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喫茶店

 小説を読んでいるが、内容が全く頭に入ってこない。半分眠い。文庫本をもって、古いソファのある古い喫茶店で過ごしている。注文したコーヒーは冷め始めている。アンティークな木製のテーブルと、カップソーサーに乗ったコーヒーカップに、丁寧に手前に横置きに置かれたスプーン、そして丁度コーヒー一杯分のミルク、テーブルの脇に角砂糖と、タバスコと、塩コショウ。天井は高く、室内はいつも薄暗いが、各テーブルにあるスタンドで、手元は明るく、読み書きするのには十分な明かり。隣のテーブルでは年増のカップルがコーヒーとアイスコーヒーをのんで、たまに言葉を交わしている。奥のテーブルでは、4人の男女が何か真剣な話をしている。水は飲み干すと、腰から下だけの長めのカフェエプロンに白ワイシャツ、ベストを着たウェイターが、焦るでもなく、遅れるでもなく、サッと水を注ぎに来る。

 小説の中ではどうやら、誰かが誰かを裏切って、その悔しさのあまりに自害するという展開になっているが、なぜそうなったのか、全く思い出せず、思わず小説の表紙を見返してみる。組んでいる足が痛いと、足を組み替える。適度な音量で、ゆっくり流れるクラッシックは眠気を誘うが、小説を読んでいるので、寝るわけにはいかない。ただ、小説の内容は何だか分からなくなってきている。
 たまに本を置いて、体をほぐす。手を伸ばす。あまり片手だけ伸ばしてたりすると、ウェイターや、ウェイトレスが素早く来てしまうので、両手で伸びをしているのがわかる程度に、伸びをする。
 目の前のテーブルに若いカップルがやってきた。席の位置から二人の顔が見える。男性も女性も表情が乏しい。男性は20代前半、女性も同じくらい。付き合って数か月というところだろうか。このカップルはラブホテルに入ることがあるのだろうか、と勝手に妄想しはじめた。ベッドに行く前には一緒に風呂に入るのか、それとも男性が先にシャワーだけ浴びるのだろうか。
 彼らは、突然話し出した。会話が所々、耳に届く。映画を見てきたようで、映画の話をしている。女性は、話しながら、時々クスクスと笑うが、その時、手を少し握って口元を隠す。そして、自分が強調したい発言の時には、もともと下からのぞき込むような、恥ずかしそうな視線で話しているが、その視線をそらして、握った手で口を隠す。男がたまに、彼女の発言に突っ込みを入れるが、その突込みが、ちょっと厳しいように聞こえたりもする。女性は、たまに納得いかなそうな顔をしたりするが、話は続く。この子、フェラチオとかするのかな。きっと、恥ずかしがりながらするのかもしれない。この、優男風の男のペニスをこの子が咥えるのか、と、妄想が進むと、なんだか子供が遊んでいるようにしか見えないかもしれない。実際は、舌使いが上手いのだろうか。思う以上に、いろんな技を持っているのかもしれない、と思うが、これはほとんど期待だと気が付いて、小説に目を落とす。

 誰かが誰かを裏切って、自害したのだけれど、自害したのはどうやら男で、その裏切った側の女性は、その自害した男の母親だったようである。どこで納得したらよいかわからないが、そういうことになっているのだな、と思って、数ページ前を少し確認する。
 目の前の席に座ったカップルは今度はどこに行こうか、という話を始めていた。近くの最近できたらしい商業施設へ行く様子だった。二人はコーヒーでもお茶でもなく、二人ともジュースを飲んでいた。オレンジジュースと、もう一つは分からない。目の前にあるコーヒーは冷めかけていたが、ほとんど減っていない。水は2回、注がれている。ジュースが美味いのだろうか。コーヒーも美味いのだ。コーヒーを飲むのが当然ではないのだろうか。よく見ると、奥の4人のグループもホットコーヒーらしいカップはない。

 小説を読みに来たので、文庫本に目を落とす。自害した男性が自分の息子だと知った女性は、自分の裏切りと悪事を後悔し自害しようとする。短刀を手にとって、胸を一突きすれば息子のもとに行ける、という事で胸に切っ先を当てるようだ。
 前のカップルは、商業施設の話を終えると、共通の友人の話をし始めた。女性はその話に妙に食いつきがよく、先ほどの映画の時とは、しぐさが全く違った。目を見開き、夢中になるのを抑えた感じで、内心は幸せそうな話に浸っているのではないかと思った。目が既に目の前の男を見るというより、自分の妄想の中の何かを見ている目をして語っていた。声が格段に大きくなるわけではないが、口元を隠すしぐさはなく、静かだがはっきり話している。彼女は話に出てきている人物が好きなのではないか、そんな気がしてきた。それは男だろうか。男だとしたら、もしかして、彼女はその男のことを考えてオナニーをしたりするのだろうか。このカップルらしき二人は優男と清楚系な二人で、保険や便秘薬のCMにでも出てきそうな爽やかな絵ヅラを作っているが、もしかすると、コンドームを舌でつけてもらったりしているのかもしれない。女性の白いブラウスの下に何となく見えるのはブラジャーだろうか。彼があれを片手で外す時、彼女は恥ずかしがるのだろうか。共通の友人の話題になると、その女性は表情や仕草から雌っぽい雰囲気を発して、妄想が掻き立てられた。

 文庫本は本の後半を持っている左手の力で、若干、たわんでしまっていた。ふとページを見ると、さっきから108ページと109ページを抑えたままになっていた。手を放しても、このページが開いたままになっている。コーヒーを少し啜る。冷めてもいい香りがするし、もう温かさはないが、おいしい。109ページの終わりでは、女性が短剣を胸に当てている、110ページをめくる。自害したはずの男性は息を引き取っておらず、うわ言を言い出す。実は自分には娘がいて今回の裏切りのことは知らないと話し出した。それを聞いた裏切った女性、自害して死ぬ間際の男の母だが、胸に当てた短剣を、そのまま突き刺す勇気をなくし、はらはらと涙を流し始めた。

 目の前で物音がした。椅子を引く音だった。カップルが席を立つ。この店を出るようだった。よく見ると、女性は入ってきた時よりも、はつらつとした顔になっている。男性はあまり変わらないが、もともと表情に乏しい。何があったのか分からないが、女性は共通の友人の話をし始めたあたりから、雌の匂いを漂わせ始めていた。
 二人が出て行った後、ウエイトレスが素早く、ステンレスのトレーを片手に、飲み干され氷だけが残っているグラスを二つ、おしぼり、水のグラスをササっと乗せて、片手でダスターでテーブルを拭いた。そこに誰がいたかは、もうわからない。あの女性は、来店時と退店時で表情と雰囲気が変わった。もしかすると、まだ付き合う前の二人だったのかもしれない。男性は優男の振りをしていたが、内心、諦めていたか、ショックを受けたのか分からないが、無反応を装っていたのかもしれない。彼女の変化に気が付かないわけはない。それであれば、心を許した中であれば、感情の変化が表情やしぐさなどの、どこかに出てもよいようだがそれはなかった。思い返すと、女性の変化と男性の変化に差があり過ぎる。一緒にホテルに入る妄想がかき消された。目の前のコーヒーは知らぬ間に啜っていたようで、半分以下になっていた。

 文庫本では、まだ母親が涙を流していた。よく読んでみるとそれは、森の中だった。母親は今わの際にいる男性に、実は男性の父親を殺したのも自分だと告げ、さらにその父親は本当は息子の実父ではないという。母親の裏切りに失望し、勢い余って自害した息子の実父は、実は母親がずっと好きだった男で、死にかけている彼はその男の子であり、その男性と結ばれるはずが、閨閥の一環で政略結婚のために、先だってその母親が殺した男性と無理に結婚するしかなかった、という話を聞かされる。
 男性は、死ぬのでとっくに愕然としているが、なぜか諦め笑いのように口元をゆるめ、口元から血を滴らせ、母を許す。そして、残した娘の面倒を見てくれないか、と言い終わるが早いか、絶命する。母親は自分の裏切りで自害までさせた息子に覆いかぶさって、泣き崩れるが、孫の存在を知らされ、死ぬわけにもいかない自分の運命を受け止められないで途方に暮れ、神に対して、不条理を嘆いた。

 物語はここで終わるのだけれど、短編集なので、次の話が始まりそうだった。コーヒーを飲み干すと、一旦、テーブルに本を置いて帰る準備をした。文庫本は108ページと109ページのあたりで折れ曲がっていて、ちゃんと閉じなかった。
 店を出ると、まだ日があった。夕方に特有の水平に目に飛び込んでくる太陽だった。一人で駅の方に向かう。繁華街の中なので、雑踏をかき分け、ヘッドフォンで音楽を聞こうとした。右手でポケットを探りヘッドフォンを出すときに、女性にぶつかりそうになった。軽く会釈して謝ろうとするが、すれ違う方が早かった。その女性は先ほど、男性といたあの彼女ではないだろうか、雑踏に消えていくが、スマートフォンを耳に当てているのがわかった。一人で歩いているように見えた。その後は人混みに紛れて、見えなくなる。
 ヘッドフォンを耳に差し込み、音楽を聴く。雑踏の音は聞こえなくなり、また一人の時間と空間がもどる。西日が逆光で眩しいなか駅に向かう。

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