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罪悪感と向き合う

最近やらかしてしまったことがある。

うかつに人を傷つけてしまったのだ。相手のやさしさにあぐらをかき、完全に図に乗ってしまっていた。謝罪しようにも連絡先が分からないし、やってしまった感がずっしりと心にのしかかる。そんなこと言ったってやられた本人の方がつらいだろ!というツッコミも頭の中に沸き立ってくる。もっともなことだ。そのようにして余計暗く落ちていった。

このように人を傷つけたりして後悔し苦しむことはこれまでの人生で多々あった。だからあんまり人とコミュニケーションをとらないように閉じていることが多くなっている。そのくせ寂しかったり、逆に、誰にも役に立てていないことが申し訳なかったりと、客観的に見ればグチグチジメジメした面倒な感じにも思える。

どんよりした気持ちでいるうち自分の心の中に罪悪感があることに気づいた。しかも結構強力でしつこい。そういえば今までもそう思って生きてきたが、今回のやらかしでまた思い出した。そんな罪悪感にさいなまれてか、私は以下のような癖がある。

  • 私は誰かを傷つけかねないから自分からはほぼ何もしない。

  • 言いたいことがあっても我慢する。

  • 何もしないというのもそれはそれでだめな奴だと思う。

  • 何かするにしても相当相手の事を注意深く見る。

  • 距離が近くなれたらなれたで失言する。

  • 人の要望に対して断ることがなかなかできない。

  • 一人でいることが楽。(さみしいくせに)

以上は一例に過ぎないが、罪悪感から私は誰かの役に立たなければという思いがやや強すぎる傾向がある。ゆえに相手の理想をなぞりすぎる。会社においては理想の社員に。恋愛においては理想の彼氏に。などなど。そうしているうちに、上手くいけば今回のように調子に乗りすぎたり、逆に疲れ果て自分が空っぽになってうつになる。就職や恋愛に億劫なのはそんな経験からだろう。

ここまでくると、罪悪感さえ無ければいいのにとも思うのだけど、本当に無くなればいいのだろうか。

罪悪感が全くなければ自分が何をしても正当化できるだろうし、誰かを傷つけても何の気にもならないだろう。傷つけたことにすら気づかないかもしれない。だから無くなってしまうことで悩むことは無くなり気持ち的には楽になるのだろう。しかし罪悪感のメリットもひょっとしたらあるのではないかと思う。罪悪感を払拭しようとすることが何かに取り組もうという動機にもなったし、例えば人の気持ちをよく思いやるみたいなことも身についた(ついてしまった)んだと思う。善いか悪いかおいといて。またある意味罪悪感を持っていることは、それが強ければ強いほど、人にやさしくありたいという態度の裏返しになるとも思う。しかしそれゆえに苦しむのだけど。

罪悪感というものはとても厄介でつらく重い。だけれどそれはそれで善い面も少なからず存在するのではないか。そう思ううちに、一つ自分の信条としていることを思い出す。

『○○感というものは外的刺激を受けた時の心の動き(癖)。風に草木が揺らされるようなものでそれ自体に善も悪も無い。だから○○感が生じたときは否定も肯定もせずただ認め受け止めることから始める』ということだ。

今までのうつ体験から僕はそう信じてきたのだった。

罪悪感を嫌悪したり罪悪感を根拠に自分を罰し続けるのではなく、逆に罪悪感なんて消してしまってなんでもありにすることでもない。先ずは罪悪感があってもいいと認めることだろう。それは自分を赦す事でもあるから。

何かやらかす度に自分はダメな奴だと思って治そう治そうとしてきたが、どうやら治らないのではないかと思いつつある。たぶん生きている以上失敗することや恥をかくことはあるだろう。起こしてしまったことは取り返しがつかないし仕方のないことだ。だからと言ってやってしまったことの肯定や否定をすることではない。それを気にするわけでもなく、気にしないわけでもなく、ただ行ったことの結果として受け止めたいとおもう。

今回の事もどうしていいのか分からない。直接謝罪もできないし謝罪するという事が自己弁明になってしまうのも違うと思う。ただ一言申し訳ないという態度は表明したがそれでいいかは分からない。こういう時にやるべきことは、上記のような自分の感情をまず認めるということと、今をどう生きるかという事だろうと思う。自分がずーっとへこんでいたって、もしくは正当化して忘れてしまったって、相手にとっては気分が悪いかもしれない。どうでもいいかもしれないけど。でも本当に罪悪感を抜きにして相手を思うことが出来た時、再び何かしら道は開けるのではないか。それまで、自分が自分であることはどういうことなのか見つめることが大切なのだろうなと思う。

結局罪悪感についてどうしたらよいかの具体的な結論は出ていなくて曖昧な文章になってしまったけれど、結論の無さが結論でもあると言い訳っぽく思いつつ、これからも自分のテーマであろう罪悪感について、また何か気づいたらnoteにしたためたいと思う。

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