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【観劇記録】『GOOD』-善き人-

2024.04.13 @ 世田谷パブリックシアター

 記憶が正しければ6年ぶりの世田パブ、と書いて自分でも驚いている。ちなみにシアタートラムには入ったことがない。上演の情報は見かけるけれど上手いことチケット確保するに至らない、という感じか。やっぱり偏っているのだな……。

ヒトラーが台頭し始めた1930年代のドイツ・フランクフルト。

大学でドイツ文学を教える“善き人”ジョン・ハルダーは、妻や3人の子供たち、認知症の母親の面倒をみながら暮らす良き家庭人であった。ただ一人の親友はユダヤ人の精神科医モーリス。彼には家族の問題や突然訪れる妄想について打ち明ける事ができた。その妄想は、幻の楽団と歌手が登場し、状況に合わせた音楽を演奏するというもの。現実と妄想の区別がつかなくなっていると、ハルダーはモーリスに訴える。一方、モーリスも、自分がユダヤ人であることで、ナチスの反ユダヤ主義により、自分がドイツにいられなくなるのではないかという大きな不安を抱えていた。

そんなある日、ハルダーは講義を受ける女子学生アンから、このままでは単位が取れないと相談を受け、その夜自宅に彼女を呼んでしまう。夜遅く雨でずぶ濡れになって現れたアンに、彼は好意を寄せ、関係を持ち始めてしまう・・・。

https://good2024.com/introduction.html より引用(2024.05.12取得)

 あらすじや宣伝文句からして、ジョンがたどり着く先がどこなのかはまあ想像できるし裏切られることもない。何ならそれを期待して見に行っているわけだが、その濃度が予想以上で圧倒されてしまった。私は主人公のモノローグが多い作品があまり得意ではないのだが、そんなことは言っていられなかった。
 これを初見で見て、終演した途端に感想をべらべら話せる人を良くも悪くも尊敬する。すぐに言葉にして残しておかないと思考からこぼれ落ちて何も残らないぞ、と思う自分と、咀嚼もせずに迂闊なこと言えないよ、と思う自分が戦って、何も言えなくなってしまった(そして案の定後者が優勢になり、今必死にひねり出している)。

 ジョンがナチスに入党する辺りでは、家族という守るものがあるから意図しないことがあっても従うってやつね、くらいの感じで見ていたが、その家族は捨てるし最終的に守っているのは自分だけ、というのが露呈するのはキツいものがある。2幕、モーリスや自分の著作については葛藤するシーンがあるのに、妻や母親はきれいさっぱり忘れて全く出てこないのは、なかなかにグロテスクだなと思った。
 そこから素直に結論を導こうとすると、自分を守ることさえ許されなくなってしまう。と同時に、自分の快も求めちゃいけないなんてそんな結論に意味あるの、という気持ちもある。

 否応なしに2024年の社会状況に当てはめようとしてしまうし、その状況で自分が流されない自信があるかといえば、ない。いや、大人として学生に手を出すことはない、とだけは言えるか。では、そうならないために出来ることがあるのか、と問われても胸を張って返せない。
 もちろん作っている側もそれを意図しているわけで、反応が安直すぎると言われればそこまでなのだが。あれ、これは流されやすいですと言っているようなものなのか……?どちらにしろ、"決定的な選択肢"は決定的であるという顔をせずに横たわっている、ということは肝に銘じておかなければならないと身に沁みた。

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