早川沙織からの手紙 #26
水晶の見る夢1
授業が午前で終わった日、バスを乗り継いで、街を見下ろす西の高台に向かった。
ふたりで、ヤガミ少尉の墓参りをするためだ。
昨日から降り続いた雨も2時間目の授業が終わる頃には上がり、濡れた地面が乾く独特の匂いがしていた。
場所を知ったのは、前日のことだ。図書館で働いている司書の女性が、沙織の顔を見て思い出したみたいに教えてくれた。
転校早々にいろいろと質問して、学校の創立者の名前も知らないのかとあきれていた相手だ。
30歳手前ぐらいの人当たりのいい女性で、昼休憩になると、沙織が小さな手提げ袋を持ってやって来ては、ぼくとどこかに消えていることを知ってて見逃してくれている。当然だけど、図書館は飲食禁止だ。
毎日、顔を出しているうちに、気軽に言葉を交わす程度に親しくなった。
沙織にいわれたことが気になっていて、仲のいい教師(おそらく男性)とその話題をして、墓の場所を聞いたらしい。
ぼくは、沙織が司書の女性に質問している場面が想像できた。カウンターから身を乗り出すようにして、グイグイ質問を浴びせたのだろう。
「二階にある通路の奥の部屋は館長室ですか? 立派な扉をした」
ヤガミ少尉の部屋を清掃してくれているのは彼女かと思って、それとなく尋ねてみた。
「ひょっとして、あっちに入ったの? ダメよ、立ち入り禁止の場所に勝手にいったりしたら」
眼鏡の奥の小さな目でぼくを見て、指と指の間でボールペンをバトンのように動かす。
「気になって覗いてみただけです」
「私も中がどうなってるか知らないの。この図書館で何年も働いているけど、あの部屋には入ったことない」
「入ったことがない?」
「一度も。いつも鍵がかかっている。他の人に聞いても知らない。開かずの間だって呼んで、不気味がってだれも近づかない」
「ふーん。開かずの間か」
「学校によくある七不思議みたいなものね」
「だれもいないはずの音楽室のピアノが鳴ってるみたいな?」
「あとベートーベンの肖像画ね」と、司書の女性はペンをクルリと回転させた。
高台の霊園は、見晴らしが良いことと風が強いことを除いて、ごくありふれた墓地だった。
グレーのレゴブロックを並べたような墓石が整然と並んでいる。
ときどきお供え物を狙っているカラスが鳴き声を上げている。まるで人間が餌を運んできたのを、仲間に知らせるみたいに。
ヤガミ少尉のお墓は、一代で莫大な財産を築いた人物とは思えないほどこじんまりとしたお墓だった。もっと大きくて立派なお墓を想像していた。
墓石には、名前と享年と没年月日が刻まれていた。
(会ったこともない人のお墓に来るのは不思議な感じだ)
ここに来る途中にあった商店で、お金を出し合って買った黄色い花を花差しに飾る。ぼくらは、ヤガミ少尉が死んでいるのを、自分の目で確認しに来たのかもしれない。
「公園みたいな場所ね。樹がたくさん植えてあって。夜は街の灯りが綺麗そう」
「夜景を見に墓地に来る人はいないと思うよ」
「……ここにヤガミ少尉はいないわね」
「同感」
「青森に帰ったのかな。魂になって、故郷で婚約者の女性と暮らしてる」
「どうだろう。ヤガミ少尉には、まだやり残したことがあるような気がする。それを伝えるために、ぼくの夢に出てきた。あの部屋に学校新聞と写真をわざわざ残して」
「なにをやり残したの」
「婚約者との約束かな。神聖な場所を守る」
もしくは自分なりの贖罪だ。最後の瞬間まで側にいて、彼女を守れなかった。
いるとしたら、あの場所しか考えられない。
「それを見届けるまでは、成仏できないってこと? 古墳の地下にある」
「この世に魂があればだけど」
「まるで呪いみたい。死別した恋人は、美しい記憶のまま心の中で永遠に住み続けてる。その人以上に好きな人は、一生見つからないってことでしょ。残りの人生を、ひとりで生き続けることになる。死んでも魂を囚われて。そんな生き方が幸せだといえるの」
「すくなくとも後悔はしてなかったはずだよ」
「どうして、わかるの?」
「ヤガミ少尉自身が望んでいたことだから。亡くなった婚約者と未来を共有する唯一の方法」
来たついでに、雑草を引っこ抜いて砂埃を払ってやろうと思っていたけど、定期的に手入れされているらしく、コケも生えてなかった。丸い石が敷き詰められている。親族か会社の人間によって、大切に管理されているのだろう。死んだ人間にとって関係ないとしても、何十年たっても忘れられていないことにすこしだけ心が暖かくなった。
「将樹、これ」
お墓の前に、制服のスカートを挟むようにしてしゃがんだ沙織の手に、鈍い輝きをした金属製の鍵があった。見た感じ、家や車の鍵ではない。黒ずんでいて、形状が時代を感じさせる。
「どこにあったの?」
「線香を置くところ」
線香を横にして置くタイプの四角い香炉で、視線を低くしないと中が見えないようになっている。
「だれかが忘れていったのかな」
「ちがうと思う。雨に濡れてないし、お供え物みたいに置いてあった。古墳の鍵じゃない。ほら、大きな南京錠があったでしょ」
「鍵は学校で管理してるはずだよ」
「たまたま職員室に行ったときにキーボックスを覗いたけど、それらしい鍵はなかった」
「たまたま?」
ぼくは、疑いの目を注いだ。
「なによ、その目。ちょっと借りて、すぐに返すつもりだったわよ」
沙織は運命めいたものを感じたみたいだ。
大切そうにハンカチに包んで、スカートのポケットにしまう。
「マズイよ、勝手に持ち帰ったりしたら。落とし物かもしれないのに」
「この鍵は、ヤガミ少尉から私たちへの贈り物よ。よく来てくれたって喜んでるはず。学校の創立者なのよ」
「ぜんぜん理由になってないだろ」
「文句をいってる暇があったら早く手を合わせなさい。ヤガミ少尉が見てるわよ」
「ったく。めちゃくちゃだな。ここには居ないんじゃないのかよ」
ぶつぶつ文句をいってたけど、ぼくも沙織と同意見だった。
古墳の正面の入り口をふさいでいる、ところどころ錆びた分厚い鉄の扉。大きな南京錠の鍵だ。
何者かが、ぼくらの先回りをして置いていった。
(本人のわけないよな。お墓の中だし)
ぼくは、科学館であった不思議な老人の言葉を思い出した。
門と鍵が必要だといってた。
すこし意味はちがうかもしれないけど、これで両方が揃ったわけだ。
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