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夢追い人の映画『ラ・ラ・ランド』と『Audition』を歌う夢追い人、藤井風

この記事は映画『ラ・ラ・ランド』のネタバレを含みます。
どうかこの機会に是非美しい映画『ラ・ラ・ランド』をご覧になってください。

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私達が味わうあらゆる芸術は、彼らの犠牲の上に成り立っているのかも知れない

2016年に公開されたアメリカ映画『ラ・ラ・ランド』は、女優を夢見る女性ミア(エマ・ストーン)と店を持つという夢を追うジャズ・ピアニストの男性セブ(ライアン・ゴズリング)の愛し合う二人が、各々の夢のために別れを選ぶという悲しい映画である。

オーディションに何度も落ち続けるミアは、ある時自身の戯曲で一人舞台に立つ。
観客もまばらで一見失敗に見え、彼女は女優を諦め田舎に帰り弁護士を目指そうとするが、舞台を見ていたあるキャスティングディレクターに、大作映画のオーディションにと誘われる。
セブはそれを応援し後押しする。彼は何より彼女の才能を信じている。
そのオーディションでミアは「何でもいいから語り部になって語って」とお題を出され、『Audition』という歌を歌う。
それはパリで女優をしていた彼女の叔母の話で、
叔母が女優としていかに破天荒な人生を送ったか、
ミアがどれだけ叔母に影響を受けたか、という歌である。

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成功を目指すことはいかに危うく愚かか

この歌を聴いて、どうして涙が出るのか。
女優というなんの保証もない世界で上を目指すことの危うさ。
しかしその情熱がどうしようもないものであること。
自分でも愚かだとよく分かっていることがこの歌には存分に表れている。
しかし観客である私達にとっても、女優、俳優、詩人、画家、その他芸術家達がいないとなんの作品も味わうことが出来ないのである。

私達の文化的に豊かな生活は、彼ら「愚か者」によって築かれている。
私に、彼らのその情熱は理解出来なくても、その狂気とも取れる渇望が世界には必要なのだ。
彼らがあらゆる犠牲を払って手に入れるその地位が、彼らが普通の平凡な幸せを捨て手に入れたその芸術家という立場が、私達観客の日常を彩ってくれるのである。
普段気づかされない彼らの苦悩を、この映画は如実に語っている。

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平凡な幸せよりも「成功」を選択する彼ら

この映画を公開当時劇場で観た私はラストのセブの妄想シーンで号泣してしまった。
別れを選んだ5年後、ミアは成功し女優として大成している。
そして別の男性と結婚し子供もいる。
そんな彼女が夫婦でフラリと立ち寄ったジャズバーは、セブが経営し成功を収めた店だった。
偶然再会した二人は目を合わせただけで、言葉もかわさず別れるが、その際セブがピアノを弾きながら、
「もし別れずにミアと一緒になっていれば」という妄想をするのだ。
それがたまらなく悲しくて辛い。
何が幸せかは人によって違う。
成功を求め夢を追求するために愛を犠牲にする彼らに共感は出来ない。
しかし彼らの頂上への熱望はきっと想像できないほどの衝動で、それを否定してはもはや生きて行けないのだろうと思う。
そして彼らは「愛」を犠牲にする。
人は望むもの全てを手にいれることは出来ないのだ。
人生は残酷である。

ハリウッドの人はみなあらゆるものを犠牲にしている

映画評論家、町山智浩氏の「映画ムダ話」を購入して聴いた。『ラ・ラ・ランド』の解説である。

町山氏は「ハリウッドの大スターの人たちはみんな同じような経験をしていると思う。」と言う。夢の都、ハリウッド。映画を作る人たちが集まる輝ける街。彼らは「成功」という大きな夢を得た代わりに、何かを失っているのだ。

日本の音楽界で頂点を目指すことも、似たようなものではないのだろうか?

0もうええわ

『ラ・ラ・ランド』の歌『Audition』をカヴァーするアーティスト、藤井風とは

まるで海底に沈む宝石のように、Youtubeには藤井風氏の動画が多数存在している。
風氏は2020年1月に『何なんw』でデビューした22歳(2020年5月時点)の男性シンガーソングライターだが、12の頃からピアノ演奏動画をYouTubeにUPしていた。
椎名林檎、aiko、安室奈美恵、テイラー・スウィフト、エド・シーラン、ビリー・ジョエルなど数々の名曲を見事にカヴァーし、ピアニストそして歌手としてYouTubeで熱狂的な人気を誇っていながら、それらの素晴らしいカヴァーよりも遥かに印象的な岡山弁のオリジナル曲を発表した新進気鋭のアーティストである。
天才的センスのピアノと低音ボイスで話題沸騰中だが、男性的でセクシーな深い美貌がその魅力を一層際立たせ、デビュー後間もないというのに既に熱烈なファンが数多く存在する。(私もである)

その眩しい光に魅せられ漁るように動画を見ていた私が、『Audition』のカヴァー動画をちゃんと見ていないのに気付いたのはある夜のことだった。
『ラ・ラ・ランド』の主人公、ミアがオーディションで歌う『Audition』を
風氏は2019年1月にカヴァーしている。
サントラを聴いていたのでメロディは私の頭に入っていたが歌詞はほとんど覚えていなかった。
セリフから始まるその歌を風氏は見事な英語でそのまま原文の通りに歌い始めた。ピアノと共に。
字幕を出していなかったので、どんな内容かまるで分っていないその歌を聴きながら私は泣き崩れてしまった。
どうして私は泣いているのか。
なぜこんなに彼の音楽は心に響くのか。
風氏の音楽で泣くのは日常茶飯事だったが、今回ほど自分の気持ちが分からなかったことはない。

0優しさ2

自分の事を歌う藤井風

この曲の訳詞を読んだ私は、大いに納得してしまった。英語の歌詞を風氏は自身で日本語に訳していた。
それは、裸足で冷たいセーヌ河に飛び込むかのように夢を追う者は愚かだが彼等に乾杯しよう、反逆者に乾杯しよう、という内容だった。

私は大いに腑に落ちた。
なんだ、これはきっと自分のことだ。
彼も先が全く見えない世界に飛び込んで頂上を狙う愚か者なのだ。
それに、彼は22歳である。(2020年6月7日現在)
もう既に、何か大きな物を捨てて岡山から上京したのかも知れないではないか。私達、ファンにはもちろんそんな事はわからない。彼の目指すモノへの切望も上手く想像出来ないし、それより風氏が何を目標にしているのかすら、正確には私は知らないのだ。

風氏の『さよならべいべ』という曲にこんな歌詞がある。
  新しい扉を叩き割った
  前に進むことしか出来ん道じゃから
  泣いとる時間もないようになるけどな 今
  誰も見とらんから少しくらいええかな
 
私はこれを聴く度に、決意表明のような気がしてたまらなく嬉しい。
そう、「嬉しい」のだ。が、同時に複雑な心境に陥る。
私は風氏が泣く暇もないほど前進してくれることを願うのだ。
ファンとは残酷なものである。

そして、1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』を手にした一ファンとしては、彼に天下を取って欲しい。
知らない人のいない国民的アーティストになって欲しいと、切に願う。
なぜなら彼にはそれが出来るから。
それに値する才能に溢れ、優しい心を持つ日本一の美男だから。

この世のすべての芸術は、残酷なファンによって成り立っているのかも知れない

人は大切な相手の幸せを望むものだから、私は深く関わった人達の幸せは願って来たつもりだ。
しかし「成功」の先に「幸せ」があるかどうかは誰にもわからない。
それなら、私は風氏の「幸せ」は望まない。
私がファンとして願うのは単純に彼の「成功」だけである。
例え彼が「不幸」でも。

そもそもファンというのは、アーティストが幸せか不幸かなんてことは何も知らない。推しの「成功」があたかも「幸せ」であるかのように錯覚している自分勝手な存在である。もし人気絶頂のアーティストがいきなり「引退します」と言ったところで理解を示して引退に賛成するファンなどほぼいないだろう。彼等はきっと「イヤだー!」と叫ぶに決まっている。つまりファンは推しの「幸せ」など考えていないのである。

風氏の「成功」は、私を含むファン達の音楽生活が満たされる事を意味する。
私はなによりそれを待ち望む。
ファンというものは残酷だから。
人生は、残酷なものだから。

いばらの道を突き進む藤井風氏に、愛を込めて。

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使用したフリー素材の写真について、上から
かっちゃんさんによる写真ACからの写真
pianoman555さんによる写真ACからの写真
藤井風氏の写真は公式Twitterより  

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