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信州蓼科の旅(6)短命に終わったワーケーションと3人麻雀(旅で★深読み)

旅の2日目。

妻と娘は小雨の中、長門牧場に出かけました。

私はコッテージでワーケーションです。
翌週、ZOOM勉強会の講師を頼まれており、パワーポイントでプレゼン資料を作らなければなりません。

あらかじめ部屋の清掃はお断りしているので、仕事に集中できます。いや、このワーケーションってヤツ、一度やってみたかったのです。

……のはずですが、いけませんね。
「気が散りやすく、落ち着きがない」の本領発揮で、ついつい(noteを含む)ネットサーフィンをしてしまい、なかなか資料作りが進みません。

そうこうするうちに妻から電話がありました。
秋雨に濡れそぼる動物たちはイマイチ元気がなく、長門牧場t特製のソーセージやらなにやらをたっぷり買って帰るから、昼も夜もコッテージで食べようぜ! ── 酒はたんまりあるから!……というわけです。

天気がいい日の長門牧場
雨じゃなければアルパカ君も機嫌がいいのに……。

まさに「濡れそぼって」帰ってきた二人と共に、昼食をとった後、さて、午後は何をしようか、という話になりました。

「麻雀しようか、1時間千円らしいよ」
「でも、3人しかいないし……」
「No Problem! 俺と母さんは結婚した頃、よくふたりで麻雀したもんだ」
「……へえ」

ホテル本館の麻雀室にはいわゆる自動卓が1台あり、3人(従って、東南西風のみで回す)で囲みました。
おそらく、コロナ前にはこの部屋はかなり利用頻度が高かったのでしょうが、コロナ以後、「接触感染」を怖れてほとんど使われていないようでした。

私は子供の頃から親類とよく雀卓を囲み、高校入学後には友人たちと土曜麻雀をよくやりました。
学生時代も、そして会社に入った後も時々卓を囲みましたが、私より若い世代が打たないため、徐々に遠ざかり、家族麻雀もかなり久しぶりでした。

話は少々飛びますが、最近、大学時代によく歩いた街を再訪する機会がありました。当時と1番異なっているのは、《雀荘》がまったく見当たらないことです。

シニアの間で《健康麻雀》が流行している、という話を聞いたのは数年まえですが、「素手」で牌を掴むこのゲームは、カラオケほどではないにしろ、(麻雀番組ではともかく)庶民の間では3年前から「悪役」になってしまいました。


高校1年の時、クラス1の秀才が厚紙と色鉛筆を駆使して、非常に精巧な《紙麻雀》を作り、休み時間はもちろん、(ユルイ先生の時に)授業中も前後の席4人でやっていたことを想い出しました。

この友人は、《工芸》としての《紙麻雀》だけでなく、《文芸》でも傑作を産みました。

それは、平家物語の書き出し、

祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、
諸行無常の響きあり
沙羅双樹さらそうじゅの花の色、
盛者必衰じょうしゃひっすいことわりをあらはす
…………

《パロディー!》でした。

彼の作、北家ぺいけ物語」です。
北家ペイチャ、と詠むべきですが)

東南西家トンナンシャーけのポンの声、
諸行無常の響きあり
国士無双こくしむそうパイの色、
盛者必衰じょうしゃひっすいことわりをあらはす
…………

「天才だ!」
16歳の私は思いました。

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