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カレーライス師匠

母の話によると私がまだ生後10カ月ほどの時に、酔っぱらって帰ってきた父が急に不機嫌になり、私を抱きかかえラグビーボールを優しくパスするかの如くフワリ、と放り投げた。

それ見た母は、忽然とダッシュし手を伸ばすもわずかに届かず、生後10カ月の玉のように可愛い、とても可愛い、形容できないほど高貴でふくよかな赤ん坊の私は、たまたまそこにあった布団の上に落下した。

それ見ていた二人の姉のうち長女は、母と同じように私の元に駆け寄り心配そうであったらしいが、次女は何が楽しいのか突然笑いだし、父に駆け寄り私と同じように布団へ放り投げろとねだった。

母は猛然と父に抗議するも父は我関せずと自室にこもり、「家族の暗黙のルール」、父が自室にこもったらその話は「今後一切、家族から父にその話はするな」、で終了となったらしい。

なぜ父が私を放り投げたのか?父が亡くなって随分たってからこの話を聞いたので理由はわからぬままであるが、懐かしそうに語る母や、笑顔の姉たちを傍に見ながら、「キャッキャと美味しいスイーツの話でもしてんのか?」と、勘違いしそうなほど、緩やかな時間がそこに流れていた記憶がある。

イカれた家族である。しかし、父はもっとイカれた人だった。父に関する逸話は数限りなくあるが、今回は「カレーライス師匠」と呼ばれた父のカレーにまつわるお話をしばし。

玉のように可愛い赤ん坊の私を放り投げる茶目っ気自尊心過多天上天下唯我独尊のそんな父ではあるが、母の話では私が生まれる前に3年間ほど毎日晩御飯に、カレーライスしか食さぬ時期があったとの事。

私の知る父は夕餉に米を食す事はなく、本人いわく「米からの贈り物」と称す、日本酒を呑んでいるところしか見た記憶がない。

父の晩御飯は私たち姉弟とは別メニューであり、父は1日五合の日本酒を、焼き魚や塩辛やお新香を少しばかりつまみながら、嗜む。それが父の晩御飯とずっと思っていたので、母からこの話を聞いたときはいたく不思議であった。

母が言うには父は終戦後、初めて食べたカレーライスの味が忘れられず、いつしか終戦後に食べたカレーライスと同じ味を求めるようになった。

普段、まったくと言って料理をしない父が、たまたま母の手を借り作ったカレーライスをいたく気に入り、それからはルーが減っては少し足し、減っては少し足しをしながら、おおよそ3年間、毎日カレーライスを食していたのだと。

母も最初の頃は、いくら奇人な父とはいえ、そんな慣習が何カ月も続く事は無かろうと、せっせとルーや具材を足す父を手伝い、微笑ましくもあったらしいが、さすがに半年も過ぎたころ父にいい加減にしたらどうか、と尋ねたところ、父から「死ぬる日まで毎日カレーを食べる気だ」と豪快に宣言されその決意の確たる信念に「なんで?」とは言わず、うなずいた。

この母の対応も、それがまた私の母らしいとこでもあるのだが、そこまで言うのならば、とその日からまた、父の指示に従いせっせとルーや具材を足す協力をすることにした。

しかしいわんや、長女の話を聞くと中々かわいそうな家庭内状況ではあったらしい。

長女と私は16歳の年の差があり、その頃中学生であった長女の友達が、家に遊びに来るたびに必ずカレーの匂いがするものだから、友達も最初の頃は
「この家はカレーが好きな家であるなー」とスルーもしようが、それが何十回と続くとさすがに、なにか怪しい事を行っているのでは?と噂される始末。

長女も最初の頃は「インドから親戚が来ててね…」などと、苦しい言い訳をしていたらしいが、月日を重ねるうちに言い訳もつき、最終的には父の奇行として、カレー風呂なる話をでっち上げた。

血行の悪い父は熱い風呂にオタマ一杯分のカレーを入れ、カレースパイスによる刺激によって、血行を良くしているのだと友人に伝えた。

そんなある日、父は近所の人に「血行が悪いのなら納豆を食すが良い」とアドバイスを受け、何のことやらわからず、その相手をどやしつけてやったと母に語ったところ、そばにいた長女は大層ヒヤヒヤしたそうな。

そんなこんなで約3年弱続いた父のカレーライスの日々が何故終焉したか?

ある日の事、せっせとカレーに具材を足していた父は、便意を催し火を消してトイレに行った。用を足し戻ってくると、火を消したはずが火は消えておらず、カレーは見事にコゲつき修復不能となっていた。

母はその日の事をはっきり覚えており、大層父はうなだれていたらしい。

それから父は、米を食すことなく「米からの贈り物」で晩御飯をすますようになった。

そしてほどなくして母が私を授かった・・・・

「用を足す 間に間にカレーを 足し損じ 皐月の頃にに子供授かり」

なんか悔しいっス。

 

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