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前回の通院

※通院について何かを提言しているのではなく、いち患者の雑感です。

私は月に一回のペースで精神科を受診している。
病院は県外の国立病院で、通院にかかる時間は自宅から一時間ほどである。通院するときは交通機関含め、混雑することはあまりない。

最新の通院は3月の末、予約通りに診察を受け薬を処方してもらった。
ロビーで待っている人の数はいつも通りであった。混雑している、もしくは閑散としているかと思っていた。診察もいつもと変わらず、終わりに来月普通に通院できるかわからないから、薬を多めに処方して欲しいと言った。主治医は12週間分出してくれたのだが

自分から言わないと、主治医はいつも通り薬を4週間分処方、次回の予約も4週後にしていたと思う。

そのような予想があったから、診察時に忘れずに言わなきゃと思っていた。
しかし主治医から薬を多めに処方する提案があってもいいのではとも思った。診察のとき新型コロナウィルスの話もしていたし。

後に
いつも通りの間隔で通院しない(できない)ことの影響と、通院して感染する影響とを考えたとき、どちらが大きいとは決められないと気づいた。一般にもそうだし、自分の場合もそうである。

もちろん精神医だから精神面から見た健康を扱っている(と思う)。もともと医者からは、通院の時期を延ばすのを勧めないと決まっているのかもしれない。
しかし身体の健康と精神の健康は、分けて考えられるものではない。自分が感染して症状が出たら、トータルで苦しむだろう。また今後通院に際し、気持ちの負担が大きくならないとも言えない。通院して精神面の健康が悪くなるかもしれないのだ。

精神疾患においては、通院すること自体が効くのだと思う。これは今の病院にかかってしばらくしてから感じた。

予約通りに病院を訪れ受付をし、医者と数分話す。会計してから薬局で薬をもらうこともある。一連の流れは定期的に自分の精神面を意識させる。
たぶん通院にかかるエネルギーは、少なからず達成感へ変わっている。なんだかんだ、行ってよかったとなることが多いのである。
診察しないで薬を処方するリスクも大きい。できないのかもしれない。患者によっては余計に薬を持つことが、危険な場合もあるだろう。

リスクとリスク、可能性と可能性を量りにかけたとき、どちらが小さいと完全に決められない。当たり前と言っちゃ当たり前。

あらかじめ自分で判断して処方を多くしてもらったことは、いい傾向なのだと思う。その上で上記のような察しができたのはさらにいい。言うなれば選ばなかったほうへの思いやりで、「判断をして選ばない」ことに慣れたから気がつけた。
全然違う例えだが、パンとライスでパンを選ばなかったことが苦々しくならずに、パンも美味しいと納得できるようなことだ。

日頃から小さな判断を積み重ねることを、主治医はずっと私に促している。

※もちろん精神疾患とひとくくりに言えませんが、○○病、○○障害、○○の症状と患者の私が分けられるはずもないので精神疾患と書いてます。

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