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資本家的発想を忘れないようにしよう

資本家とは偉そうな、と思うかもしれません。資本家になれということではありません。

資本家の対概念として、労働者があります。労働者は雇用契約などによって労務を提供する代わりに金銭を得るものだと理解しています。総合商社のように、どんな賃金の高い大企業で働いていたとしても、資本家(株主)でなければ労働者です。経営層は?と思う方がいるかもしれませんが、株式を持っていない経営層は労働者的側面があるので労働者にしておきたいと思います。

「資本家的発想」とはなんでしょうか?それは、自分のことをリスクを取って自分で決められることができるという発想です。

例えば、以前のnoteに記載しましたが、労働者は会社の研修や昇進など、基本的にいろんなことがすでに決められています。そうすると、どうしてもその枠の中に捉われた発想になってしまうのです。サッカーなど決められた仕組みで動くスポーツのイメージです。

この世界に溶け込んでしまうと、ある意味では教化されて自分で思考や行動を無意識のうちに制限してしまうと思います。そして、その思考で物事を見るので、非常に狭い範囲でしか物事を見ることができず、さらにそれで理解したつもりになってしまうのです。圧倒的な組織の力を前に、個人ができることはたかが知れているという現実を見て、一種の無気力というか自己肯定感が低くなってしまう人がいます。

これはある種、労働者の将来可能性を搾取する会社組織の悪い点ではないでしょうか。

世の中は広いわけです。異種格闘技というか、なんでもありな側面があります。自分が常識だと思っていたことが外に出ると全くそうでなかったり、自分で何かできることだってあるはずです。

カール・マルクスの主張を援用すると、実はマルクスは世間的なイメージとは違って、労働の本質を創造的な行為だと位置づけています。つまり仕事は受動的な消費・生産のプロセスではなく、積極的な自己実現と社会貢献のプロセスだということです。これは仕事に関する大きな意義のひとつですよね。そしてそのために重要なのが主体性です。

主体性を発揮するには、資本家のように、どこにどんな自分の資本を投下し、リターンを得るのかという発想が必要です。人任せではリターンを持っていかれてしまいます。創造的な仕事・人生を作るためには主体性が必要であり、主体性というのはあくまでキャリアにおいては自らが持つ資本をどこに投下してどんなリターンを得るのか考えたうえで自ら行動し続けることだと言えるのではないかと思います。

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