目指すべきところは「人にやさしく」という部分であろう

多様性を認めるというのは、結局のところ、既得権益が強くなるだけでは?

ということが頭に思い浮かんだ。

それはどういう話かというと、ビジネスなど比較が必要な場合、大衆の共通認識が強い方が有利になるだろうなと思ったからだ。


多様性を認めることの効果とはなんだろう?

無視や排除される存在がその域を脱するということは在りうる。配慮する姿勢を見せることで強者が甲斐性があるように見せることができる。ビジネスに活用できる。

といった具合だろうか。

言葉で表現すると、広くを「多様性」という言葉に集約させること自体が多様性がないという皮肉は度々出る。言葉で考えると、それを情報として丸めるとどうしても齟齬が出る。

振る舞いに集約すると、目指すべきところは「人にやさしく」という部分であろうし、余裕があるようにみせるということだろうな。

また、ビジネスが外れたところでは、もう少しメリットの方が強くなるだろうな。

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