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早川沙織からの手紙 #25

科学館4

 プラネタリウムのホールは、半分ほどの席が埋まっていた。
 ぼくらの席は、同心円状に並んだ座席の後ろ側だった。ここなら投影機が邪魔にならないし、ドーム全体を眺めることができる。リクライニングシートで、ソファみたいにクッションが効いてた。
 客席がほとんど埋まっていて、満席に近かった。
「まだ夏休み前なのに、思ったより混んでるんだな。もっとガラガラかと思った」
「ほら、もうすぐ七夕でしょ」
「あー、それでか」
 灯りが消え、宝石を散りばめたみたいな星空が広がる。リアルでは、ありえないだろっていうぐらい、たくさんの星だ。
 雲のような天の川を挟んで、ベガの織姫とアルタイルの彦星がある。白鳥座のデネブを足したのが夏の大三角形だ。
 織姫と彦星は17光年離れていて、もし電話で話しても声が届くまでに17年、返事が来るのにさらに17年かかると、女性の声のナレーションが説明した。
「17光年しか離れてないのね。だって、銀河系の広さは10万光年でしょ」
 沙織が耳元で囁く。
 いわれてみれば、その通りだ。17年という時間にしたって、星の一生からすれば瞬きにすらならない。ぼくらの太陽は45億年輝き続けている。
「織姫と彦星は、同級生かもな。毎日、顔を合わせてて」
「私たちと同じね。教科書を貸し借りしたり、お互いがお互いを照らしてる」
 沙織は、すっかりプラネタリウムに夢中になってた。
 そういうところは、ちゃっかり女子だよなぁ、と思ってしまう。
(チケットを譲ってくれたヨシオに感謝だな)
 沙織が、ぼくの肩に頭を乗せる。とても自然な感じに。腕を回せっていう合図らしい。
 ぼくは、沙織の肩を抱いた。
 不思議と周りが気にならなくなる。ふたりきりの空間で、星空を見上げているような気持ちだ。
 星座は全部で88個ある。ぼくが見つけられるのは、オリオン座・カシオペア・北斗七星、あと白鳥座ぐらいのもんだ。一等星は22個。北半球から見えるのは16個しかなく、一等星が複数ある星座は5つしかない。
 あんがい少ないんだなと思った。一番明るい星はシリウスだ。名前の響きがいいのはスピカで、好きなのはやっぱりベテルギウスなわけだ。理由は、ぼくでも簡単に見つけられる。
 ホールが明るくなっても、沙織はうっとりとした表情で余韻に浸っていた。下手したら、もう1回見たいといいだしそうな様子だ。

 ◇ ◇ ◇

「すげえうまかった。サラダまでついてて、あの値段はお得だよな。また来たくなる」
 沙織が案内してくれた洋食屋で食事を済ませ、街の喧騒から離れるように夕闇に染まる中央公園に向かった。
 昼の時間には貸しボートが営業している、川沿いの遊歩道を、下流に向かって歩く。川の水で空気が冷やされて涼しい。
 途中、観光スポットになっている、戦争遺構のある広場を横切る。
 沙織は、ぼくの腕に腕を絡めて、体を密着していた。ぼくの左ひじには、ブラウスの小さな胸が当たっていた。絶対わざとだろ、と思うぐらい。おかげで、ものすごく歩きにくかった。
「家族でよく行くのよ。うちの病院が近くで。結婚記念日にはかならず」
「へー。顔なじみの店か」
 ぼくは知らないふりをして、とぼけた。
 以前、母親に「早川病院、知ってる?」とたずねたことがある。
 洗い物の手を止めて「あんた、どこか体が悪いの」と心配された。
「そうじゃなくて、転校してきたヤツが、そこの娘っぽい」
「私立なのにめずらしいね。市内で大きな病院だよ。ほら、おじいちゃんが何年かまえに手術で入院した。いいとこのお嬢さんだね」
「ふーん。そうだっけ」
 ネットで調べたら、でかい病院でびっくりした。てっきり個人医院かと思ってた。
 ホームページには、院長のあいさつがあって、白衣を着た渋い男性の写真が載ってた。
(仕事が出来そうだな。娘がイケメン好きになるわけだ)
 そのときは、住む世界の違いみたいなのを感じた。
 でも、いまは関係ない。沙織がいわないっていうことは、いう必要がないってことだ。

「パパとママが、はじめてのデートで食事をしたお店なの。パパは東京の大学病院から派遣できて、ママはまだ大学生だった。半分お見合いみたいなものよね。腕のいい若手を紹介してもらって」
「いまどきめずらしいな」
「まあね。だから、パパはママに頭が上がらない。遅くまで働いて、患者のことばかり考えてる。家族サービスはお正月にハワイに行くぐらい」
「ふうん。いいのか、そんなとこにぼくときて。思い出の場所だろ」
「バカね。だからじゃない。電話のときに思い出したの。将樹、オムライス好きでしょ」
 ぼくの顔に頭をわざと当てる。ポニーテールが首筋をかすめるように触れ、ぼくはいちいちドギマギする。
「今日は、やけにベタベタするじゃん。さっきから」
「いやなの? 私がこうするの」
「うれしいに決まってるだろ。沙織と飯食ってデートして。高そうな服に、ぼくの汗がついていいのか」
「プラネタリウムのせいかも。星を眺めてたら、急に寂しい気持ちになって……私だけなのかな」
 沙織は感傷的になったらしい。ロマンチックな気持ちになったのかと思っていた。
 ちょっとだけわかる。夜空を眺めてると、自分だけが取り残されたような気持ちになることがある。星に感情移入して。
(この様子なら、キスできるかも)
 やわらかい唇の感触を思い出して、そこまでの段取りをずっと考えていた。甘い香りと、ミニスカートから覗く色白い生足に、ぼくの意識というか精神は、すっかりやられてたわけだ。
 落ち着いて話のできるベンチを探して、腕にしがみつく沙織を引きずるようにして歩き続けた。
 暗くなった川沿いのベンチは、どこも親密そうなカップルで埋まっていた。
 この辺は、夜になると若い恋人たちが集まる場所らしい。静かでムードがあって人目につかない。イチャつくには最高の場所だ。
「も、もうすこし歩くか」
「うん……将樹とまだ居たい」
「門限は何時だ。あんまり遅くなると、家族が心配するだろ」
 沙織がピタリと立ち止まった。
 不思議に思って視線を追う。ピンク色の看板が、目に飛び込んできた。
 川沿いの通りに面した場所(下流まで歩きすぎた)には、ライトアップされたデザイナーズマンションのような建物があり、知らないうちにラブホテルが建ち並んだエリアに足を踏み入れてしまった。
(うわあ。ここに来るのを目的で歩いてたみたいだ。絶対、勘違いされるぞ)
 たすかったのは、沙織が固まっていたことだ。あわてて否定すると、かえって下心があるみたいになりかねない。
 目の前を、親密そうなカップルが入り口に吸い込まれるようにして入っていった。
「……私たちも、ここで休む?」
 ぼくは、耳を疑って隣を見た。
 普段しないメイクのせいなのか、ネオンの灯りに照らされているせいなのか、昼間より大人びて見える。
「どういう場所かわかっていってるのか。ネカフェじゃねーぞ」
「知ってるわよ、それぐらい」
「あのなー。だれかに見られたらマズイ。学校で、変な噂が立つぜ」
 歩こうとするぼくの腕を、沙織が強く引っ張る。
「まえにいったでしょ。私のすべてを捧げてもいいって。将樹がしてほしいことを、なんでもしてあげる。すこしぐらい痛いのだって我慢するし……その……私のはじめてを……」
 最後のほうはモゴモゴしてて、なにをいってるのかわからなかった。
 脳がパンクしたみたいに寄り目になっていて、耳まで真っ赤になってた。普段、クールだから逆に面白いというか、沙織でもテンパることがあるんだなと思った。必死というか、真剣なのは伝わる。
「無理すんなよ。顔が茹でダコみたいになってるぞ」
「子供あつかいしないで。私は本気よ」
「沙織が真剣なのはわかるよ」
「将樹は、したくないの」
「さっき、話を聞いてて思ったんだ。よくわかんないけど、ぼくは、沙織の母親に目をつけられてるだろ。その誤解を解きたい。ちゃんと挨拶をしたいと思ってる。いつになるかわからないけどさ。それにまだ、このあいだの返事をもらってないのに、大事な一人娘に手を出すわけにはいかないだろ。それこそ、評価? 評判? とにかく裏切ることになる。沙織のことが好きですって、顔を見ていえないよ」
 大人ぶって、カッコつけた言葉を吐いていたが、実際は手汗がヤバいぐらいにじんでた。
 看板の【休憩:5500円】という金額を見て、財布の中身を計算した。奮発して、おしゃれな理容室で髪をカットしてもらったのが、こんな形で裏目に出るとは。
(超絶アホだ。沙織が最後までしてもいいっていってくれてるのに。借金の申し込みをできるわけがない)
 自分で自分の足を蹴飛ばしてやりたくなった。
 沙織はぼくを見上げて、感動がこみ上げてくるみたいに黒目がちな瞳がうるうるとさせていた。こういうところはお嬢さまというか、とことん純粋なのだ。
 体をすり寄せるように、ぼくのシャツに顔をくっ付ける。
「将樹のそういうところが好き。やっぱり、私の思った通りね」とかなんとか、ぶつぶつといってた。

 うしろ髪を引かれる気持ちで、ラブホテルの前を離れる。
 角を曲がって人通りのない路地を進んで、電車通りに出る。灯りの消えた市役所前を通って、ヘッドランプを灯した車の列が流れる国道の交差点を渡る。
 結局、いつものタワマンのまえの公園に落ち着いた。
 定位置のベンチに座って、沙織はあいかわらずぼくの腕を引っ張ってべったりとくっついていた。
 日はすっかり落ちて、日曜ということもあり、人気はまばらだった。夜空に星はまったく見えなかった。かわりに、ぼくらを見下ろすようにタワマンが輝いている。
「それで、いつにする?」
「なにが?」
「パパとママに会うの。こういうのは、なるべく早い方がいいわよね。先延ばしにすればするほど、ややこしくなるでしょ」
「……大安吉日とか」
 どうやら、ぼくが挨拶に行くことは、沙織の中で決定事項になったみたいだ。いまさら、あれはその場の勢いだったとはいえそうにない。
「なにそれ、結婚式みたい」
「だよなぁ。いきなり行って、大丈夫か。警戒されるんじゃ」
「パパは100%歓迎してくれる。将樹の顔を見たら泣いちゃうかも。私、パパが泣いたところを見たことがないの。問題はママよね。過干渉なところがあるから」
「菓子折りとか持っていったほうがいいのな。デパートで買うような」
「手ぶらでいいわよ。普段の格好で。いいことを思いついた。7月の終わりに港の花火大会があるでしょ。毎年、うちに友達を呼んで花火見物するの。近くのお寿司を注文して。部屋からの景色が最高なの」
「へぇー。パーティーみたいだな」
「遊びに来る口実に最適でしょ。ナオミとコウヘイも呼んで。あのふたりはママのお気に入りなの。5対1ならママも認めるしかない。パパに協力してくれるよう根回ししておく」
「う、うん。ナオミがいれば会話が弾むし、もしものときはコウヘイが助け舟を出してくれそうだ」
「本当は、タイガとミカも呼びたいけど。まだ仲直りできてないみたい。意固地になってるのね」
「ついでに呼べばいいじゃん。ふたりとも、沙織に会いたい気持ちはあるはずだよ、ひさしぶりに。修復は無理でも、きっかけぐらいにはなるだろ」
「いいの?」
「うまくいくかどうか、責任は持てないよ。結局のところ、ふたりの問題だし。それにぼくはそれどころじゃないと思う。下手したらとんでもないミスをやらかして、テンパりそう。つまずいて高い壺を割るとか」
 こうなったら、4人も6人も同じだ。ぼくは完全に腹が据わったというか開き直った。
 どっちにしろ、沙織は友情を復活させたいのだ。それなら、まとめて関門をクリアしてやれ。いざとなったら、花火が綺麗だなぁとかなんとかいって、ヘラヘラ笑ってごまかすまでだ。
「夏休みは忙しくなるわよ。夏期講習にデートでしょ。食事会の段取りに、ママの機嫌を取って。時間がいくらあっても足りない」
 沙織は、早くも夏休みの計画を練ってるみたいだ。遠足前日の子供みたいに生き生きとしている。
(これなら返事を思ったより早くもらえそうだな)
 あれやこれや悩んでいたのがバカらしい。こんな簡単なことだったのかと、気が抜けたぐらいだ。
 不思議なおじいさんがいった通りだ。ぼくが一歩踏み込めば、沙織は笑顔で応えてくれる。大事なのは、その勇気があるかないかだ。
「1回ぐらいは海に行きたい。来年は受験モードでしょ。遊べるとしたら、今年よね」
「海? 海水浴か」
「将樹は泳げる?」
「人並には。遠泳大会で2キロ泳いだ」
「電車で、猪野島の海水浴場はどう? フロートまで競走して。可愛い水着を買わなくちゃ」
「楽しみだ。沙織の水着姿が拝めるわけか」
「期待してもダメよ。ごく普通のワンピースだから」
「そっちのが、沙織に似合ってるよ。さすがに気が早くないか。そのまえに期末テストがあるだろ。あと修学旅行の準備は大丈夫か」
「ヒナと同じ班だし、ホテルの部屋も。ねえ、修学旅行の三日目、自由行動でしょ。ふたりで南大東島に行かない?」
「なんだよ、いきなり。次から次に」
 沙織のテンションが高いというか、幸せが溢れてスイッチが入ったみたいだ。
「将樹、行きたがってたでしょ」
「よく覚えてんなー。あれは、たまたま手に取ったというか。行ってもなにもないぞ。周りは断崖絶壁だし、サトウキビ畑があるだけ」
「普通に観光するより、絶対楽しそう。忘れられない思い出になるわよ」
 さっそくスマホを取り出して調べだした。
 そういう行動は、マジで早い。
「那覇空港から日帰りで行ける。昼だから南十字星は見れないけど。集落と海を見て終わりね」
「いくらぐらいかかるんだ」
「フライトは1時間で、往復で26000円ぐらい」
「たかっ」
「うちに航空会社の優待券があるから、それを使えば半額になる」
「悪いよ。そんなの。貴重な1日を潰して」
「どうせ捨てるか、だれかにあげるからいいのよ。ね、決まり。だれも行かない場所でしょ。ほかに観光名所がないか調べる。食事をするところぐらいはあるはずよね」
 沙織は行く気満々みたいだ。声が弾んでる。こうなると、止めても聞かない。
(空港かどこかで自転車でも借りて、島内をぐるっと回ってれば観光にはなるか。海の見える場所で写真を撮って。どっかでバイトをして、飛行機のチケット代を稼がないと)
 それは、とても素晴らしい目的のように思えた。修学旅行を抜け出すように飛行機に乗って、日本の南の端っこにある小さな島に行く。そこは電車もコンビニもない。冬も平均気温が20℃を超える。台風のメッカで、青い空と青い海と断崖絶壁に囲まれている。集落では、島民が慎ましく暮らしている。そんな場所を、ふたりでのんびりと見て回る。
 まだ二か月先だけど、充実した夏になりそうだと考えていた。

 結論からいうと、ぼくらが南大東島に行くことはなかった。
 沖縄の修学旅行に沙織の姿はなかった。

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