して横長の敷地なので、結構な本数だ。

生垣だけでなく、南天や柘植の木も荒っぽく切られていた。

庭に無造作に積み上げられた、木の山があった。

事情はわからないけれど、こんな荒っぽく切るなんてと悲しくてなった。

実家が空家になって3年になる。
毎年、夫が気にして生垣の剪定に行くようにしていた。
それが今年は暑かったり忙しかったりで、なかなか行けずにいた。
涼しくなってきたので、そろそろと思っていたのだが。

実家は兄の所有だ。
(公共料金を払っているだけなんだけど)
私に相談することでもないかもしれないけれど、思いもよらぬことで驚いた。
すっかり景色が変わってしまった。

昨日のカウンセリングでは、そんなことを全部吐き出した。

カウンセラーはうなづきながら聴いてくれた後、こんな風に返してくれた。

お話の中で、「切られちゃった木が可哀想で」とおっしっていました。その木にお母様を重ねておられるように感じました」と。

思わず涙が出そうになった。

私もカウンセラーの端くれなら、自分との対話で気持ちを整理する。
でもそれには限界がある。

自分が言葉にできなかった思いを、整理して返してもらう。
それがどんなに心に響くかを実感した。

昨日会ったカウンセラーに感謝している。

切られた木は可哀想だけれど、私の気持ちは癒されている。
ただ、今年も剪定するつもりでいる夫が残念がるだろうと思うと、まだ言えないでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?