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早川沙織からの手紙 #12

水晶の柱2

 昼休憩になると、ぼくと沙織は中庭で待ち合わせて、図書館の2階にある特別閲覧室で昼食を一緒に食べるようになった。
 ぼくらは、その部屋を『ヤガミ少尉の部屋』と呼んでいる。
 不思議なことに、部屋の鍵はいつも開いていて、ついさっき掃除したばかりのように清掃が行き届いている。まるでぼくらが来るのを、楽しみにして待っているかのように。
 休憩時間中、職員が様子を見に来たり、通路に人が近づく気配すらない。1回も。
 通路入り口に張ってある、関係者以外立ち入り禁止のロープの関係者というのは、もしかしたらぼくと沙織のことではないかとたまに思う。
 それぐらいヤガミ少尉の部屋は、静かで落ち着いていて、結界のように守られている。

 部屋に入ると、沙織はまず大きな窓を開けて、新鮮な空気を取り込む。それから自分の指定席だというように、肘掛けのついた木製の椅子に座る。
 ぼくは、通路の壁に立てかけてあったパイプ椅子をもちこんで、机を挟んで座る。
 沙織の手提げ袋には、プラスチック製の小さなランチボックスと、冷えたお茶の入った水筒があり、中身はだいたい決まっていて、小ぶりなおにぎりが2つと、ミートボール・ブロッコリー・たまご焼き・ほうれん草のごま和えがバランスよく配置されている。量はかなりすくなくて、それで足りるの? って心配になるぐらいだ。
「食べすぎると、午後の授業が眠たくなるでしょ」
 と沙織は涼しげな声でいう。
「早川さんは授業中に寝たりしないの」
「たまにあるわよ。5時間目が体育のあととか。ウトウトして、首がガクってなるの」
「へー、ぼくなら教科書を立てて堂々と寝るのに」
 ぼくは、沙織が授業中に居眠りしそうになるのを、必死で耐えてる姿を見てみたいと思った。
 きっとかわいいんだろうなと思う。

「たまご焼きを作って来たんだけど、よかったら食べる?」
 ぼくが、購買部で買ってきた総菜パン2つを、先に食べ終わったのを見て、そういった。
 手提げ袋の中から、べつに小さな容器を取り出した。
 中には、たまご焼きと唐揚げが3つずつ入っていた。
「もらっていいの?」
「いつも一緒に帰ってもらってるでしょ。そのお礼」
「じゃあ、遠慮なく」
 ぼくは、刺してあった爪楊枝を使って、たまご焼きを食べた。
「どう?」
「甘くてすごく美味しいよ。焼き加減もちょうどいい」
 ぼくは、素直にそういった。
 不安そうに見ていた沙織の顔が明るくなった。
「ほんとに? みりんに、隠し味で白だしの素を混ぜてあるの」
 と声のトーンが上がる。
「上品な味つけだと思った。料理するんだ」
「たまご焼きぐらいはね。ほとんどママが作ってくれてるの。唐揚げは、近所のスーパーのお総菜だけど」
「ぼくは、スーパーの唐揚げも大好物だよ」
 正直、沙織と料理のイメージはあまり結びつかなかった。
 ぼくは、沙織も家庭的なところがあるんだなと思った。
 口に出していったら怒られるので、絶対にいわないけど。
「……プチトマトもあげる」
 沙織は、自分のランチボックスのプチトマトを箸で摘まんで、ひょいっとこっちに入れた。
「私、プチトマトって苦手なの」
「へー、女子は好きそうなのに」
「触感がちょっとね。たまにハズレがあるでしょ。普通のトマトは好きよ。冷やしてあって、オリーブオイルと塩を振りかけたのとか」
「ふーん。なんかおしゃれだ」
「明日も作ってきてあげようか?」
「うれしいけど、早川さんの負担にならない?」
「どうせついでだし。なにか好きな物はある?」
「アスパラベーコン」
「まかせて。私、焼くのだけは得意なの」

 ぼくらは食事を済ませたあと、ゆっくりと本を読む。
 なにせ、ここは図書館だ。本は山ほどある。

 ぼくは、宇宙の図鑑を持ってきて机の上に広げた。
 椅子を隣に移動させて、沙織と並んで眺める。
 宇宙のいいところは、話題が尽きないことと、明確な答えがないことだ。まちがっても「そういう説もある」っていえば、だいたいごまかせる。
 沙織も宝石を散りばめたような銀河や星雲の写真をじっくりと眺めていた。
 ときおり、耳元の髪を指先でかきあげる。
 細くて色白い首筋や形のいい耳が、ぼくの視界に入り、なにげない仕草に目を奪われる。
(女の子って、どうしてこんなにいい香りがするんだろう)
 と不思議に思う。
 宇宙の加速膨張よりも不思議だ。
 とくに沙織は、いい香りがするような気がする。
 隣にいるだけで、ソワソワするような気持ちになる。
「なに?」
 沙織がぼくの視線に気づいて、こちらを見る。
 一対の黒い瞳で。
 ぼくは、もごもごとして「いや、べつに」と答える。
「ふーん」と気のない声。
「宇宙の広さって知ってる?」
「……無限?」
「正解は、宇宙の定義によって変わるのさ」
「なにそれ。ずるくない」
「観測できる宇宙、観測できる外側の宇宙、宇宙の外側にある宇宙」
「やっぱり無限じゃない」
「そういう説もある」
 結局のところ、宇宙の広さなんてだれにもわからないし、わかったところであまり意味がない。
 女子の気まぐれみたいなもんだ。
「私は、観測できる宇宙以外は興味ないかしら。観測できないってことは、写真とか映像で見れないってことでしょ」
「そういったところにも銀河や星があって、未知の文明や宇宙人がいるかもしれないだろ」
「ほんとに宇宙人っているのかしら」
「いるよ。銀河系だけで無数の星があるからね。一つ一つの恒星系がすごく離れてて、地球まで到達する手段がないっていうだけだよ」

 放課後には、ぼくと沙織は自転車で並んで帰る。モールの先にある交差点までの、話し相手兼、虫よけみたいなものだ。
 沙織の電動アシスト自転車は、ブリジストンのアルベルトeという自転車だった。性能がすごく良くて、ためしに1回乗せてもらったけど、ほとんど力を入れなくても前に進む。たしかにこれなら学校まで楽々だ。
 古墳の話はあまりしない。ヤガミ少尉の話も。
 あれっきり停滞したままだ。
 夢を見るのは月に1回だし、ぼくも沙織も、しばらくはなにもないんだろうなという感じだった。
 こういってはなんだが、ないならないで、ぼくはべつに困らないわけだ。
 それに、そのうちなんらかのサインがあるだろう。部屋で寝てたら、ふいにスマホの着信音が鳴るような。

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