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うまく母になれなかった話

10年近く前のことになる。第一子の妊娠がわかったとき、何の迷いもなく、里帰り出産を選択した。実母からの提案を、ごく当たり前のこととして受け入れた。

当時祖母が子宮癌を患っており、総合病院に入院していた。私は自然その病院にかかることになる。担当医に孫を診てもらいたい祖母と、同じ病院にいてくれた方がいろいろ楽と思った母、また初産でかつ体の小さい私を心配した助産師である妹の、総意の結果である。私には反対する強い理由はなかった。どちらにしろ、たいていのことは母の言う通りになるのだ。

予定日のひと月ほど前に実家に戻った。高校を卒業して以来の長期滞在である。母の作った料理を食べ、妹と連れ立って出かけ、祖母と韓国ドラマを見る。少しずつ私は私を失って、うちになじんでいく。娘の顔をし、姉の顔を持ち、孫娘でもある、家族の中の私。

産気づいたときも、私は自分を見失ったままだった。母に判断をゆだね、自分の体の声さえ信じることをしなかった。ねえねえどうしよう、それがいつもの台詞だった。

夫は出産に立ち会うつもりだったが、お産が早く進んでしまい、かなわなかった。代わりに、母と妹が立ち会った。医師は祖母の担当医。分娩室で世間話が繰り広げられる。真剣な顔をすることが気恥ずかしい。そういえば、幼いころから親に「いっちょまえに…」と笑われることが嫌だった。出産に向き合い損なったのではないか、と今になって思う。

そうやって、娘の顔のまま出産を迎え、終えて、抱いた赤ん坊はとても不思議な存在だった。まるで神様からの預かりものだと思った。小さな命は、頼りなく、しかし重いひとつの命だった。恐れが大きかった。守らなくては消えてしまいそうな小さな命が、自分の腕の中にあること。恐れ多くて、お母さんですよ、などと言えなかった。ただただ、大切、それだけだった。

その大切な預かりものの命は、私の中から出てきたらしいのに、私にはコントロールできない、私とは別のひとりのひとだった。代わってはやれない、分かってもやれない。おむつかぶれで赤くなったお尻に、私が泣いた。可愛いではなく怖い、だった。起きている赤ん坊を息をつめて遠巻きに見つめ、穏やかに眠っているときだけが安心だった。

一方で、母の顔をしている自分を家族に見せたくなかった。赤ん坊に向かいあう横顔を誰かに見られたくなかった。うまく、愛おしむことができないでひと月を過ごした。

そして、夫の待つ家に帰ってきた。昼の時間を赤ん坊と二人きりで過ごす。昼の光の射すリビングで、すやすや眠る赤ん坊を膝に抱いたまま眺めた。ずいぶん輪郭を増し、そこに居ることが当たり前のように見えた。しっとり汗ばむ髪を撫でる。怖くない、かわいい、私の子。神様からレンタルしているわけではない。少し遅れたけれど、お母さんですよ、と囁いて、やっぱり少し気恥ずかしい。だんだんと親子になっていく、そのスタートをやっと切った日だった。

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