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晴旅雨筆(エッセイ)

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これまでの人生で書き散らしてきたノートの切れ端をちぎれ絵のように張り付けたエッセイ。本を読み、山に登り、酒を呑み、街を歩く。
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2022年10月の記事一覧

冤罪なのに《四面楚歌》(エッセイ)

まったく身動きができない満員電車の中で、女性の胸に手の甲が「ムギュ」と食い込んでしまい、動かすことすらままならず、 「どうしたらいい?」 と焦りに焦ったエピソードを書きました。 この話には後日談があります。 しばらく後に会社の食堂で友人たちに話したのです。 「……というわけでさ、痴漢だって騒がれたらどうしようかと思ったよ」 「……そういえば、最近、痴漢の冤罪がようやく晴れた、っていう人の話が新聞に出てたよね」 「あ、見た見た、自分はまったく身に覚えがないのに、警察から被害

《感謝》の顕し方(エッセイ)

高校3年の時、大学進学後の奨学金給付生募集があった。 地元の企業からの「給付」、つまり返さなくて良いお金で、しかも、その会社に就職しなくてはいけないなどの「義務」も一切無かった。 金額はそれほど多くなかったが、それでも安アパートの家賃ぐらいに相当する額だった。 募集枠は3人で、そこに、同じ高校からボクを含む男子3人と女子1人が応募した。 女の子は、その学年で常に数学の成績がトップであり、最難関医学部志望の天才!だった。 面接試験の結果、彼女ひとりが落とされ、文系2人、理系1

名付けの本質は「当人にどう話すか」(エッセイ)

下記の記事で、名付けのリスクについて書きました。 特に、その時点で評判のいい人に因んだ名を付けると、その後、世評が変わった場合に、当人が迷惑することがあります。 《名前》というのは、良くも悪くも付けられた人の《アイデンティティー》なのです。 この記事には書きませんでしたが、名付けの本質は、 《どんな名前を付けるか》 よりむしろ、 《当人に由来・理由を尋ねられた時に、どう答えるか》 だと思っています。 若い頃に会社の先輩と吞んでいて、話題が「名付け」になった時、彼が、 「オ

まだ生きている人に因んだ名前を付けるリスク(エッセイ)

1972年7月、田中角栄氏が「日本列島改造論」を掲げ、内閣総理大臣に就任しました。 高等小学校を優秀な成績で卒業しながら、貧しさゆえに中学進学を諦め、努力と才覚で国会議員から首相へとのし上がった彼を、マスメディアも、 「庶民宰相」 と称賛しました。 その頃、首相とはまったく血縁関係のない、とある「田中家」に男子が生まれ、その子は「時の人」に因んで、《角栄》と名付けられました。 それから間もなく、この「コンピューター付ブルドーザー」とも呼ばれた、きわめて優秀な若き首相は、「

続「絶叫しないで!」《Bridge over Troubled Water》

絶叫ソングではないのに、なぜか絶叫モードに入る《All My Loving》の謎は深まるばかりです。 ひょっとしたら英語の歌詞だからかな……。 というのは、もうひとつ、個人的な《絶叫ソング》があるのです。 そう ── 《明日に架ける橋》 です。 いや、この曲は、ポール・サイモンがゴスペルに影響を受けて作った曲らしいので、《絶叫》しても許されるのかもしれません。 もちろん、冒頭の、 When you're weary Feeling small When tears

「カラオケで絶叫しないで!」《All My Loving》

現役時代には宴会の流れでカラオケに行くことがしばしばありました。 私よりも年長の大学教授で、プロ並みにコブシをきかせる演歌の達人がおり、かといって、若手社員が披露する昨今の複雑な転調ソングなどはとてもついていけず、やはり、昔よく歌った数曲を、短いローテーションで繰り返し歌うことになります。 家族とカラオケに行くこともたまにありましたが、 「いつもの《絶叫型》は頼むからやめてよね!」 とあらかじめ「強い警告」を受けます。 娘たちからは、 「ええっ、ジャイアンと行くの? ……