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早川沙織からの手紙 #24

科学館3

 展示物が不規則に置かれた広いフロアを、トイレを探して歩く。
 案内の矢印を見つけて進むと、巨大な彗星の写真パネルにたどり着いた。
 星空を、燃えるように白くて長い尾を引いている。
(暗闇を、光の矢が飛んでるみたいだ)
 重力があるみたいに惹きつけられる。力強くて美しい。
「ハワイのマウナケア天文台で撮影された写真です」
 すぐ横に、南国の花が鮮やかな色彩で描かれたアロハシャツと砂色の半ズボンを着た老人がいた。
(いつのまにいたんだ。ぜんぜん気配がなかった)
 雪が積もったような真っ白な頭髪に、深いシワがいくつも刻まれた顔。丸い黒ぶちの眼鏡をして、フサフサに伸びた眉毛がフレームに乗っかっている。どことなく痩せた鶴を連想させる。胸のところには臨時職員と書かれたネームプレートがあった。
 科学館とアロハシャツの奇妙な組み合わせが気になる。老人は穏やかな笑みを浮かべていた。数年ぶりに、大きくなった孫に会ったみたいに。
 血管が浮き上がったシワシワの手には、つばのついた濃からし色をした帽子を持っている。ボロボロになっていて、持ち主と同じくかなりの年代物だと一目でわかる。
「熱心にご覧になられているので、お声をかけました」
「とても大きな彗星ですね」
「ハレー彗星と申します」
「ハレー彗星?」
「イギリスの天文学者、エドモンド・ハレーの名前をつけた彗星です。76年周期で地球の周りをぐるっと回ります。正確には、太陽を細長い楕円軌道で公転しております。紀元前240年には、中国の史記に観測されたという記録があります。むかしの人にとって、ハレー彗星は天変地異や政変・疫病など、不吉な前兆と恐れられていたのです」
「へー、そんなむかしから」
 適当に切り上げて、トイレに行くつもりで生返事をした。
「ヨハネ黙示録はご存じですか。第三の天使がラッパを吹くと、大きな星がたいまつのように燃えて天から落ち、多くの人が死ぬと書かれた一節があります。一字一句覚えいるわけではありませんが、おおよそそのような内容です」
「それと、ハレー彗星が関係があるんですか」
「まるっきり。なんのつながりもありません」
 目じりの横のシワが増えていた。もしかすると、ぼくを笑わせようとしたのかもしれない。見かけによらず、おちゃめなところがあるらしい。
「この通り、とても大きな彗星です。肉眼で、はっきりと見ることができます。夜空に、見たこともないホウキ星が現れれば、信心深い人は、ヨハネ黙示録の一節を思い出したことでしょう。尾に含まれる毒によって窒息するという噂を信じた、自殺者もいたそうです。人は目にしたことのない物を見ると警戒します。それは未知への恐怖なのです。生物にもともと備わっている本能でもあります」
「見たことのない星が急にあらわれたら不気味かも」
「尾の長さは10万キロにもなります。地球の直径が1万2000キロなので、いかに大きいかわかります。2061年には、夏から秋にかけて東の空にくっきりと見えるはずです」
「2061年?」
 思わず、数字を聞き返した。
 眼鏡をかけた老人は、やんわりとした口調で、「2061年です。若干軌道がズレて、予定より1年早まります」と、ことさら静かな声で繰り返した。
 子供たちの騒ぎ声が遠ざかり、ぼくの周りだけ静寂に包まれた気がした。正確には、ぼくとアロハシャツを着た老人の周りだ。

「76年という周期は、絶妙であります。運のいい人は一生のうちに二度見ることができるが、運の悪い人は一度も目にすることができません。星座とギリシア神話が切っても切れない関係のように、人類にとって繋がりの深い天体なのです」といった。
「ハレー彗星は、どれぐらいの大きさなんだろう」
「核はピーナッツ型をした岩と雪の塊で、長さは15キロ、縦横は8キロずつです。ちょうど猪野島ぐらいの大きさです」
「地球に落ちたら大変ですね。恐竜が絶滅したみたいになりそう」
「近づくといっても2000万キロ以上離れています。月と地球が38万キロなので、かなり外側を通過します」
「結構、離れてるんだ。もっと近いのかと思ってました」
「月が隣の家だとしたら、近所のコンビニに行くようなものです。残念ながら、ワタシはコンビニというものに行ったことがありませんが」
 いまどきめずらしいなと思った。コンビニが一軒もないような田舎ならわからなくもないが、そのへんにあるのを利用しそうなものだ。
「宇宙は人の感覚を狂わせます。光の速さでも1分ちょっとかかります。研究者の中には、ユニークな説を唱えている者もおります。
 あれは塵と氷で偽装された、巨大な宇宙船ではないかというのです。はるかむかしに地球に移住してきた、宇宙人の母船です」
 ぼくは、吹き出しそうになったのを我慢した。
 説としてはおもしろいし、とても夢がある。だけど、あまりに話が突飛すぎて、現実味に欠けているのが残念だ。宇宙人や宇宙船を素直に信じるほど、ぼくは子供ではない。
 アロハシャツの老人は、ニコニコとしていた。いつもそうやって、好奇心旺盛な子供たちにキテレツな話を聞かせているのだろうなと思った。子供たちは、ソフトクリームと宇宙人が大好きだ。

「SF小説みたいですね。本当だったら、おもしろそうだ。調べたらわかるんじゃないですか。探査機を飛ばして、人工物かそうじゃないかぐらい」
「解析をかく乱しようと思えば簡単にできます。実際、各国が探査機を飛ばしました。アメリカ・欧州・日本・ソ連。飛来した探査機に逆データを送ればいいのです。塵と氷だと信じるような。ステルス戦闘機と同じ仕組みです。あれも電波をかく乱して、レーダーに映らないようにしている」
 ぼくは、なるほどと感心した。
 高度な文明の宇宙船なら、観測をジャミングするぐらい簡単にできそうだ。ハッキングでもいい。地球から遠く離れた宇宙空間を飛んでいるのだから、送受信のデータが合っていれば乗っ取られたとしても気づかない。
「仮に宇宙船だとしたら、地球から離れすぎていませんか? さっきの話だと、えーっと、何万キロだったかな。とにかく、おそろしく遠い。わざわざそんな離れた軌道を周回させるのは不便だ」
「その点が、とても理にかなっているのです。恒星間宇宙船というのは、信じられないような速度に加速するのです。何十光年も離れた星に行くのだから当然です。宇宙では加速するよりも、減速するほうがむずかしいのはご存じですか? あれだけの質量を地球に着陸させることはできません。それこそ、ヨハネ黙示録の『苦よもぎ』になります。大きな物体が周回していれば、さすがに科学者が気づきます。隠すなら太陽か木星の重力ぐらいがちょうどいい。速度を保持しておけば、再加速する手間が省けます。地球へは、小型の着陸船で着陸すればいいのです」
「着陸船?」
「小型といっても、数千人が乗船するのでそれなりの大きさです。この建物の数倍はあります」
「科学館の?」
 アロハシャツの老人は、だまって頷いた。
 そういえば、ロケットみたいな変な形をしてるようなあ、と思った。巨大な球体とビルの部分を含めると100メートル近くはある。その数倍となると、数百メートルになる。アメリカの原子力空母が300メートルちょっとなので、あれと同じか一回り大きいぐらいだ。
「そんな大きな宇宙船があったら、残骸が見つかってそうだけど。とっくにバラバラになってるのかな」
「埋めてしまえばいいのです。地下深くに。だれにも見つからないよう、ふたたび必要になるときまで。地上には目印になるような物を残すのです」
「乗って来た宇宙人は? 何千年か何万年前か知らないけど、消えたとか? 彗星が本船だというなら、帰ったわけじゃなさそうだし」
「います。地上にたくさん。その子孫たちが」
「もしかして、人間?」
「4Fの生物・進化のフロアは行かれましたか。恐竜のロボットが子供たちに人気です」
「今日は、人とプラネタリウムを見に来てて」
「時間があるときに見学されるとよいでしょう。ミッシングリンクについての説明があります。人類の進化の過程おいて、現生人類とその祖先の間を繋ぐ、中間祖先生物の化石が見つかってないのです。人類はほかの惑星からやってきたのかもしれません……という、説もあるということです。あくまで個人の意見です」
「研究者って、おじいさん?」
 アロハシャツの老人は、ますますニコニコとしていた。とても誇らしげに、とてもうれしそうに。
(まじめに聞いて損した。すべて、おじいさんの空想かぁ)
 ぼくは、まんまとかつがれたわけだ。

「本業のかたわらコツコツと調べていたのです。各地の遺跡に足を運んだり、古文書を収集して。昔から読むのだけは得意でした。ほかに趣味もないので生きがいのようなものです」
「お仕事は、なにをされてたんですか」
「会社を経営しておりました。後進に譲って、とうに引退しましたが。このシャツは、職場の旅行で沖縄に行ったときに購入した、かりゆしです。柄があでやかで、とても気に入っております」
「へー、アロハシャツだと思ってました」
「アロハシャツと、かりゆしは親戚のようなものです。正直なところ、ワタシも見分けはつきません」
 かりゆしのシャツを自慢するようにぼくに見せてくれた。
「社長さんかぁ。どうりで話に重みがあるというか、説得力があるわけだ。悠々自適ですね」
「会社というのは、どの組織もそうですが、はじめの立ち上げがむずかしい。そこさえ乗り切ってしまえば、コンスタンティノーブルを出立した十字軍のようにうまくいきます。日本全体が追い風でした。ワタシは、組織が進むべき方向性を決めて、指示をするだけでよかったのです。残りは優秀な部下が身を粉にして働いてくれます」
 商店かなにかを経営してたのかなと思った。それと、イントネーションに独特の訛りがある。長い時間をかけて標準語に矯正してきた名残みたいなのを感じる。
(このへんが地元ではなく、別の地方の生まれなのかもしれない)
 と思った。

「ふたたび必要になるっていいましたよね。どこかにあって、まだ動くのかな。その話だと」
 信じたわけではない。おもしろいので乗っかってみた。ぼくは、話そのものよりも、おじいさんに興味を惹かれ始めていたのかもしれない。かりゆしを着た、おもしろい老人だ。
「地球を脱出するのに。べつの恒星系に新天地を求めるのです」
「ほかの惑星に移住するってことですか?」
「ヤドカリが背負った貝殻を交換するように、新しい惑星に移動するのです。そのための宇宙船なのです」
「やけにスケールの大きいヤドカリですね。仮に彗星が宇宙船だとして、そんなうまく見つかるのかな。人間が移住できそうな星が。火星じゃダメなのかな」
「ワタシも、その点について考えてみました。火星は水が少なすぎる。水がなくては生命を維持することは困難です。地下に大量の氷を発見したとしても、大気中で循環できなければ、いずれ行き詰まるのは目に見えいます。それよりは水も酸素もあって、地球とうりふたつの惑星に移住した方が文明は安定します。
 天の川銀河だけで数千億の恒星があるのです。すでに無人の小型機によって、候補の惑星をくわしく調査してあります。宇宙船の中心には、英知の集積体のような巨大な管理装置があるのです。全知万能です」
「全知全能じゃなくて?」
「機械は、しょせん機械です。あらゆる病や怪我を治して、未来を見通す能力があっても、生命を生むことはできません。生命がなければ文明もありません。そこが生命体と機械の違いなのです。もしかすると生命の目的は種の存続ではなく、自分と似た、大切な相手と目にしたのことのない景色を見るためにあるのかもしれません。DNAはそのための舞台装置で、おまけのようなものです」
「生命体と機械の違いか」
 哲学的だなぁ、と思った。
 渡り鳥みたいに、新しい惑星に移住していくわけだ。
「宇宙船の動力源はなんだろ。やっぱり核融合かな。恒星間を飛ぶとなると、化学エンジンでは不可能ですよね。燃料がどれだけあっても足りない。燃料が増えれば、余計に推進力が必要になる。ワープ航法とか?」
「そのような便利な移動手段があればいいのですが。すこしばかり量子力学の応用が必要です」
「というと?」
「空間自体を媒体にして進むのです。砂粒よりも小さな空間を、素粒子レベルに圧縮します。空間には復元力があり、爆発的に広がるのです。いわゆる真空のエネルギーです。宇宙は加速度的に膨張している。あれと原理は同じです。あとは宇宙船全体をエーテルの泡に包み込んで、空間が膨張する波に乗って進めばいい。サーフィンの要領です。理論上は光速の99%まで加速できます」
 物体は光速を超えて移動することはできない。光速に近づくにつれ質量が増大して、無限のエネルギーが必要になるからだ。
 空間は話がちがう。遠く離れた銀河は、宇宙の膨張速度によって、光よりも速い速度で離れている。
「ダークエネルギーみたいなのかな。独創的ですね。はじめて聞きました。あくまで理論的に、ですよね」
「なにぶん物理学は門外漢で、くわしくは知らないのです。いろいろと考えていると、どこからともなく頭の中にイメージが降ってくるのです。年寄りの暇つぶしですな」
「ふうん。宇宙は危険がいっぱいだし、地球と似た環境があるとしても、移住がうまくいくとも限らないのに」
「第一にリスクの分散です。第二に可能性の問題です。選択肢は多ければ多い方がいい」
「リスク?」
「地球に依存する限り、人類はいずれ滅亡します。それが核戦争によってなのか、気候変動によってなのか、はたまた巨大隕石の落下によるものなかはわかりませんが、自明の理です」
「そんな簡単に絶滅するかなぁ。隕石の落下は、数億年に1度のレベルだと聞いたことがあるけど」
「トーストはバターを塗った面から落ちるという、言葉があります」
「マーフィーの法則。たしか、洗車をすると雨が降る、とかいうのですよね」
「人が想像しうる最悪の出来事は、必ず起きます。遅いか早いかのちがいだけです。つい最近も、パンデミックがありました。人はかしこいように見えて、集団になると恐ろしいほど愚かです。みずからの主義主張のために、平気で相手を傷つける。理性的な判断を失うといいますか、思考が猿に戻ってしまうのです。ワタシ自身、嫌というほど見てきました。ほかの惑星に移住すれば、その確率は半減します」
「だれでも乗ることができるんですか? 人数制限がありそうだけど。先着順じゃなさそうだし」
「いい質問です」
 まるで、ぼくが質問するのを待っていたみたいな口ぶりだった。

「若くて健康な男女です。はじめからパートナーがいるとなおいい。移動に長い時間がかかります。残念ながらワタシのような老人はお断りです」
「2061年なら、ぼくもダメですね。到着するころには死んでそう」
「指導者に、しっかりしたビジョンと覚悟がなければ移住は失敗します。なにせ電気やガスもありません。すべてゼロから開拓する。未知の生物との遭遇や、恐ろしいウィルスもあるでしょう。難解な問題をひとつひとつ解決する、知恵と忍耐が必要になる。あきらめて帰ろうにも、地球は何十光年も離れています。片道切符です。仲間も次々死ぬ。戦前の開拓移民より、はるかに難易度の高いミッションです」
「カリスマ性がないと厳しそうだ。それもかなりの。大勢の仲間をまとめる」
「能力が高いのは当然として、もっとも大事なのは困難に立ち向かう勇気です。問題にぶつかるたび立ち止まっているようでは、人はついてきません。逆にいえば先頭に立って乗り越えればついてきます。ディアスポラの民を率いてカナンを目指した、モーセのように」
「惑星への移住かぁ。出ガイア記ですね。神話になるのかな。ぼくは、途中で投げ出すタイプだから。陸上も2年でやめちゃったし」
「そういうリーダーの資質は、母親から受け継がれます。モーセはファラオの娘に養子として育てられました。アレキサンダー大王も、息子が英雄的な運命を持つと信じる母親のオリュンビアスによって、幼少期より帝王学を叩き込まれました。日本だと聖徳太子や徳川家康がそうです。家康は、いまでいうマザコンです。母親の愛情を注がれて育つと、社会性が高くなるという研究があります。母親は子供にとって最初の他人です。他人を信頼することで、他人に信頼される人格が形成されるわけです」
「へー、リーダーの資質を持った母親かぁ」
 ぼくは、そういう女子にひとりだけ心当たりがある。森の中で遭難しかけても、ひとりだけあきらめずに仲間を奮い立たせて歩き続けるような。ぼくのすこしまえを、いつも背筋を伸ばして歩いている。

「責任重大ですね。覚悟も。自分の子供が、危険な場所に行くとわかっていて送り出さないといけない。二度と会うこともできない」
「普通の人間には、想像もできない重圧です。しかも、チャンスは彗星が地球に接近する、76年に一度だけです」
「それを逃すと、どうなるんだろう」
「どうにもなりません。彗星はとてつもない速さで地球から遠ざかります。また一からやり直しです。着陸船は地下深くで眠っています。そうやって長い時を、繰り返してきたのです。ひたすら呼び起こされるのを待ち続けて」
「乗り遅れると大変だ。76年に1本だけのバス。でも、地下に埋まってる着陸船を、どうやって見つけるのかな。それこそ宝の地図でもないと無理そう。下手したら永遠に埋まったままだ」
「その点は抜かりありません。正しい時がくれば、船の方から資格のある人物に伝えるのです。先ほど申し上げた装置が、ある方法を使って」
「ある方法?」
「頭の中で鳴り続ける目覚まし時計のようなものです。確実にわかります」
「想像しただけで、うるさそう」
「ひとつ難問があります」
「まだなにかあるんですか。すでに難問だらけだと思うけど」
「船を動かすための門と鍵が必要です」
「門と鍵? 鍵じゃなくて?」
「着陸船は、地下深くの地底湖に沈めてあるのです。冷たい水の中に、完全な状態で保存してあります。清らかな水は、船のエネルギー源でもあります。ふさわしくない人間が、勝手に船を動かせば大変なことになる。悪い人間はたくさんいます。本船に戻る手段がなくなって、移住計画そのものが文字通り水泡に帰ります」
「なんだか、ノアの箱舟みたいだ。旧約聖書に出てくる。ノアは、アダムとイヴの子孫ですよね。創世記。エジプト神話にも太陽の船がある」
「まさに船は人類の希望そのものです。門と鍵は、悪用を防ぐための安全装置なのです。門と鍵がなければ、船を動かすことはおろか、中に入ることもできません。二重ロックです。門だけでもダメ、鍵だけでもダメ。ふたつが揃って、門が鍵を受け入れると船は本格的に目覚めます。いまは、中心にある管理装置が予備的に機能しているだけです」
「公開キーと秘密キーみたいだ。ネットの通信プロトコル」
「ワタシはネットというものを存じ上げませんが、似たような仕組みかもしれません。じつは、船があるのではないかという場所を見つけたのです」
「またまた。本当なら、ツタンカーメンの秘宝を超える世紀の大発見ですね。ウィキに名前が載る」
「ところが、どこを探しても入り口が見つからない。正面は、大きくて頑丈な石で塞がれているのです。つるはしで叩いたところで傷ひとつつきません。それもそのはずです。門と鍵は、この世にまだ存在しなかったのです。入れるわけがありません。鉄壁の防御システムです。どうやっても突破できない」
「ダイナマイトで爆破してみたら。すこし乱暴だけど」
「そんなことをすれば、船は自爆して跡形もなく消え去ります。最悪です。地上の街が丸ごと消えます。惑星移住の道は断たれ、無関係の人が大勢死ぬ。それだけは、なんとしても避けなければなりませんでした」
 現代のロケットも自爆装置を搭載していて、軌道投入に失敗したときは管制センターから指令を送って空中で爆破する。最近もそんなニュースがあった。宇宙に飛び立つ船なら、それぐらいは準備してそうだ。
「門と鍵はどこにあるんだろう」
「長いあいだ探し続けて、ようやくめぐり会うことができました」
「めぐり会う? 見つけたってことですか?」
「灯台下暗しとはこのことです。すぐ近くに。ふたりとも」
「門と鍵は人? DNA認証かな。究極の識別システム」
「波長といいますか、先ほどいった船の中心にある管理装置と共鳴するのです。門の方は、薄々気づいています。とても勘が鋭い。その時がくれば導かれます。結局のところ、我々は前に進むしかない。あとは本人が、どう判断するか」
(沙織の話しと、すこし似てるな)
 と思った。
 偶然だとしても、2061年という数字が引っかかる。どこか遠くに旅立つという点もそうだし、その時までに判断するというのも同じだ。

「どうかされましたか」
「知り合いが話してたのと似てる気がして。そのコも星が好きなんです」
「星を好きな人間に悪い者はおりません。星はなにもしゃべりません。なにも与えてくれません。夜空で輝いているだけです。見返りを求めていない。きっと素晴らしい女性でしょう」
「なぜ、女のコだってわかったんだろう」
「顔を見ればわかります。こういっては失礼ですが、顔に出やすいタイプです」
「……うーん。気むずかしいというか、なんていうか」
「ワタシでよろしければ、話をうかがいます。たいした助言はできませんが、相談相手ぐらいにはなれます。この通り、人生経験だけが取り柄のようなものです」
「とても勝ち気なコなんです。美人で頭が良くて、振り回されてばかりだけど、そこも魅力で。芯がしっかりしてる。はじめは、なんだコイツって思ってたんです。気がついたら、彼女のことを自然と目で追うようになってました。いつも、ほっとけない。
 彼女は、目標に向かって努力する大切さを、ぼくに思い出させてくれました。まだリハビリ中だけど。とても尊敬しているんです。女とか男とか関係なく、人として。ぼくが必要だと思うように、彼女もぼくのことを必要だと思ってくれたら、すごくうれしい」
(どうして、こんなことを話してるんだ。初対面なのに)
 理由はわからないけど、この人なら話していい気がする。言葉には言い表せない親しみを、ぼくは感じていた。

「その気持ちを、言葉で伝えたほうがよろしい。態度でわかってほしいというのは甘えです。時間はあっというまに流れていきます。あらぬ誤解がすれ違いを生むこともある」
「好きだといってくれました。ぼくの何倍も、ぼくの目を見て」
「それはよかった」と温もりのある声でいった。まるで自分のことのように喜んでいる。
「好きな相手と気持ちが繋がると、世界が広がるような心になります。それは、錯覚ではありません。真実、世界が広がるのです。若いうちにしか味わえない、特別な気持ちです。年を取ると感情が平坦になるといいますか、心まで瑞々しさを失って衰えます。そのうち砂漠のように干からびて、なにも感じなくなる」
「彼女が、好きになった理由がわからないんです。ぼくは、どちらかといえば口下手だし、女のコにモテるタイプじゃない。知り合ったのも、この春です。考えてみたら、祭りの日に出会ったのも偶然じゃない気がする。なにかがおかしい。それは、ぼくもわかってる。第一、うまく行きすぎてる。そのうち大きな落とし穴があるような」
「大切な物を失う恐怖。不確実な将来への不安です。若いころは、だれしも陥ります。いまが幸せの絶頂のようで、この先は下降するしかないように思える。大人になってみると、たいした悩みでないと気づく」
「そうなのかな」
「精神的に強く結びつくと、相手が自分の一部になったように感じる。お互いがお互いの半身となるのです。半身を失うことは、魂を半分もがれるようなもです。おおげさではなく、生きる意味を喪失します。そういう相手とは、一生に一度出会えるかどうかです」
「まるでハレー彗星みたいだ。一生に一度、見れるかどうか」
「その通りです。出会ったとしても、気づかずに通り過ぎる人も多い。答えは簡単です。本人に、直接質問してみるとよろしい。彼女は、あなたが想像しているより、ずっと一途な女性です。あなたは、もっと自分に自信を持つべきだ」
「沙織を知ってる?」
 ぼくは、なんとなくそんな気がした。
「よく存じております。ワタシにとって、ふたりとも孫のようなものです。ワタシがいえるのは、決して手を放してはいけない。この先、なにがあってもです」
「それだけ? 簡単そうだ」
「これが思いのほか難しい。頭でわかっていても、ほとんどの人が出来ません。人は魔が差したように大切な物を見失う。それが近ければ近いほど。ワタシもそうでした。
 離れていても、心が繋がっていれば平気だと考えるのはマヤカシです。ソバにいなければ、いざというときに助けることはできません。たとえ救えないとしても、最後まで手を握って声をかけるだけでいい。ワタシは、それさえできませんでした。
 むかしのことです。ワタシにも、半身と呼べる女性がおりました。彼女は、ワタシに外の世界へ羽ばたくチャンスを与えてくれました。夜空でまたたく一等星だったのです。その星を見上げて、大海原を航海すればよかった。星はいつまでも同じ場所で輝いていると思い込んでいたのです。だが、ある日、星は姿を消してしまった。ワタシは、進むべき方角を失ってしまいました。文字通り、目の前は暗闇です。
 それまで、強い人間だという自負がありました。飛び交う銃弾をくぐり抜け、極寒の孤独に耐え。ワタシが彼女を支えるのだと。すべて思い上がりでした。声も姿もなく、彼女によって支えられていたのです。
 ワタシは取り返しのつかない過ちをした大バカ者です。周囲に流されてしまったというのは、いい逃れだ。跳ね返すだけの心の強さがなかった。そのことを後悔し続けているのです。いまでも、まぶたを閉じれば、彼女の姿がはっきりと浮かびます。ワタシはこの通り頭も白くなり、シワだらけになりましたが、彼女は永遠に若いままです」
 まるで昨日のことのように重い声で話していた。黒い丸ぶち眼鏡の奥の、乾ききった目で、ぼくを見据えている。もはや泣くこともできないのだと思った。
(おじいさんは、何歳ぐらいなんだ)
 トロピカルな、かりゆしのせいで、65歳ぐらいかと思っていた。
 本当はもっと年を取っているのかもしれない。75か80歳ぐらい。若いころは、いまより身長が高くて180はあったんじゃないのか。長身で、かなりのハンサムだったはずだ。
「そのころ、ワタシは責任の大きな仕事をまかされておりました。山を切り崩して土砂を運び出し、泥と土にまみれる作業だったのですが、まえの不毛な役務よりは、はるかに人間らしい労働でした。連日、夕暮れまで大勢の部下と汗を流し。疲れを忘れるほど作業に没頭して、余計なことを考えずにすんだ。ワタシは、すでに抜け殻だったのです。大きな使命感に燃えていた火は消え去り、正直どうでもよかった。仕事がすべて片付けば、クニに帰って彼女に報告して、すべてを終わらせるつもりでおりました。ですが、ある晩、見つけたのです」
「なにをですか」
「生きる意味です。同時に、それまで自分が苦心して積み重ねてきたことの無意味さを知りました。ワタシの目の前に彼女があらわれて、まだ大事な役目があるこを教えてくれました。ふたたび朝日が昇るように魂を吹き込まれたのです」
「ぼくの早とちりかな。話がよく見えない。女性は死んだのかと思いました。まさか幽霊?」
「生身の体です。この手でじかに触れることのできる。温もりを持った彼女を。あれは、とても象徴的な出来事でした。あの世とこの世が交わる場所です。日常と非日常の境界線。そこでは生と死があいまいになります」
(あの世とこの世が交わる場所??)
 とぼくは思った。
 まるで、ぼくの心を読んだように「あなたも、いずれわかります」と、かりゆしのおじいさんはいった。
 ぼくは、質問したいことがありすぎてうまく考えがまとまらない。どこまでが空想で、どこからが実話なのかわからない。なにもかもが常識からかけ離れている。
「どうやら時間のようです。懐かしさに、つい長話をしてしまいました」
 おじいさんは、ぼくのうしろに視線を動かして、にこやかな顔をした。

「こんなところに居た。戻らないから探したじゃない。もうすぐプラネタリウムがはじまるわよ」
 声がして振り返ると、沙織がいた。
 ポニーテールを揺らして、ぼくの隣に来る。周囲の喧騒が元通りになった気がした。
「このおじいさんに、おもしろい話を聞いててさ」
「だれもいないじゃない」
 沙織が、ぼくを見て眉をひそめる。
「あれ……どこにいったんだ」
 ぼくは、フロアを見回した。
 老人の姿はどこにもなかった。まるで蜃気楼のように消えてしまった。
「さっきまで居たはずなのに。かりゆしを着た、臨時職員のおじいさんが」
「かりゆしって、沖縄の?」
「トロピカルな南国風のデザイン。頭が真っ白で黒い眼鏡をかけてて、鶴みたい。おかしいな」
「ねぇねぇ、そこで聞いたんだけど、この科学館は、ヤガミ少尉の企業が寄付したお金で建ててたの。私たちの学校と同じ。びっくりでしょ」
「へー……やたらお金がかかってるわけだ」
「それで、なんの話をしてたの」
「ハレー彗星を知ってる? この写真の巨大彗星なんだけど、76年周期でぐるぐる太陽の周りを周ってる。1年早くなって2061年にやってくるらしい」
「名前は聞いたことある。前回は1986年に来たのね」
「1986年?」
「1年早まるんだから、2061ひく75でしょ。簡単な引き算」
「ということは、そのまえは1910年……」
「それがどうかしたの?」
「ヤガミ少尉が生まれた年と死んだ年だ」

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