言葉。

          

言葉を

紡ぐ。

 

ひとつ ひとつ

丁寧に

 

誰かのため

自分のため

 

頭の中を

ひらり舞う

言の葉を

つかまえる

 

目や 口や 鼻や 皮膚

体全てを通して

受け取り

感じ 想い

混ざり合ったものたち

 

その混沌から

ひとつ ひとつ

つかまえては

並べていく

 

ひとつ ひとつ

丁寧に

 

伝えるために

伝わるように

 

そこに完璧はなく

あるのは

祈りにも似た

想い

  

どこまで行っても

完全な理解などない

 

それでも

人は伝えるのを

やめない 

 

何を伝え

何が伝わるか

 

人の生は

その連続でしかない

          

          

【蛇足】

人の脳はインプットについては様々な情報を並列で処理します。

 見ながら、聞く。
 どこというわけでもなく、景色を見る。
 くすぐったいような、気持ちいいような。
 甘じょっぱい。

こういった状態は珍しくはなく、あらゆる場面で、情報は同時並行的に処理されます(取捨選択もされますが)。ただ読む、という行為に関しても並列処理が可能なようで、私の友人では「2行ずつ読む」とか、「数行先を一緒に読む」とか、なんだかよく分からない離れ業をする人もいます。

感情や思考についても、インプットほど分かりやすくはありませんが、並列処理が可能です(本人か意識できるかは別)。

 ムカつくし、悲しい。
 好きだけど、嫌い。
 ぼーっとしていたら、急に閃いた。

思考については言語で思考するタイプの人はこれには当てはまらないように感じると思います(昔は私もそうでした)。敢えて言葉にするなら、「印象を追いかける」が近いでしょうか。

対して、アウトプットについては並列処理できません(書きながら全く別の内容を喋れる人を除いて)。そもそも主要な出力デバイスが「口」で2つ以上の音を同時に発声することが難しいのだから、当然といえば当然なのですが、逆に言うとそういう口だったからこそ、情報を文字にして直列に並べる方式になったと言えます。

だから、何?

いえ、人は何かを伝える時、大海の渦のような中に、「えいっ」と手を突っ込んで、偶然手にとった言葉だったり、ひらひら舞う言の葉の中でひときわ大きくてつかまえやすい言葉だけをつかまえて、相手に渡したりといった、結構思い切った伝え方をしてしまうことがあります。よほど気を使わなければ、こちらの伝え方の方が主になるかもしれません。

大事な気持ちや、大事なことはあります。それを伝えたいし、伝えることが目的です。でも、それだけでは伝わらない悲しい現実もあります。

どうして伝えるのか、どうして伝えたいのか、どれだけ伝えたいのか、冷静なのか、そうじゃないのか、どうしてそれが大事なのか、どうしてあなたなのか。

どうしたいのか。どういたいのか。

本当は、伝えたいこと、伝えなければいけないこと、伝えた方が良いことは山のようにあって。それを全部伝えることはとても労力が要ること。

でも相手が大切であればあるほど、相手との関係が大切であればあるほど、言葉を尽くすことが、相手や相手との関係を大切にすることに繋がる場合が多いです(伝え方も大事ですが)。

まぁ、どこまでいっても、「理解に近づいたように見える誤解」であることに変わりはありませんが。

そんなお話。


※蛇足について

これは文字通り「蛇足」です。個人的には作品の後の解説なんかは、結構興醒めしてしまう方なので、あまり書きたくはないのですが、興味を持った作品について作者がどう語るかについては気になってしまったりもするので、あっても良いのかなとも思う次第です。きちんと解説しようというつもりもありませんので、そういう意味で「蛇足」です。

とはいえ、誰の目にも触れてしまうのもどうなのかなとも思うので、こうやって蛇足を付け足したものについては蛇足以下を基本有料化しています(たまに無料もあります)。基本的には読まれなくて良い想定。作品(これを作品と呼んで良いかは別として)はそもそも受け手の受け取り方次第で、答え合わせも必要ないと思ので。

蛇足の方が時間が必要となるので、基本的には不定期更新です。蛇足を付記したものは定期購読マガジン「【蛇足】定期購読」、無料のものは「蛇足付記(無料)」に放り込んでいきます。興味のある方はまずは無料マガジンをフォローしてみてください。以下にリンクを貼っておきます。

こちらは480円/月。

たまに無料の蛇足を書きますが、それはまとめてこちらへ。

では。





いつも本当にありがとうございます。大切な人をちゃんと大切にすることは、とても労力のいることです。お気持ちや、その手は、どうかお近くの大切な人へ。あと言葉も、是非。