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晴旅雨筆(エッセイ)

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これまでの人生で書き散らしてきたノートの切れ端をちぎれ絵のように張り付けたエッセイ。本を読み、山に登り、酒を呑み、街を歩く。
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#想い出

「アトムの童」を視て想い出した新入社員実習中の『君は天才だ!』(エッセイ)

高校1年の時、平家物語の麻雀版パロディー「北家物語」 を書いた同級生を、 「天才だ!」 と感心した話を書きました。 今回は、私が人生で(たぶん)1度だけ、 「天才だ!」 と言われた話です。 (……自分では時々言うかな ── 誰も言ってくれないので) それを唐突に想い出したのは、日曜劇場「アトムの童」を見ていた時です。 このドラマは、主人公(山﨑賢人)が親友(松下洸平)と2人でゲームプログラムを開発し、小さな老舗おもちゃ会社のメンバーと共に巨大ライバルに挑んでいく、とい

ワールドカップで想い出す《引き》の強さ!(エッセイ)

サッカー・ワールドカップが始まりました。 今から20年前、日韓主催大会の年の1月1日、同業他社の先輩研究者から年賀メールを受け取りました。 簡単な挨拶の後に以下のような依頼が: 宛先に私の個人名はなく、メーリングリストでかなり多くの知人に送付していることは明らかでした。 案内されたウェブサイトに行くと、(あまり記憶が定かではないが)誰でもわかる簡単なクイズがあり、希望する試合のチケットを指定するようになっていた。 確実に日本が出場し、相手国も決まっているグループリーグ

7年目の浪人生活を送る《長老》は、なんだかうれしそうに「キミ、それは五月病だよ」と言った(エッセイ)

Note記事を読んでいて、インスピレーションが湧いたり、記事関連で想い出したことがあったりしてコメント欄に書き始め、長くなりそう&ほとんど自分の話になりそうな時、コメントよりも記事にしよう、と思うことがあります。 私の好きな作家・螺鈿人形さんの記事(と表現したのは、創作なのか随筆なのか判別し難いことが多いからです ── 判別しなくていいのですが)の中に《五月病》という言葉を見つけました。 「キミ、それは《五月病》だよ」18歳の時、私はそう言われました。 「はあ……」 大

文化祭で必ずウケる《衝立将棋》(noteで文化祭※ゲームコーナー企画参戦)

《衝立将棋》をご存じでしょうか? 2セットの将棋盤の間に対局相手の盤が見えない衝立を置き、1セットの将棋駒の半分 ── つまり自分の駒を自分側の盤に並べ、対局を開始します。 両方の盤を見渡せる位置に《審判》がいます。 こんなセッティングです: 《衝立将棋》では、相手の駒がどこにあるのかわからないまま、自分の駒を動かしていくという、 きわめて『疑心暗鬼!』なゲームです。 ・自分の駒が突然取られたり、 ・突然、王手がかけられて戸惑ったり、 ・飛車や角がまったく動かせなかっ

廊下でラグビー

「あー、やってたやってた、バカな男の子たちが……」シリーズでいくつか小学校時代のエピソードを書きました。 これまでのエピソードは、地域的偏りが比較的少ないものでした(豊登の「パコンパコン」は年代的偏りがありましたが)。 今回の話は少々特異なので、「やったやった共感」は少ないかもしれません。 反発係数が非常に大きなゴム製のボール《スーパーボール》が流行した時代がありました。 その少し後のこと、学校帰りにカプセルトイ(いわゆる「ガチャ」)を回したら、見たことのないものが現れ

どっちが先生? ── 内科医院の《腹話術師》 (エッセイ)

《すぐそこにある》シリーズ、小学校5年とは思えない《論理》で周りを振り回すユウタくんの活躍(?)、いつもお読みいただき、ありがとうございます。 前回は二世議員の演説会場で、父親から引き継いだベテラン秘書が彼に後ろから「指示」する情景を、 と言いましたよね。 まったく別の場面になりますが、私は《腹話術師》を実際に目撃したことがあります。 《再勉生活》が終わり、3年半ぶりに日本に戻った時、以前のかかりつけ小児科ではなく、もう小学生になっていた子供を、初めて別の内科医院に連

筆箱立てて《上履き底で机上ピンポン》

アフリカ出稼ぎ娘が帰省したタイミングで、卓球場に誘い、貸卓で1時間、勝負しました。 《敵》は小学校から中学にかけて卓球部だったので、かなり余裕であしらわれましたが、途中からこちらが本気を出すと向こうもギアを上げ、結局ジジイは惨敗でしたね。 卓球は我が家の重要な家庭内スポーツのひとつで、今でも台のある温泉旅館に行くと必ず、同居人と真剣勝負!します。 《卓球》は、格闘技のように筋肉の塊りだったり、バスケやバレーボールのように巨人だったりでなくても、コツさえ覚えれば小型・非力でも

「あー、やってたやってた、バカな男の子たちが……」

小学生時代のエピソードを漏らすと、ほぼ同年齢の同居人からそう言われた話をふたつ、書きました。 プロレスへの思いは強いらしく、私同様「バカな男子」の皆さんから熱いコメントをいただきました。 でも、《豊登のパコンパコン》はさすがに古すぎるようです。これ、プールの時間にはホント、大流行したんですが……。 海パンに着替え、シャワーを浴びて現れた半裸の少年たちが、一斉にパコンパコンやり出す光景を想像してみてください。 ……バカバカしいほどに《圧巻》ですよ! 女の先生は手をパンパン

学生時代に好きだった女性シンガー2人

小説同様、人それぞれ好みがあるので、自分の好きな歌をほかの人におススメすることは基本的にありません。 自分の歌(作詞)を紹介して誰かに曲をつけてもらいたい衝動には時折駆られますが……。 学生時代に好きだった女性シンガーで、半世紀近く経った今も活躍している驚きの二人がいます。 ご存じ、中島みゆきさんとユーミンです。 このふたりにはさすがにデビュー直後から惚れこみましたが、きっと誰でもそうですよね。 ということで、両巨頭は割愛させていただきます。 それほどメジャーではなくても

育ての親は《少年少女世界推理文学全集》

誰にも、《今ここにいる自分》を育ててくれた本があるのだろうと思います。 「本」は「book」でなく「books」;一連の本でしょう。 このところずっと、NHK-BSで《シャーロック・ホームズ》のドラマ・シリーズを見ていました。 シリーズ終了後には、以前のシリーズ、《名探偵ポアロ》が始まりました。 背景となる時代は異なりますが、舞台はともにイギリス、前者はアーサー・コナン・ドイル、後者はアガサ・クリスティーの一連の原作をもとにした推理ドラマです。 どちらも、私が小学校高学

プールサイドで《豊登》

「教室後ろで4の字固め」に続く、 「ああ、やってた、やってた、── バカな男子が」シリーズ 第二弾です。 小学生の頃、プロレスラーの「推し」で一番人気はアントニオ猪木、2に豊登でした。 後に何故か国会議員になった猪木のことは知っていても、豊登を知らない人は多いかもしれません。 豊登は大相撲からプロレスに転身し、力道山亡き後、日本プロレスの2代目社長に就いた人物です。 色黒で筋肉質、1964年にデストロイヤーを破ってWWA世界ヘビー級王座を奪取したくらい強かったのですが、ギ

教室後ろで《4の字固め》(エッセイ)

たまに小学生時代の《流行》を思い出し、 「あの頃、〇〇で✖✖、よくやったなあ」 とつぶやくと、都市と田舎の違いはありますが、ほぼ同時代を生きた同居人が応じる; 「ああ、やってた、やってた、── バカな男子が」 なぜこいつは毎回毎回、形容詞「バカな」を付けなければならないのだ、と顔をしかめるところではありますが、確かにごく一部の男子はこうしたアクティビティーに参加していなかった ──「ドラえもん」でいえば、出木杉くん みたいなのがどのクラスにも2,3人いて、そいつら以外は全員

終戦の日に、鶏肉を口にしなかった祖母を想う(エッセイ)

「これ、鶏肉だろう? わしは食べん!」 祖母は細くむしった茹で笹身を僕の皿に移した。 「おばあちゃん、なんで食べんの? 嫌いなの?」 そう言うと、祖母は、口を堅く閉じ、ぷい、と横を向いた。 どんな部位であれ、いかなる調理法であれ、鶏肉を一切口にしない祖母は、同居の孫にも理由を言わなかった。 しかし、その気配から、好き嫌いなのではなく、何か宗教的な理由なんだろうな、と感じていた。 家には仏壇があり、僕が生まれる4年前に亡くなった祖父の写真の前で、よく手を合わせていた。 夭折

なぜ祖母の「願掛け」は《鶏肉断ち》だったのか?

太平洋戦争中、徴兵にとられた息子(私の伯父)の無事を祈って《鶏肉断ち》で願を掛けた祖母が、戦後、彼が復員した後も神仏との約束を守り、亡くなるまでの35年間、まったく口にしなかったエピソードを記事にしました。 なぜ息子が無事帰還した後も《鶏肉断ち》を続けたのか? noterさまからコメントをいただきました。 ・感謝を忘れることなく、誓約を継続する。 ・願掛けを破って起こるかもしれないことを怖れた。 どちらも当てはまると思います。 加えてもうひとつ、理由としてあるのでは