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日記 2023/4/14

有休を取ってミュージカル『DADDY』を観てきた。

ファミリーミュージカルとのことだったので、もっと終始おかあさんといっしょのコンサート的な感じを想像していたが、意外と難解な言葉やメタ的な演出が多く、ストーリーも大人が子どもを思う、童心を懐かしみ思い出すことに基軸が置かれているように感じた。
もちろんファミリーミュージカルと銘打たれている以上子どもの観客も多かったし、多くの子どもソングが振り付け付きで披露されたり、客席参加型のくだりがあったりするのでそのあたりは子どもも楽しめただろうけど、ストーリーの内容を理解できたのかは微妙なところ。でも別にストーリーの意味をすべて理解できない年頃に触れて、大きくなってから「あれってそういう意味だったのか」と合点がいく作品なんて自分にも山ほどあったし、ストーリーが難しいから子どもに見せるべきでない、なんてことはない。むしろ観た方がいい。

中村嶺亜さん演じるこーすけは、子ども向け番組の制作スタッフでありながら子どもソングを嫌い、仕事にも不真面目。夢の中で、小山十輝くん演じる未来の自分の息子を名乗る少年と旅をすることになり、様々な世界の「ダディ友」と出会うことで、今は亡き自分の父親との過去と向き合い、子どもを愛する心を取り戻していく。
タイトルから家族愛の物語なのだろうなと想像はついていたものの、わたし個人の思想として、子どもは尊ぶべき存在であるとは思う反面、自分の子どもが欲しいとは一切思わないので、あまりにも生殖バンザイ!血縁最高!に持っていかれるとキツいだろうなとビビっていたが、意外とストレスなく最後まで観ることができた。
1幕で、こーすけは3組の「ダディ友」に出会うことになる。1組目は海賊の船長。人魚と結婚し子をもうけたが、自分だけが海中で生活できず、娘たちに会えないため寂しい思いを抱えている。2組目はオス同士の恐竜のカップル。譲り受けた卵を大切に守り、孵化するのを楽しみに待っている。3組目は長く地球を見守ってきた宇宙人。"(地球に住むすべての生物を指して広義の)子どもたち"の幸せを願う。
彼らのエピソードは、かつてこーすけの父親がこーすけに語り聞かせてくれた思い出の物語だったことが後に判明するが、それぞれ「情けない姿を見せてはいけない、他者に甘えてはいけないといった"男らしさ"の解体」、「同性同士など、生殖ができないカップルであっても子を愛し育てることができる」、「もっと普遍的に、血縁や戸籍上のつながりがなくても、世界中のすべての子どもたちを愛を持って見守ることができる」という明確なメッセージが読み取れる。月並みな表現だが、"多様性の尊重"がようやく声高に叫ばれるようになった昨今において、こういったメッセージが自然にストーリーに織り込まれているのはとても嬉しかった。それらが既存の子どもソングの歌詞にも違和感なくハマってたのもよかった。宇宙人のシーンの『世界中の子どもたちが』でマジで泣きそうになっちゃったし……。これを見た子どもたちがこの価値観を「当たり前」だと思って成長していってほしいとわたしも切に願う。
「ダディ友」との触れ合いを通して、自分が本当に父親の責務を果たせるのか不安を感じたこーすけは、現実の世界に戻ることを拒絶し、未来の息子も突き放してしまう。そんな中最後にたどり着いたお化けの世界で、こーすけは亡くなった父と再会する。生前から死後もなお、父が自分を愛してくれており、父と子が相互に影響し合いながら関係を紡いでいたことを理解したこーすけは、現実の世界に戻る決心をする。
現実に戻ったこーすけは「俺の役割は、過去と未来をつなぐバトンなんだ!」と言う。"父親"という、責任ある大人の男として在ることの重圧に耐え忍ぶだけではなく、自分が父から受け取ったものを次の世代へ語り継ぎ、見守ることこそが子を愛することの本質といえるだろう。父からの見えない贈りものたちに確かなメッセージ性が担保されていることで、こーすけのセリフは単なる生殖活動による種の継承に留まらず、子どもと子どもに関わりあって生きていくすべての人が幸せに過ごすために必要なことを、愛とともに継承していくことを指しているのだと理解することができた。これは父親という特定の属性に限らず、子どもが育っていく社会を構成する人々すべてが実践できる考え方だから、未婚子なしで今後も子を持つ予定が今のところないわたしもスッと腑に落ちた。現にラストシーンのこーすけは、彼女が妊娠していたわけでもなくむしろ振られ、我が子に出会うのはまだ少し先になってしまうのだが、この気づきの実践に向け、子どもたちのための番組作りに精を出すようになる。
以降は曲解かもしれないが、今作は「男性同士のケアのあり方の可能性」が裏テーマとして位置付けられるんじゃないだろうかとも思う。本作にはケアを担う役割の代表格たる母親の存在がほぼ描かれない。そういう意味では、こーすけが初めて出会う「ダディ友」が、つらさや寂しさを打ち明けにくい屈強な海賊であった意義がかなり活きてくる。はじめに海賊に出会っていなければ、こーすけが父親になることへの不安や、自分の父親に対する寂しかった気持ちを素直に口にすることなく、物語が終わっていたかもしれないし。

ここからは演者のオタクとしての感想。
中村嶺亜さんの才能の真髄はジャニーズというホームグラウンドの外に出た時、ブレない己を通しながらも、キャリア10年超のベテランアイドルとは思えない驚くべき吸収力と柔軟性で、行く先々のフィールド特有のノリに順応しながら新たな挑戦を重ねる、いい意味での"空っぽさ"にあると思っている。そんな懐の深い彼だからこそ、グループ活動でもあんなイカれたバンドのフロントマンとして立ち続けることを可能にしているのだと思う。その新鮮な変幻自在さに年々磨きがかかって、新たな表現の引き出しをどんどん増やしていく様子が如実に表れるのが見てて本当に面白い(interestingの意)ので、外部舞台出演を特に楽しみにしているメンバーだ。
昨年11月の『SEVEN』は演出が宝塚の方だったので宝塚的な歌い方や佇まいになっていたが、今回も素晴らしいほどにEテレ教育番組に染まっていた。歌い方に関してはシンプルに地道なボイトレの成果が出て上手くなったというのもあるのだろう。低音域が太くしっかり発声できるようになって、ビブラートのかかりも綺麗になった。ソロ歌唱シーンは本当に一生聴いていたいと思うほど心地良かった。グループに戻って歌ってくれるのが待ち遠しい!
以前ブログで「顔が隠れないように急きょ前髪を上げることになった」と仰っていたが、今回の俳優・中村嶺亜の挑戦として"表情"の芝居が挙げられるだろう。特に目まぐるしくコミカルなシーンの続く1幕では、それに合わせてキャラクターのように大袈裟な表情を次から次へと切り替えていくことが要求される。加えて1幕のこーすけは子どもソングが嫌いで歌いたくない踊りたくないという設定のため、持ち前の運動神経とキュートなフォルムの身体から繰り出す感情表現は制限される。もちろんお顔はべらぼうに綺麗だが、ぶっちゃけその分彼に表情が豊かなイメージがこれまであまりなかった。今回で今まで見たことない表情がたくさん見られて、意識的に試行錯誤した痕跡がたくさん見受けられたのでとてもよかった。今後も伸びしろだらけだ。
小山十輝くんは以前ジャニワでMUSIC FAIRに出ていた時に歌が上手すぎて二度見したのを覚えているが、生で聴いてもやっぱり上手かった。影ナレも聴き取りやすくてよかった。プロ子役だ……と思ってたけど生で見るともう既に想像より全然デカくて子役っていうか普通に"少年"って感じだった。よその子とゴーヤは育つのが速い。
河原雅彦演出を観るのは『残酷歌劇 ライチ☆光クラブ』以来8年ぶり(!)だったのでそれもまた観られてよかった。

森ノ宮ピロティホールの座席とわたしの腰の相性が悪すぎるので、次行く時は挟んで角度調節する用のタオルとか持って行った方がいいのかも。GYPSYの時になるかな。夜行バスみてーだな……。


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