はて、妊婦体験、どうしたら進化させられるのか?

重りのジャケットをつけた議員さんの妊婦体験が直近話題になっていました。

これまでも<どこかの知事が妊婦ジャケット体験~>などと見かけるたびに「取り組み自体は素晴らしいのに、、、なんとかならんものか~」と感じていました。

妊婦の大変さや困難を実感するのが目的だとすると、手段があっていないのではないかと感じ、もやもやしてしまうのだ。
なんなら間違ったメッセージを強めることにもつながるのではないか?とも懸念してしまう。

というのも、私も自分が体験するまでは「妊婦さん、お腹大きくて大変そうだな~」という印象だったのですが、ふたをあけてみると全然違ったんです。自身の妊婦体験を経て<お腹が大きいこと・重いこと>それ自体は妊婦中に感じた困難のうち1割にも満たなったからです。

私個人が2度の妊婦生活で感じた困難さのイメージを割合比率をグラフで見える化するとこんなかんじ。

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見てのとおり、わたしの場合、ダントツに辛かったのは妊娠初期にやってくる【つわり】。もはや思い出したくもない日々。

何も食べる気がなくなり、毎日吐き続け、寝ていても横になっていても気持ち悪く、なにをしても気分が晴れない。もはや存在していることが辛い状態。それが日々悪化していく。
ただ、病気ではないし、薬物治療ができない時期なのでひたすら時が過ぎるのを待つ。結局ほぼ飲み食いできなくなった私は、なんどか点滴のお世話になり、最終的に仕事も一時的にお休みしました。

そして、基本的にはめでたいことなので、周囲は楽観的。「いつか終わるから耐えよう!」
この温度差もきつい。極限状態だと今日を一日やり過ごすことすら辛いので「いつかではなく今終われよ」としか思えない。

しかも前期つわりが落ち着いたあともずっと唾液が出続ける唾液つわりなるものや胃の圧迫による後期つわりまで含め長引いたので、さらにしんどい記憶しかない。

ただ、このグラフ。前提として私は2回とも切迫早産ぎみで、臨月付近はほぼ安静生活だったということで一番お腹が大きい時期に仕事や家事に動き回ることがなかったので、不便を感じにくかったというバイアスはあります。

その分、お腹が張ってしまうたびに不安になりながらの安静生活や張止め薬の副作用なども地味に辛かったです。

もうひとつは、精神的な不安や情緒不安定。ただでさえ、妊娠とともにホルモンジェットコースターで不安定な中、まだ見ぬお腹の命を守らなければならないプレッシャー(なにかあったらどうしよう…という気持ちでちょっとした変化も気になってしまう)、仕事と両立できるかの不安、、、。しかも、安定期にはいるまではあまり周囲にも明かしにくい。

そして、仕事を両立するうえで、電車通勤や集中力の低下も地味につらかったと記憶。安定期入る前までは妊婦マークつけていても目立たず、席をゆずられることもほぼなく、、、時差出勤をさせてもらっていました。
仕事中もなかなか集中力が続かず、自分の脳味噌ではない感じがしたりして、パフォーマンスが落ちる感覚もありました。

と、あくまで私の場合ではありますが、一番の辛さはお腹が大きいことでもなく、大変な時期もお腹が大きくなる前の段階のほうが明らかに大変だったので、妊婦さんジャケット体験はそういった真実をさらに見えにくくする懸念もあるなぁと。

いや、イメージ訴求だけなら、たしかに見た目で分かり易いし、記事映えはしますけどもね。やった感はでますけどね。子育てしやすい社会をつくるのが目的だと信じたいわけで。

課題の捉え方を間違えると対策や考慮もずれていって、課題解決につながらないってことありますよね。

で。
だとすると、どんなことがあるとより伝わるのかなぁ~、より本質的な体験になるのかなぁといろいろ考えてしまいます。

そもそも体験はゴールじゃないから、2日間で(ジャケット体験2日間だったそうなので)10人くらいにインタビューとかしたほうがより有意義なんじゃないかな?

もしくは発言録をもとにいくつか解決案を考えて、検証のために体験者をよんでディスカッションするのもありなんじゃないか?

発言録を付箋に落とす作業を手書きでやってもらうのもいいかもな。ワークショップパッケージ作れそうな気もしてくる。

コウノドリよんでももらったらいいかもしれない。もっとドキュメンタリーや手記みたいなものも必要かもしれない。
9か月間妊婦のひとりごとがながれてくるのLINEBOTやTwitterを運用するのもありかも。

でも、大変さが浮き彫りになることで、妊娠への怖さが大きくなることは避けなきゃいけないけども。

と最後一人ブレストになったけれど、はてさて、妊婦体験うまいこと進化させるにはどうしたらよいのだろうか…?


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