讃岐國・丸亀再会旅(旅で★深読み)
大学研究室時代の先輩と会うために四国・丸亀に向かう途中、小学生時代から気になっていた中国山地の中の街・津山に立ち寄りました。
津山で宿泊した後、岡山駅で特急南風号に乗り換え、瀬戸大橋を渡って一路四国へ。
かつて塩田が広がっていた讃岐國の瀬戸内海沿岸は、今や化学コンビナートだったり、太陽電池パネルだったり。
15時ちょい前に丸亀駅に到着した。
駅前の駐輪場には謎の人物?が自転車を押しています。これは(後でわかった)「とり奉行骨付じゅうじゅう」という名のゆるキャラで、《骨付き鶏》というのが丸亀のご当地グルメなんだって!
丸亀もすっかりシャッター街です。歩道の幟旗が強風に煽られるうどん屋さんも閉まっている。昼メシの時間だけ開いているのか?
ホテルのロビーで、丸亀在住の先輩と会う。
私が学部4年の時に博士課程の3年だった人で、よく呑みに連れて行ってもらったものです。
宴会の1日前に丸亀入りしたのは私ひとりだったので、ホテルに来た先輩の案内で丸亀城へ。
丸亀城は、
① 日本で一番高い石垣(60メートル)
② 建設当時のまま現存している国内12天守のひとつ
として知られています。
天守の中の資料によれば、初代丸亀藩主は同じ讃岐國高松藩の生駒氏。この苗字に尾張人はピン!と来ます。
織田信長の側室で信雄を産んだ生駒吉乃の実家・尾張生駒氏ではないですか!
しかし、系図を見ると、讃岐で大名になったのは、尾張生駒氏の分家筋、美濃國可児の土田生駒家の方でした。この家も信長の生母・土田御前を出していますね。
この関係から、この地の初代藩主・生駒親正は信長の従兄にあたります。
城内にご当地ゆるキャラトリオがいました。
名産のうちわ、殿様の京極くん(17世紀半ばから藩主)はわかるとしても、骨付じゅうじゅうは……。
観光案内所の中にも、土産用各種うちわが売られており、女性職人が制作の実演もしていました。
もともとは金毘羅参りのお土産として始まり、藩主の内職としても奨励されたそうで、現在、丸亀のうちわは国内生産の9割、という驚異的なシェアなんだとか。
そりゃ、《うちわっ娘》はわかります。
でも、この《骨付じゅうじゅう》のグッズの豊富さは謎ですね。
特にこのクリアファイル、ミニスカートの女子高生が、
「骨付鳥、いかない?」と誘ってる。
いや、着飾った女性が、
「今日は骨付鳥、行こっ」と彼の腕を引いている。
こんなの、ホントに売れるの?
丸亀のマーケティング戦略、心配になってきました。
要はクリスマス時期に全国のスーパーで売られる骨付きモモ肉のようですが、ニンニクの味付けが独特なんだそうです。
丸亀城内には人力車が停まっており、観光客を乗せていました。
「車夫は、よしもとの『住みます芸人』なんや。ずっとここに住みついて、地域おこしをする、っちゅうわけや」
と先輩。
この夜は先輩とふたりきりで呑みました。
まず、寿司屋で生ビール、続いておばんざいの店で、煮物中心の料理をつまみながら地元の冷酒を。
話題はどうしても昔話に。ほとんどが学生時代に行った(というか、連れて行ってもらった)酒場の想い出話ですね。
この先輩は当時、アブナイ人とも付き合っており、
春日通に寝転がって……死にかかったこともありましたね。
この後は……