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葬送のかたち

ここ数年で大きく変わったことのひとつに、お葬式がある。

4年前の1月に送った母の時から思えば、家族葬がスタンダードになり、会社関係の参列など虚礼廃止が進んだのはいいことだと思う。

家族葬と言っても実際親戚は集まるし、どうしても会いたいという友人なら断られることはないだろう。

叔母(母方の叔父の妻)が亡くなり、一昨日の通夜と昨日の葬儀に参列した。

叔父叔母はみんな遠方のうえ高齢なので、近くに住む従弟が供花の手配をしてくれた。

お葬式はぶっつけ本番だ。
誰が何の段取りするかなど決まっていないし、その土地のしきたりやそれぞれの主張もあって、短時間にまとめるのは大変だ。

叔母の葬儀が無事終わり、出棺を見送ったら帰ろうと思っていた。

すると従弟がそばに来て、耳打ちした。
「〇〇家(叔父の身内)はボクひとりだから、育ちゃん一緒に(火葬場まで)行って」と。

考えてみれば、兄も、彼の兄も、今日は来ていない。
叔父の身内は甥と姪にあたる私たち2人だけだった。

決まりはないことだ。
私の考えは、出しゃばらない程度に心を尽くせたら思っている。

従弟と私はそこらへんの温度が近いようで、お互いの兄のことを、いつも義務で来てるのが寂しいんだよねと話しながら、マイクロバスに乗り込んだ。

母が、お葬式は故人だけでなく残された人のために行くんだよと言っていたことを思い出す。

あちこちで「こんな時にしか会えないから」と言う話し声がした。

私も久しぶりに従妹たちに会って話せたし、学生時代にアルバイトしていた料理屋の女将さんに40年ぶりに会えた。
ずっと伝えたかったことを話すこともできて、嬉しかった。

よほどこじれた関係でないなら、小さいころ可愛がってくれた人に感謝の思いを伝える最後の機会ではないだろうか。

ところで私の一番古いお葬式の記憶は、一緒に暮らしていた祖母の葬儀だ。

まだ土葬だった50年前、チンポンジャランと鳴らしながら行く仏式の野辺の送りをした。
黒澤映画か八つ墓村あたりに出てきそうな光景だ。

葬送の後に行う御斎で、上座に座る和尚様に続く上席は、おんぼさんと言われるその日の墓穴を掘ってくれた人だった。
そういう大変な仕事をしてくれた人への感謝なのだろう。

古い記憶だけれど、あれを見た経験は貴重だったと今になって思う。

時代は変わり、葬送のかたちも変わった。
どうしてほしいかと書き残す人もいるだろうけれど、死んでしまえばあれこれ言うことはできない。

今回、用意した香典は辞退された。
驚いた一方で、それがいいよと思った。

母の時の、やりきれない思いがふと甦りそうになる。
常識と思って言ったことが、うるさい小姑になってしまった。
もう会うことはない人であっても、失礼がないようにという思いは、ただの口出しに終わった。

形にとらわれることなんかない。
その一方で、時間を割いて来てくださった方には礼を尽くしたいと思う。

喪主である叔父の挨拶がファンキーだった。

年を取ってヨボヨボしてるのか、もしかして演技なのか、飄々とした叔父は何度か笑わせておいて、最後にちょっと泣かせた。

一時のものだけれど、葬儀にはその家族の形が見えてくるものだと思った。

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