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『取って、入れて、出す』

いきなりのこのタイトル。
そうです。江頭2:50さんのおなじみのギャグです。
取って入れたら出さねばならねぇ。
出さなば入れることが出来ぬ。
なかなかいい事言うねぇと思ったので、そのことを少し。

思うに、結局そういう循環がうまくいってる方が健全ですよね。
水も流れるからきれいなわけで。
何を出すかって?
そりゃなんでもいいのよ。
涙でも汗でも声でもう〇こでも。

でも、どこかで、
いや、人前で涙なんか出しちゃいけねぇ!
みたいなことをヨシとしてしまってね。
感情と行動がバラバラになっちゃってね。
それを大人だとか成長だとか言っちゃったりする。
ヨシとすること自体は悪い事じゃないし、
ある程度はそうでないと成立しない場面もあるけど、
でもそれをやりすぎると、
自分の心はどうすりゃいいのさ?となるわけで。
そうなると、なんでもとにかく出してみる。
息なら吐いてみるみたいな呼吸瞑想もだけど、
胸のうち頭のうち体のうちを出していく、
つまり何かを自分発信で表現するということは、
やはりどこかで当たり前で大切のような気もしている。

話は変わって、最近HIPHOPを聞いている。
20代のころ、一度はそのイカツさにハマったものだ。
偶然YOUTUBEのお勧めで見始めたけど、なんか楽しい。
特に鎮座DOPENESSさんがいい。
知るのが遅すぎた!悔しい!
声もいいし、リズム変化が面白い。
音程も独特。ちょっと異国情緒もあり。
彼はあまり韻を踏んでいないように思うけど、
それよりもリズムに乗っかりながら、
そこにある音をひょいっと捉えて全身で表現しているみたいだ。
何が出るか分からないのにこれしかない!と思えるから、
誰にでもわかるけど、だれにでも出来るわけではない、みたいな
普遍性と個性のレベルが高い方なのだろうな。と思う。

ここの所、なんか表現したいなぁと思ってたけど、
RAPなんかもいいんじゃないだろうか?
と思って、車でブツブツ言ったりしちゃったりして。。
これが案外面白い。
型(小節)、リズム、韻ってもうそれは俳句みたいなもんか。
日本人には実は心から面白く感じられるのかもなぁ。

何か表現したい!ってのは、
何か取って入れたから出したい!ってことで、
江頭さんの取って入れて出すは、
〈取って入れて出す〉を取って入れて出したってことだな。
江頭さんにもなんだか鎮座さんのRAPのようなものを感じる。
意図を感じない意図、みたいなね。
わざとらしさが無いっていうか。

でもそんなにハイレベルさを求めなくても、
歩くとか、あくびするとかでもいいと思うんですよね。
疲れたら休む。ということも表現?でいいだろうし、
何もしたくない!ということをする。というのもいいなぁ。

こういうこと考えていると、
だいたい宮沢賢治の農民芸術概論綱要を想う。
そこに書かれているのは、
音楽や絵画等の美術だけではなく、
建築やスポーツなんかも芸術に含まれるということのようだ。
僕はゴルフをやっていて思うのだけど、
ゴルフも芸術だなと感じることがある。
状況を感じ、次の一手をイメージし、それを表現する。
自分がやっただけ何かが変わる。それを受け止める。
上手い下手関係なく、それが好きで研究的に
やり続けているのが個人的にはとても好きだし。
どんどん実は物事はシンプルなんだなぁと気づくから
これがまた面白い。
善いか悪いかの判断をいったん離れて、
無心に、クラブとボールと、さらには世界と
溶けていくように感じることもあるからたまらない。

てなわけで、
とにかくなんでもいいから、
取って入れて出していきましょう!
ということでした。

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