語れる友達、募集中。|自分史から思うこと
と、表題を書いてみるとインパクトが凄いな。笑
※ ちょっと、いや、かなり長いです。お手数ですが、お時間がない方、めんどくさい方は、「自分史トピックス」をとばしてお読みください。(全6,397文字あります)
・B面の私を育む。
私には、深く語り合える友人が(最近共鳴した数名を除き)ほぼいない。
1番の理由は、私自身を偽っていたから。
正しくは、「嘘をつくつもりはなく、鎧をかぶるクセがつき、自分のことが分からなくなっていた」という感じかもしれない。
最近よく使う合言葉が、「自分のB面を知る、そして育てる。」
・バケットリストについては↓
・友達が欲しい。
ただ表面を褒め合ったり、なんとなく時間をつぶしたり、お互いを理解せず双方につぶしあったりするのではなく、心の深いところで語り合える仲間。
男性でも、女性でも、それ以外でも良い。
年齢も、国籍も、職種業種も関係ない。
お互いを尊重し、言葉は傷つけたり傷つけられたりするということを知っていて、毒ではなく薬として使おうと思える同士。
…が欲しい。簡単にいうとそういうことなのだけれど、そんな私を少し深掘りすると以下の通りだ。
・自分史トピックス
【幼少期〜小学生時代】
・1990年クリスマス、熊本に生まれる。父方母方、双方の祖父母にとって初孫で愛される。「歌うこととパズルが大好き」だったらしい。(母子手帳に書いてあった)
・幼稚園の登園時に、毎朝泣く。ものすごい泣く。これは今でもわが家で集まると度々話題に上るくらい、私の特徴を表すエピソードのひとつ。人見知りだ、と知る。
・7歳頃から、母子家庭で育つ。良くも悪くもたくさんの大人に囲まれて育ち、大人の顔色を敏感にキャッチする癖がつく。そして、優等生を演じるのが上手になる。
・大学の附属小学校に受験し、入学。お勉強ができて持ち物がキラキラした子たちに囲まれ、刺激を受ける。優等生を演じるのを極めてゆく。
・7歳、人生初のライブに行く。母と2人で、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの熊本公演へ。心臓がバクバクして、興奮と感動に満ちる初めての体験をする。ソウル(R&B)やブラックミュージックにハマり、モダンバレエを習い始める。
・8歳、初めての海外旅行(長期)でドイツ、ベルギー、フランスに行く。(短期の初海外は、その2年前のソウル旅行。)とにかく衝撃。未知との遭遇の体感。伯母(母の姉)とドイツ人のご主人の仲の良さ、夫婦の距離感やオープンなスキンシップに、子どもながらに驚きと憧れを持つ。今思えば、私とドイツとのつながりはここから始まる。
・小学4年生で、母と2人の弟と東京に引っ越す。1年間だけ、文京区立の小学校に通う。バリエーション豊かな友達に触れ、活発になり、お神輿担いだり、駄菓子屋や銭湯をめぐったり、一輪車やシール帳にハマったりする。
・小学5年生で、九州の祖父母のもとに帰り、市立の小学校に転入する。「東京の人」ということで珍しがられたり、距離感に悩んだりする。グループ意識の感覚の違いに戸惑う。
【中学〜高校生時代】
・中高一貫の私立中学に入学。ミッション系の共学で、以前男子校だった背景が色濃く残る。そのひとつが、毎年42km強を走る強歩大会。全6回完歩。長距離戦(自分との戦い系、例えば登山とか)は得意。スポーツは苦手。水泳は割と得意な方。
・部活はしていない。母が働いていたため、授業 → 課外授業 → 家事、が私の安定サイクル。洗濯、お風呂掃除、夕飯の下準備は、勝手に弟たちのお母さんごっこを楽しんでいた節もある。中学時代から6年かけて大学受験を目指すという、学校の方針も少なからず影響していると思われる。
・小学生の頃からだけれど、継続して毎週金曜の夜に、母が連れて行ってくれたTSUTAYAでビデオを借りるのが楽しみ。「やっぱり猫が好き」「奥さまは魔女(初代ダーリンの頃)」「サウンド・オブ・ミュージック」が印象に深い。音楽は「竹内まりや」「バリー・マニロウ」「ドリームガールズ」を聴きまくる。
・週末は母が作ったお弁当を持って、祖父母と弟と大所帯でピクニック。よく高千穂や阿蘇の草千里に連れて行ってもらった。わが家は、ドライブ好きが多い。みんな運転も上手い。唯一私だけ、運転できない&車酔いするということに気づく。(ドライブは好き)
【大学時代】
・念願の第一志望に合格。東京の私立大学に入学。外国語学部ドイツ語学科に入るも、ドイツでの経験値やポテンシャルの違いに早くも挫折。新設の特殊なAO入試で入り、優秀な仲間たちとのレベルの差を感じる。
・大学1年は、とにかくドイツ語三昧。ひとコマの単位数が他学科より少なく、出席すべき授業数が多かった。ドイツ語難しい。入試で隣の席だった子に入学式で再会。後に、奇抜で活発な彼女にものすごく刺激をもらう。
・ドイツ語、旅行、必修科目、学内でだらり、ドイツ語、バイト、旅行、旅行、ドイツ語、みたいな2年生。記憶がないくらい、何ごとにも全力疾走だった気がする。学ぶ楽しみや大切さはまだ知らない。バイトは近所のパイ屋さんにて、アットホームに受け入れてもらう。ここのオーナーを「東京のお母さん」と呼ぶ。
・広告代理店でインターンをする。アットホームな会社で、社長の鞄持ちをさせてもらう。仕事の現実、人生の面白がり方、人間とは?、を常に学ばせてもらった気がする。品格があり、茶目っ気のある遊びも教わった。間違いなく、私の人生の重大ニュースのトップ3に入る。今も家族ぐるみで親交は続く。
・学生時代の最後の数ヶ月、ボストンに語学留学。英語にはずっと苦手意識があり、壁をとっぱらうだけでもと決行し、結果、勢いとジェスチャーで会話する術を覚える。勉強よりも、その年レッドソックスがワールドシリーズ優勝し、町がものすごいパレードになったことが思い出の財産になった。(当時はその凄さを分かっておらず、ホストファミリーにやけに野球観戦に付き合わされるなー、と思っていた。ゴメンナサイ)
【ドイツ留学時代(2011-2012)】
・交換留学でドイツのボン大学に1年ちょっと通う。2011年3月頭、ドイツに着くも、寮の手違いで住む場所がない。右も左も分からないまま友人の部屋に仮住まい。家探し中に、町のテレビで東日本大地震のニュースを知る。あの時の衝撃は忘れない。
・ドイツ人、バシバシ直球でモノを言う。学食でランチ中、現地学生たちは政治や経済や歴史について本気で討論。加熱。ケンカかと思いきや、ランチ後には普通に戻る。切り替えうまい。たぶん喧嘩とか仲直りとかの概念が、彼らの「ディスカッション」にはないんだと思う。日本は?と聞かれ、答えられず悔しい。私、日本について知らない、と知る。
・家が見つかるも、部屋のインターネットが繋がらない。当時はWiFi環境も整っておらず、スマホもなく、配線工事が主流。やれカーニバルだ、やれイースターだ、やれ祝日だ(週末はスーパーも仕事はしない)と3ヶ月くらい工事に来ない&配線失敗で擦った揉んだ。契約会社との喧嘩交渉で、ドイツ語が上達する。
・初めての彼氏ができる。ムスリム系ドイツ人で、6人兄弟の真ん中、レバノンに住む父方の実家は戦渦にあるという背景を持ちながら、いつも活発で思慮深く慈愛たっぷりの人だった(と、後に気づく)。今思うと、もの凄い苦しみや逆境の中で培ったからこそ、真っ直ぐで純真な心を持っていたんだと思う。帰国2ヶ月前に付き合ったので、それからの2年半はほぼ遠距離恋愛。
・ドイツを拠点に、バスや電車で近隣諸国を旅する。多分人生で一番時間とお金を投資しているのは、旅だと思う。安いバスで長距離移動したり、学生パスで電車を乗り継いだり、今思うとここが青春だったのかも。2024年10月現在までで、訪れた国は31ヶ国。人生初のスリにもあう。
【社会人時代】
・就活中、何になりたいのか、何がしたいのか、そもそも私は何者なのかがわからないまま、問いのループを何周もした結果、運良く進んだ航空業界に就職。青い方のCAとして飛ぶ。訓練で心が折れまくる、採寸の手違いでぶかぶかの制服が届き更に落ち込む。(数ヶ月後に制服がリニューアルし救われる)
・笑えるようなちょっとしたイレギュラー・フライトが多く、同期とのあるある話には事欠かなかった。大きなトラブルには遭わず、特に大きな野心もなく、ただただ会社の規定通りの手順でステップアップをしていく。
・高知ステイの日、最終便の機内で自分のミスで左目を負傷。そこから2ヶ月近く、左の視界は真っ暗になる。結膜下出血で、手術は不可、両目を動かさずに自宅療養の日々が始まる。連動するので右目も使えず、落語やラジオに少しハマる。
・無事に左目は回復したものの、眼圧の負担等を考えて長距離フライトはできなくなる。真っ暗の時期に考える時間が長かったこともあり、悩みに悩んで転職を決意。
・全く別業界、別職種ながら、政治家の秘書になる。ここでの出来事は、いろんな意味でのちの人生に必要だった、と今は思っている。詳細は割愛。
2016年4月、熊本地震により実家が被災。同時期に盲目になって働きすぎて咳喘息になり、仕事を辞める。実家の復興手伝いに帰郷。
・そこから休養中、熊本と東京を行き来する生活が2年ほど続く。心身ともにハードで、星野源の本や音楽に救われる。
・定職に就かず、熊本では父の会社の経理手伝い、東京ではIT系スタートアップの総務(という名の何でも屋さん)、某IT企業のセキュリティとゲストアテンド、CMやドラマのスタンドインやエキストラ、税理士事務所の事務アルバイト、などいろいろやる。とても濃密で喜怒哀楽がぶんぶん振り回される。
・実家の復旧も落ち着き出した頃、ひょんなことでドイツの政治財団に就職する。ご近所さんが求人募集を教えてくれたこと、職場が家から徒歩10分だったこと、上司が私の出身大学の教授も兼任していたこと(さらには、留学していたボン大学出身)、など色んなシンパシーを感じる。
・東京支部は、私一人の事務所。故に、同僚なし、職種は事務局長という名の何でも屋さん(またコレだ)。本当にいい経験に恵まれた。会えないような異業種の著名な方にもお会いできた。日々ドイツ語でのやり取りも、楽しかった。
・高校の大先輩、小山薫堂さんの著書、「W座からの招待状」の詩、言葉の紡ぎ方を敬愛。ラジオに送ったメールが読まれ、ひょんなことでラジオブースに呼んでいただく。ポッドキャストの裏番組に、思いがけず出演させていただく。心臓が飛び出そうとはこのことか、と知る。
・2022年11月27日、日本百観音巡礼、満願。これはひとえに母の計画と実行力のおかげ。感謝。思った以上に、体力と経済力が必要な旅だったけれど、本当に実りある時間だった。達成感。間違いなく人生が豊かになったと思う出来事のひとつ。
・職場からアポに向かう途中、いつも通らない道にあるカフェのテラス席で、中学からの幼馴染に偶然再会。何年ぶりだろう。運命を感じる。後に、この再会から広がる世界が、私の人生に大きな意味を与えてくれることになる。
・ベルリンの公的機関への転職が決まり、向かった先で数々のトラブルに苛まれる。100円玉と、500円玉よりも大きいサイズの円形脱毛を発見し、ショックを受ける。ベルリン中央駅のエスカレーターで、引っ越し荷物と共に前の人に押される形で転落。過呼吸になり、帰国。
・現在は、気持ちをリセットし、休憩中。「子どもの心を育むこと」に興味を持ち始める。ヴィクトール・フランクルに感銘を受ける。ドイツの輸入オモチャにも関心あり。インスタの読書垢をきっかけに、本の世界にハマる。noteをきっかけに、書くことにもハマる。手書きするのも好き。今に至る。
・自分史、後、思うこと。
こうやって振り返ってみると、現在の私は、幼稚園の入り口で大泣きしていた泣き虫で弱虫な過去の私には、想像もできなかった未来にいるんだと思う。幸せは、「宝くじにあたるような大きな出来事」ではなく、「大変だったな。失敗したな。でもあれのおかげで今があるな。なんか楽しかったな。」という日々のちいさな積み重ねなのかも、とも思う。
ものすごい感動や、運命的な出会い(だと後に感じるもの)のちょっと前には、必ず大きな衝撃や悲しみや失敗がある。でも、いざ過去にタイムスリップしてみると、思い出がマイナスからプラスに転じていたり、案外私は弱くないかも、と自信が湧いてきたりもした。普段はわりとヨワヨワなのだけども。トホホ
・とどのつまり…
私はこんな人です。人見知りだし、適度な距離感を見つけるのがヘタクソだし、割とすぐに仲良くなれる(または、人が好きだ)と思われがちだけど、本当は大人数は苦手です。それでも仲良くなりたくて、無心で頑張るので、家に帰ると疲れて死んだように眠ります。最近読んでいる「不安型愛着スタイル」にどうやら近そうです。人が多いと静かでおとなしくなり、そのイメージで好きになってくれた人からは、のちに「クセが強い」と揶揄されることもあります。「自己卑下するのに、プライドが高くてイラッとする」と言われたこともあり、矯正中です。INFJ-Tだそうです。おひとりさまは結構好きだけど、人恋しくもなります。フットワークは軽い方です。思い立ったらすぐやりたい、買った服はその場で着たくなります。藤井風さんが好き、散歩と温泉と神社仏閣も好きです。最近は、読書にハマりつつあります。読むのは遅く、積読しがち、併読もします。スチームサウナやお風呂でぼーっとするのも好きです。MLBと大相撲もだいたい観ます。1番好きな映画は「素晴らしき哉、人生!(1946年)」、ドラマは「大豆田とわ子と三人の元夫」です。結婚はしてみたいけれど、心が繋がるパートナーに出会うことができればくらいの温度感です。近ごろ「わた婚」の影響で、恋をしたくなっています。「夫婦」や「デート」もいいなと思い始めています。グランピング、ひいてはキャンプをやってみたいです。ドイツ(語圏)を旅するには、結構お役に立てそうです。まわり回って、ファッションはGAPがどうやら好みのようです。ヴィクトール・フランクルを尊敬しています。いつか、アブシンベル神殿で年に2度だけの朝日を見たいと思っています。富士山頂からご来光も拝みたいです。
人好きなのに人見知り、鎧をぬごうと格闘中、そもそも自分を探求中。
こんな私ですが、もしお友達になってくださる方がいたら、ぜひメッセージをください。このページではめちゃくちゃクセ強ですが、怖くはないと思います。一つでも共通点、または共感点があると嬉しいです。
コメント、どうぞお気軽に。まったりお茶できる方、募集中です。